第67話 アイギアロスの秘匿(1)
命令通り、王都に戻って二日後には、フィオーレの巡礼のためと偽ってテオはフィオーレと共にアイギアロス領へと向かった。
馬を走らせるより王都より続くメルルカ河を下る舟運に乗った。丸太を運ぶための船だったため、馬を乗せることは容易いものだった。森を越えてトニトルス領を行くよりは二日も短縮できるだろう。
上等な馬を連れた身なりのいい男が二人で旅をしているというには目立ちすぎる。知る者がいれば素性が分かってしまう。テオとしては気が乗らなかったが、念のためにフィオーレは舟渡したちに忘却の魔術をかけた。彼らは誰も乗せていないし見てもいないことになっている。
現アイギアロス領主であるカイル・アルフォンシーノ伯を訪ねるためである。アイギアロス城の前城主の娘を妻に持ち、かつては王都の騎士も務めていたこともあり、騎士団長であるテオが同行すれば円滑に事が進むだろうと踏んでのことである。
広大な丘陵に羊の群れ。麦畑、ヒナギクの花畑。
高く聳えるポプラの道。トニトルス領と違い、空が広い。
千草の国、橙黄の国に最も近い王国の領地にあるアイギアロス城は入江の城とも呼ばれる。海産物が豊かな領地としても知られており、アイギアロス城の壁は巨大な貝で出来ているという逸話もあった。
「想像以上に長閑な場所ですね」
こんな心境でなければゆっくりと馬を走らせたものだ。
しかし一行に城が見えず、テオは何度も地図を見比べた。地図には道中の道しるべがなく、ただの丘陵や廃屋が続くばかりだ。風に混じって潮の香りが含んでいるから遠くはないはずだ。
時折現れる人に声をかけては城までの道のりを訪ねた。
荷車を引く少年や、パラソルの下で編み物をする老女。
「この先にアルフォンシーノ伯の邸宅があると伺ったのだが、知らないか?」
道の真ん中で立ち往生する羊の群れの中にいる羊飼いに道を尋ねた。麦わら帽子を目深に被った中肉中背の男。その立ち方歩き方にテオは既視感を覚えた。
距離の取り方、立ち振る舞い、余所者を見抜く鋭い眼光。戦場で幾度となく目にした歴戦の騎士のそれだった。白髪と髭をたくわえ、老齢であることが伺えるが、衰えは感じない。
「———私に、何か用かね?」
「あなたが、アルフォンシーノ伯?」
「そういうあなたは、飛龍の騎士とお見受けしたが―――」
いつも携えている飛龍の騎士の象徴ともいえる名剣エレクトラは、テオの腰にはない。面識がないにも関わらず、彼はテオだと見抜いた。
「名剣がなくとも分かります。遠路はるばるようこそ、アイギアロス領へ。テオドロス卿、フィオーレ卿」
帽子を取り、片足を後ろへ下げて恭しくお辞儀をした。
立ち話で済む程の用事ではないことを察したアルフォンシーノ伯は城へ向かわず、近くの小さな別邸へと案内した。
城持ちの領主であるが、別邸はとても質素なものだった。それは貧しいからではなく、彼の性分なのだろう。別邸には給仕が二人いるだけで、彼の家族はその邸宅にはいない。
王都を離れていることを知られたくないテオとフィオーレにとっては好都合だ。
用意された紅茶は上等なもので、長旅をしてきた二人にとっては久々に腰を落ち着くことができた。訪客が少ないのか、別邸には領民たちが覗きに来ている。
人心地ついた後、アルフォンシーノ伯は話題を切り出した。
「甥のクレインが何かやらかしたのですかな?」
小評議会の外務大臣補佐を務めるクレイン・アルフォンシーノの母は、カイル・アルフォンシーノ伯の妻の姉であたる。故に血縁関係はないが、身内の中で有力者にある甥の影響力を彼は理解しているのだろう。
しかし、用件がそれではないと分かったカイルは目を丸くした。彼に、思い当たる節がないのである。
「アルフォンシーノ伯、この割符はご存知か? これがこの領地で造られた酒樽に貼られていた」
アルフォンシーノは「いいえ」と首を横に振った。
「我々が王都からここまで三日と馬を走らせたのは、今の王都のことではなく、昔のアイギアロス領で起こったであろう事実の確認に来たのです」
「昔? 事実? これはまた唐突な。王命とあれば、私は従うまで」
恭しい態度を取ってはいるが、一筋縄ではいかない。剣で闘うことができれば容易いのだが、とテオはフィオーレに目線を向けた。
テオは回りくどいことや駆け引きを得意としなかった。女王がフィオーレを同行させたのは、いやフィオーレにテオを護衛に着けたというべきか。
目の前のご老公からすればテオは名前の良く知られたただの若造なのだ。真意からのらりくらりと躱すことも容易いだろう。
「このアイギアロス領はとても複雑な力関係を保ってきていますね」
「———というと?」
「そうですね、例えば………」
フィオーレの紅茶のカップを口から離し、神秘的な赤い目を光らせた。
「借金で困窮するホーソン家、それから数年前に火事でクリスタル家は滅亡しました。
ホーソン家はクリスタル家に連なる一家で従わざるを得ない立場にいたようですが、まるで隷属扱い。だから不思議だと申し上げたのです」
フィオーレは言葉とは裏腹に柔らかく笑う。それでも揺るがないアルフォンシーノにテオもフィオーレもたじろいだ。
「流石、グラシアール教の信徒の方は、お考えが突飛ですな。それとも神々のお言葉ですか?」
「いいえ、女王陛下のご推察です」
アルフォンシーノは深くため息をついた。
「お噂の通り、幼くはあるが聡明な方のようですな。いやしかし、賢明とは言えない無謀さは幼稚とも思えます」
上辺だけの忠誠、皮肉の言葉。
脅しにも屈しない態度に、騙し討ちが苦手なテオでも気が付いた。やはり彼には何かがあると。
「王の無謀と無茶を形にするのが我々七星卿の役目だ。我々の忠誠をあなたに強制することはしたくない。だが、女王陛下と我々に、協力をして頂きたい」
アルフォンシーノは目を伏せた。それは堪忍したのではなく。何かを覚悟した目であると、テオは見抜いた。
「クリスタル家は古き名家の一つ。多くの財を築き、彼らはそれに固執した。そしてクリスタル家はある時からその財を外に出さないためにあることを守ってきた。数年前の火事が起こるまで行われたこと。誰もが黙認し続けたのです」
「………」
「クリスタル家十八代目の当主の妻は実の妹。そしてその息子は当主の末の妹と結婚した。そういう近親婚を何十年と繰り返してきた一族なのです。そして濃すぎる血で、次第に子は生まれなくなった。正確には生まれても、三年と持たず命を落とし、最後に生まれた子は頭が人の形をしていなかったというのです。そしてクリスタル家は他の家から養子を貰うようになったとか」
「何という………」
テオは絶句した。
「クリスタル家は滅びるべくして滅びたと、今となっては思うばかりですが」
確かにおぞましい事実ではあるが、彼は羊皮紙に書かれた文字を読んでいるかのような、熱のない口調だ。