第62話 君の正体(1)
皆が目を覚ましたのは日が高くなってからだった。
鐘の音が聞こえない朝を迎えたことに、王都から遠く離れたことを改めて思い知らされた。
けたたましい小鳥たちの鳴き声で起こされた。皆いつも以上に寝過ごしているにも関わらず、テオだけは毎朝の日課で真剣を振るって鍛えていた。
朝食は昨夜作ったパイの残りと紅茶を食べてから、各々鎮魂祭に許される限りの休暇を楽しんだ。魚を食いたいとアリスタとヴェロスは釣りに行き、カルマはテオと共に剣の稽古に励み、フィオーレとリャンは勝手に姿を消してしまった。森の中の薬草をつみに行ったのだろう。
オスカーはリゲルに呼び出され、近くの射場に足を運んだ。朝食にすら間に合わない程に寝過ごし、暇を持て余したシリウスは身支度を整えるとオスカーに勝手についてきた。
彼女に言わせれば女王の相手をするのも側近の仕事のうちだという。彼女は行儀が悪いことにパイをかじりながら歩いた。
射場の的は板張りの粗雑なものだった。距離にして十ゲイル(約三十メートル)の位置でリゲルは立った。黒い皮手袋をはめ、彼は使いなれた手つきで肩にかけた矢筒から矢をすらりと抜き取り、海飛竜の骨でできた弓でつがえた。薄氷色の目は小さな的の中心を捕らえ、細い腕から放たれ海飛竜の甲高い鳴き声のような弦音が鳴った。
矢は的の中心にタン、と一発で刺さった。
「すごい!」
オスカーは感嘆の声を上げ、拍手をした。
しかしそれを黙って見ていたシリウスは怪訝そうだ。
「お前、風の魔術師なのか?」
シリウスの唐突な質問の意図をリゲルは読み取った。彼女はリゲルが風の加護を得て矢を放ったのだと疑ったのだ。
「青の国にいた時に冠を持つ魔術師がいて習っただけだ。だが今の矢には何も細工はしていない。使えるのと使うのとは違う」
リャンもこぼしていたが、リゲルには高い魔術師の才覚があるらしい。
「…………」
リゲルだけではなくシリウス本人もリゲルには強い対抗心を抱いていた。シリウスには他の魔術師とは一線を画す別次元の力を持ち、遺憾なく発揮していた。彼女なりに努力をして身に着けたのであろう。シリウスとしては他の魔術師にない力を得意になっていた節があり、つまりはリゲルには魔術は勝っていると自負していたに違いない。
フローライト家の家紋は白鷹で、その家紋の通り、その血族は遥か遠くを見通す目を持っていた。弓矢を武具として選ぶのも彼の体質に合っているのだろう。無駄がなく洗練され、武具と魔術を合わせたその技はシリウスが憧れるそれだった。
それを素直に口に出したり、お互いを褒め合うことが出来ないのは、この二人の大きな欠点であり共通点だ。
テオとリャンの年長組は、競争心があることは大変良いことであると言い、面倒ごとは嫌いだとアリスタとヴェロスは安全圏からからかう。皆この二人のことはどこか他人事で、ヤキモキするオスカーの身にもなって欲しいものだった。
可愛らしい意地の張り合いであればオスカーも見守るだけで済むのだが、この二人は互いの心をズタズタにする鋭利な言葉でぶつかり合う。それも、一方的にシリウスがダメージを負う形で、だ。
―――どうしたものか。
相性がよろしくないこの二人の間に立つ間の沈黙が辛い………。
リゲルは次の矢をつがえたが何かに気づき、下ろした。
「おお、やってる、やってる。相変わらず可愛くないくらいきっちり当ててんな、リゲル坊ちゃんよ」
茂みから現れたのはアリスタとヴェロスだった。
「もう少し早く入ってくればその頭に当てていたぞ」
「おお、怖い怖い。お前なら本当にやりかねないな」
アリスタはちょうどよく熟れた果実をリゲルに放り投げた。リゲルはそれを恐る恐る口にして、美味いとも不味いとも言わなかった。
「釣れたのか、アリスタ卿?」
「いいえ陛下。三匹しか釣れませんでしたよ。ここら辺の魚は痩せてるな」
「そうかな?」
ヴェロスが見せた籠の中には生きたままの魚が泳いでいた。オスカーから見れば十分に太ったニジマスだと思うが、どうやらアリスタは不服らしい。
「やっぱ魚は海のものが一番だぜ。お前らもいつか千草の国の海見れば、一日中潜りたくなるから。何千の宝石を集めてもその海の輝きに勝るものはないってな」
オスカーは思わずおお、と感嘆を漏らした。千の草の輝きを溶かし映した鏡のような色の海だと、謳う詩人もいた程、千草の国の海は美しい。その海で生きた魚を食べることは海の力を得るということ。生まれてから海産物を食べて育ったアリスタはまさしくその海の恩恵を授かっているという。
「こうも海から離れると竿に魚もかかりゃしない」
「お前が暴れたからだろう? 川魚はお前と違い繊細なんだ」
三匹しか釣れなかったと言ったが実際に釣ったのはアリスタではなくヴェロスだったらしい。
「それで三人で何をこそこそしてたんだ?」
あっけらかんとしている割に、アリスタの目は鋭い。
「何の話だ」
「こいつをまだ疑っているのか?」
シリウスもリゲルもアリスタの真意を見抜いていた。
アリスタは眉を吊り上げ、首を傾げた。
「それはどうかな? 路地裏で潜り抜けた死線で、こいつはビビりもしなかった。それなりの度胸はあるぜ。なあ、オスカー」
認めているのか、それとも脅迫か。アリスタはオスカーの肩を叩いた。
「お前は演技が下手だ」
ヴェロスの指摘にアリスタは肩をすくめた。
「そういえばリゲルは初めから疑っていなかったな、その根拠は何だよ」
「———勘だ」
「はぁ?」
リゲルらしからぬ発言にアリスタは声を上げた。
「正確には根拠はないが調べた上での推測ならできる」
「調べた? 私の許可なく勝手なことを!」
「そうやって何でも隠し通せると思っているのか、お前は」
呆れたようにため息をついてリゲルはシリウスに対峙した。
「ねえ、お昼にしようよ。僕もうお腹空いて」
ひょっこりと現れたカルマに、オスカーはひっくり返るくらいに驚いた。
「いつからいた?」
「さっきからいたよう。ねえ、早く食べようよ」
ねぇねぇとカルマはオスカーの裾を引っ張った。
本当にカルマの顔色は悪く、腹を抱えてうずくまった。ヴェロスは慌てて余った果実をカルマの口に押し込んだ。
オスカーは深呼吸をしてシリウスを見た。
「僕の口から皆に話すよ」
「———オスカー。本気なのか?」
金色の目が交差し、その目の奥に潜むオスカーの覚悟をシリウスは読み取った。
「僕は本気だよ、シリウス。皆と食事が終わったら僕から話す」
そうでなくては、これから先、自分は皆に信じてもらえないままだ。
夏の暑さが去った風に吹かれ、オスカーは目を瞑った。