12:ターンバック
「ど……うかしたの?」
給湯室に入ってきた結衣が私を見るなり、目を丸くしてそんな言葉を吐いた。そしてつと掌を伸ばすと頬に触れ、親指がそっと左眼の下を撫でる。ふわりと女の子の匂いがした。
「ん、なんかヘン?」
「目の下にこーんなクマ作って。『何かヘン』も何もないわよ、もう!」
結衣の白くて細い指が――綺麗にピンクのマニキュアを重ねて塗った指が数度、目の下を往復する。
「くすぐったい」
「んもう……これじゃファンデでもカバーできないじゃない」
哀しそうに眉を寄せる結衣の手を、そっと外す。そして茶色の睫が綺麗に上を向いている瞳に向かって、訊ねた。
「ねぇ、キスって性欲?」
「の、乃里子……」
いつの間に来ていたのか、入口でなづきがその言葉を耳にしてがっくりとうな垂れていた。結衣が振り返って「あら」と口の中で呟いて微笑み、そして私を見る。
「そうねぇ……挨拶でキスする人もいるわね」
「日本でも?」
「まあね。たまにいるわよ、挨拶代わりにキスする人」
「ふうん……じゃあ、特別じゃないんだ。結衣もする?」
なづきが溜息と一緒にポットに手をかける。
「今度は一体またどうしたんだろーねぇ……」
黒いマグにインスタントコーヒーを振り入れて、ポットからお湯を注ぐ手元を見ながらなづきはふうと息を吐く。
結衣は私の問いにまず首を振って答える。茶色の長い髪が揺れて、シャンプーの匂いが漂った。
「ううん、好きな人にじゃなきゃ出来ないわよ〜」
「へーえ? 結衣のストライクゾーンなんてあって無きモンと思ってたけど?」
「あ、そういう言い方ってないんじゃなぁい?」
ズレた論議になっていく結衣となづきの会話を耳からシャットダウンする。挨拶代わり、とはちょっと違う。行動に裏打ちされる理由は今は見つからない。
彼はどう思ったんだろう。あのまま、瞠目したまま私を見ていた彼を傘ごと雨の公園に置き去りにしてきてしまった。背中から足音は聞こえなかった。
それが多分答えなんだろうけど。