第71話 黒の刺客(2)
黒い影がシリウスと蛇の間に入り込み、蛇の頭を粉砕した。そして息をつく間もなく、壁に正拳をぶつける。
「———リャン!」
歓喜と安堵の声を上げたカルマは、緊張の糸が切れたのか崩れ落ち、湯船に落ちた。
武器も持たず、素手で蛇の首を粉砕した腕力が彼にあるとはシリウスも知るところではなかった。
「魔術師がいるこの城で、黒魔術で女王を狙うとは―――。俺の株を奪うか」
まるで獲物を取られまいとする獣のように目を光らせた。黒蛇以上に蛇らしい眼光を放ち、自嘲気味に笑う。
蛇の頭と体は霧散し、その場から消えた。
「へ、陛下。お召し物をぉ!」
カルマは湯船からびっしょりと服を濡らし、カワウソのように這い出て、肌着のローブをシリウスに渡した。
「安心しろ。子どもの裸に欲情はしない」
「なっ」
鼻で笑ったリャンは、殴った壁を指で抉り出した。
平皿程のサイズの円を描いた、黒く焦げた焼き印。
「見ろ、壁の中に召喚魔術の痕跡がある。一匹目が死ねば二匹目が自動で出てくる仕組みなのだろう」
すぐに壁を殴ったのはその魔術を発動させないためだったのか。
三人は浴場から退散し、シリウスの自室へと集まった。
「ねえ、リャン! さっきの技も黒魔術?」
「いや、あれは千年体術だ」
「せんねん、たいじゅつ?」
「ああ。黒の国に伝わる体術だ。その技を一度でも受ければ神ですら千年続く痛みに耐えなければならないということからその名がついたとされている」
カルマはリャンを羨望の眼差しを向けた。
「今度僕にも教えて!」
「構わない。リゲル卿にも教えているところだ」
「リゲルが?」
「おっと。これは口留めされていたな。陛下に忘却の魔術は効かぬから、自発的に忘れてくれると助かる」
一度聞いた噂すら忘れない性分のくせに、口を滑らせるなどあり得ない。故意に話したことは間違いない。全く底意地の悪いことだ。
扉をノックする音がした。三回、間を置いて一回。
七星卿である合図だ。カルマはそれに気が付き扉を開けた。
そこには汗をにじませたヴェロスがいた。
「どこにいた? 見つけるのに時間がかかったぞ」
彼はつかつかと部屋へ入り、テーブルにある水差しを全て飲み干した。
「いや、大したことはない。それよりどうした息を切らして」
城内の使用人たちは女王や七星卿の居場所を伝えないようにしている。それ故、今回のように混乱や不便さを強いることが多い。
「さっき、東の居館にこれが届いた」
ヴェロスは白いリボンをシリウスに押し付けた。
「リボン? これはフィオーレのか?」
「ほう、これは伝達の魔術か。これは魔力に強い者に引き寄せられるものだが―――。誰に届いた? 貴殿か、リゲル卿か?」
「アリスタだ」
「興味深いな」
リボンをリャンに押し付けたシリウスはヴェロスに抗議した。
「今はそんなことはどうでもいい! 何故すぐに私に伝えなかった?」
「だから城内を探し回ったんだ。研究室にもいなかっただろう。そっちこそ何をしていた?」
「それは後で説明しよう」
リャンは両者に落ち着くように割って入った。
「それでフィオーレは何て? 他のみんなは?」
リボンには大司祭の名が書かれていたこと、そして使者の洞穴へ向かったことをヴェロスは説明した。
「誰の判断でそんなことを」
「リゲルが急ぎだと判断して今日中に向かった」
「———」
シリウスは勝手な行動をとったリゲルに内心腹正しく感じているが、しかし的確かつ迅速な判断に文句は言えなかった。
「流石は神童だな。それでいつ頃戻ってくるんだ?」
「夕食前には戻ってくるとは言っていたが」
今時分はオスカーが支度をしているはず。しかし廊下から見える食堂の灯りにはまだ火が灯っていない。