第68話 アイギアロスの秘匿(2)
「メアリー・ホーソン。ホーソン家の娘である彼女は城の塔から飛び降り死んだ。彼女をクリスタル家からビーネンコルブ城へ仕える差配をした人物が知りたい。彼女は、誰かに弱みを握られていた、ということは?」
テオの疑問にアルフォンシーノは首を横に振った。
「残念ながらそこまでは。クリスタル家はその忌むべき慣習から、秘密も多かった。私がアイギアロスの城主になってさえも全てを知ることはできず仕舞いで。申し訳ないが、これ以上は分からない」
アルフォンシーノはつらつらと答えたが、彼から逆に問われた。
「モーリスには………ホーソン家には、もう伝えたのかね」
―――クリスタル家は知らないくせに、メアリーの父親のモーリスは既知の間柄なのか。この矛盾は何か違和感がある。
テオの疑問をフィオーレも感じ取ったのだろう。口に着けたカップを飲まずに戻した。
「葬儀が行えない以上、内密に。ディック候だけが見舞をしたと聞いている」
「そうか、まだ若いのに。残念なことだ」
「メアリーの死にあまり驚いていらっしゃらないようですね」
フィオーレの指摘に、アルフォンシーノは淡々と答えた。
「驚きましたとも。甥からの手紙で知ったのでね」
「愚問でしたね。では二つ程質問を―――」
白く幼い聖人の問いかけによる究明も負けてはいない。
「どうしてメアリーが若いと分かったのです? 私たちはホーソン家の娘とだけお伝えしましたが」
「それはモーリスの年齢は私と同じくらいなのでね。彼とはもう随分と会ってはいないが。娘がいることは知っていたというだけだ」
「それは失礼。それでは最後に―――」
フィオーレの赤い目は、老人の心の奥に深く潜り込んだ。
「クリスタル家にあった財はどうなったのです?」
「………」
「どうされました? クリスタル家は莫大な富を築きました。土地も金も。アイギアロスではアルフォンシーノ家の次に裕福だったと聞いています。まして領主であるあなたがご存知ないはずないでしょう?」
「王都からこのアイギアロスまでの道のりをご覧になったでしょう? ホーソン家だけではありません。かつて栄華を極めた名家が落ちぶれ、廃屋ばかり」
本来、王家に忠誠を誓った名家のものは王家に召し上げられるべき。それをアルフォンシーノは領地内でもみ消すことを許容したというのだ。
「まさか貴殿は何者からか口留めのために受け取ったというのか?」
「そうだとしたら? 私を斬りますか、飛龍の騎士。この地に生きた騎士たちを謀反などと言いがかりをつけた王に返す財などないのです」
「…………」
「もうお帰りなさい。女王陛下に何も聞き出せなかったと」
あまりにも長い王国の統治は多くのしがらみや摩擦を生み、複雑に絡み合っていた。アルフォンシーノは戦いばかりの日々を過ごしてきたテオに皮肉の言葉を投げて諦めさせようとしている。
もはや、彼にかつて王に仕えた騎士の忠誠心は微塵も残ってはいまい。
「立ち去る前にもう一つ。———サンディ。その名の青年に覚えはないか? アルフォンシーノ伯」
「———いいや、私は知らない」
「ご存知なのですね?」
フィオーレの目はアルフォンシーノの僅かな動揺も見逃さなかった。
「残念ですが、彼は生きてこのアイギアロスに戻ることは叶いません。彼は我々に刃を向けた。王都で荒くれどもと罪なき民を殺して、女王陛下を挑発しています。我々の寛容を甘く見ないことです、アルフォンシーノ伯」
アルフォンシーノは席を立ち、窓の外を指した。
「見えますかな、あれが」
テオの目配せで、フィオーレは椅子に座ったまま。テオだけが彼の横に立ち外の景色を見た。
屋敷に入る前には見えなかった、丘の上にある多くの石。墓石、つまりは墓地なのだ。
「あそこには多くの騎士たちが眠っているのです。私はここからいつもこの景色を眺めながら、考えてしまう。彼らが生きていたらと」
アルフォンシーノはテオに向き合った。
「彼の名はサンディカ・ローレス。アイギアロスに仕えた騎士イリド・ローレスの息子です。ご存知でしょう、先王の粛清を。彼の父はその粛清で処刑された騎士の一人なのです。彼は幼い頃は父のような騎士になることを望んでいた」
「だから王都へ行き、人殺しに加担することも看過してもやむなしと。そうお考えか、アルフォンシーノ伯」
「————っ」
飛龍の騎士の殺意に満ちた声に、アルフォンシーノだけではなくフィオーレも背筋が凍った。騎士道を歩んだ者が歪んだ正義と復讐を看過したという事実に、彼は憤っている。
「いかに父に憧れ、先王の行いに憤りを感じようと、それを知らぬ民を傷つける理由にはならない。我々が守るべきは王であり、民であり、国なのです。あなたが真の騎士であったのなら分かるはずだ。悪行を子どもが引き継ぐ理由がどこにある。まして王家となればなおのこと。負の歴史の清算を陛下お一人に背負わせることはない」
アルフォンシーノは自嘲気味に笑った。
「今更私に何ができる」
「あなたが迷うのはあなたが誠の王に仕えていないからだ。行き場を失った忠誠心を陛下に。そして我々に真実を、そして隠匿された全てを打ち明ければいい」
「———それはもうできない」
「——--っ」
途端、機敏に動いた老齢の騎士の手を掴み、テーブルに体を抑えつけた。一瞬のことで身動きが取れなくなったアルフォンシーノは呻いた。
「なにを………」
テオはアルフォンシーノの腰からナイフを奪い、転がした。ナイフの刀身には血のように赤い文字が刻まれていた。
「このナイフを持つことは死を覚悟する騎士の慣わし。もしやと思っていたが………」
自決。
城を離れて別邸を選んだのも、刺し違える覚悟だったのだろう。
最後まで秘密を守り抜くと誓った者の目に、芯が震えた気がした。
テオはアルフォンシーノを解放し、謝罪をした。
「侮っていたのは自分の方だった、アルフォンシーノ伯。これ以上、あなたを責め立てることは致しますまい」
テオの合図でフィオーレも椅子から立ち、二人は立ち去ろうとした。
しかし今度はアルフォンシーノが二人を引き留めた。
「何故、何故だ! どうしてあなた方は女王に仕える? 愚かな王の娘、城で育たず、王都のことを何一つ知らない小娘だ!王国に、いやこのフェーリーンに相応しいはずがない!」
「俺たちは小国で生まれ育った。だからグラン・シャル王国の情勢に疎く、無関心でいられた。だからあなた方の苦悩の全てを理解することはできない。あなたが真実を言わない限りは。
あなたは、先王が愚かだと言った。しかし彼の王は死の間際にはシリウス様を王にお選びになり、王国の再統一を娘に託した。我々は陛下こそがこの王国に平和をもたらす真の王だと信じ、その先にあるものを俺は見たいと思っている。今の陛下ではなく、これからの陛下が作る王国を―――」
「そんな子どものような理想を真に受けるなんて、小国の王たちはどうかしている!」
アルフォンシーノは体の力が抜けて、崩れ落ちた。その額には脂汗をかいて、顔を両の手で覆った。
「確かにそうかもしれませんね。しかし理想を語らねば、現実にはなりません。あなたも陛下に会えば分かります。会えば、その答えは自ずと―――」
「俺たちは、ベルンシュタイン王家の血を引くから女王陛下に従っているのではないことが分かる。残り少ない余生、真の王に仕える時間を考えることだ。陛下へのお目通りを願うのなら、いつでも取り次ごう」
屋敷を後にしたテオとフィオーレは啖呵を切ったが、その表情は苦く重い。
二人が馬に跨った時、屋敷の扉が乱暴に開き、血相を変えたアルフォンシーノが追いかけてきた。
「もしこれ以上の真実を求めるのならば、カールハインツを訪ねてください。彼ならば答えてくれるでしょう」
「———っ、アルフォンシーノ伯。あなたは本当に何も知らないのですね?」
フィオーレの念押しに彼はただ俯いた。
苦い顔をしたフィオーレは、急ぎましょう、と促した。ミザリエル(テオドロスの馬)とエリクスィール(フィオーレの馬)に鞭打った。
行きのように河は下れないため、休まず馬を走らせる他ない。
「カールハインツ。どこかで聞いた名だが………」
「アカシア神殿の大司祭です。迂闊でした。大司祭もまた、アイギアロスのご出身であると」
「何?」
今までに見たことがない程に顔面蒼白になったフィオーレにテオは馬を止めて休むように勧めるが、頑なに首を横に振った。
「急いで王都へ戻りましょう、嫌な予感いたします」
―――これはただの女王への脅しではないのかもしれない。
一連の事件がフィオーレの中で符号していった。
赤い双眸をつむり、フィオーレは手綱から手を放し、祈るように手を組んだ。
「フィオーレ、何を………」
「追い風のうちにできる限りのことをしなくては。得意ではありませんが、風の魔術を使います。リャン殿かリゲル殿ならばすぐに気づいてくださるでしょう」
息を込めたリボンを空に放ち、それは風に揉まれて高く飛んだ。
―――伝え届けたまえ。
雪原の中で息を吐くように呟いた言葉と共に、白い鳥へと姿を変えて馬よりも速く王都へと飛び立った。
「———、フィオーレ?」
落馬寸前でエリクスィールが速度を落とし、テオはフィオーレを受け止めた。
気絶した少年を抱えての乗馬は危険だが、二人乗りを嫌がるミザリエルが速くかけるように手綱を振った。
「いい子だ、ミザリエル。エリクスィール、君のご主人を暫く預かるぞ」
エリクスィールは不安そうに主人の足を鼻でつついた。
腕にフィオーレを固定し、テオは王都へと急いだ。