第60話 真実の声(7)
問題は解決こそしていないものの、方針が決まった。それなのにシリウスの顔は曇ったままだ。彼女は皆に問いかけた。
「私個人に恨みを抱くとしたら、その理由が分かる者はいるか?」
あの朝食に毒殺未遂からシリウスが最も気にしていたことだったのかもしれない。彼女は悪いことは何もしていない。いや、何も事を成していない。王冠はまだ頂きに飾ってすらいないというのに、何の予兆もなく殺されなければならないのか。
殺されるために、玉座につかねばならないのか。
「女らしからぬ横柄で短慮なところか?」
「剣で男のプライドを砕いたこと?」
「怒ると怖いところ?」
リャン、アリスタ、カルマは思い当たる節があることを口に出した。
「真面目に答えろ」
シリウスの怒りに、ほら、とカルマはオスカーに同意を求めたが、ここで頷けば怒りの矛先がこちらに向いてしまう。
「それは間違いなく、貴方がギルガラス王のご息女であることでしょう。今ある限り、ベルンシュタンイン王家の正統なお血筋は陛下お一人ですから」
フィオーレの真っ当な答えに、しかしシリウスは納得がいかない様子だった。
「先王を疑うわけではありませんが、今のこの現状、あまりにも不可解です。何者かの思惑が混じっているような………」
「………」
フィオーレの意見は皆の心中を代弁していた。
傭兵を雇える財力、ラノメノ教に擦り付ける狡猾さ、そしてこの用意周到さ、そして女王の身辺を知る者となれば限られてくるというのに、決定的な意図が読めない。
「何だか混乱してきたぜ。今回の暗殺未遂と地下闘技場を切り分けて対策を考えるべきじゃねぇの?」
鬱陶しくなったアリスタは考えることを放棄した。
「俺は逆の意見だ。女王暗殺を企てた者と地下闘技場の運営者は同一人物か、手を組んでいると考えることが妥当だ。正確には女王暗殺を計画しなくてはならない現状に陥ったというべきだが………」
リゲルだけは合点がいったようだが、その説明だけでは理解はできない。皆の視線が集まり、リゲルは説明のために疑問を投げかけた。
「地下闘技場の運営にとって一番邪魔な存在はなんだ?」
それが分かればこんなに悩むことはないだろう、と頭を捻った。
しばし沈黙が流れ、リゲルの問いに答えたのはキセルをいじるリャンだった。
「小国の介入か?」
リゲルの言わんとすることが分かったのはリャンだけではなかった。ヴェロスは王都内の地図を広げ、オスカーは羽ペンを用意した。
リゲルは古い地図を重ねて、羽ペンを走らせた。地図にはない、王都中の地下に広がる蜘蛛の巣のような複雑で規則性のある線。
「闘技場が地下にあるのであれば、傭兵たちの移動手段は用水路だ。騎士団の目も欺ける上に隠蔽も容易だろう」
次にテオが地図の上にバツ印を付けていく。
「俺が調べた限りの死体が見つかった場所だ」
「そしてこれが小国の街角の位置と用水路の入り口」
テオが記した数か所記した場所全て用水路の入り口から遠くない。
「盟約により小国から奴隷を買うことも制限され、それぞれの街角に各国の要人が来ることになれば、地下闘技場の運営はどうなるか火を見るより明らか。そういうことか、リゲル卿」
「………」
シリウスに先に答えを言われたのが悔しかったのか、リゲルは口を閉ざした。
「陛下に言葉を譲って差し上げたのですよね、リゲル卿は」
フィオーレのフォローも虚しくリゲルとシリウスは火花を散らしていた。ここで競争意識を高めてどうするのだ。
中央集権制になることで変わるのは小評議会だけではない。王都がいかに王国の中で重要なものになってくるのか。先王とは大きく変わる政治体制に賛同する者は多くない。
「先王の命令で処刑された者は何人いる?」
「———二八二名です、陛下」
「多すぎるな」
ギルガラス王の御代、謀反の疑いがあるとして、各領主が抱える兵団を制圧する血の十八日間。領主が力を持ちすぎることを防止する王命だったという。
王国内の領主たちの王への忠誠心が離れたのはその十八日間の事件が原因だったとされている。謀反を起こそうとしたのか、その事実は分からない。王都にいた騎士団も何名か刑に処されているという。
「惨いことですが、先王の判断は正しい。陛下気に病むことではございますまい」
リャンは苦悶するシリウスに妙な慰め方をした。
「先王が処刑した者の親類縁者を全部当たれということか?」
ヴェロスの質問に、アリスタはおえ、と辟易した。
「先王が亡くなった今、恨みの矛先は陛下に向けられましょう。勝手とは思ったが俺と飛龍の騎士で目ぼしい者は適当に調べておきました」
リャンは丸めた羊皮紙を広げた。白紙のそれにリャンが何かを呟き息を吹きかけると、文字が浮かび上がる。魔術で情報の漏洩を防いでいたのだ。
―――すごい、仕事ができる大人だ。
リャンに尊敬の眼差しを向けると、彼にしては珍しく優しく微笑んだ。
「何、暇だったのでな」
「恥ずかしながら私とリャン卿では家柄に詳しくはございませぬ故、皆の意見もお伺いしたいのです」
シリウスは頷き、リャンが差し出した数枚の羊皮紙を皆で回した。
「つまり、私の父と呼ぶべき王は罪なき者を処刑していた可能性がある、と」
「気に病むことはない。どの時代のどの国の王も、自分に不都合な者は消さねばならん。はじまりの王カノープス王でさえ―――」
「リャン殿、今のお言葉は聞き捨てなりません」
フィオーレが珍しくリャンに食いついた。
「ほう、では王命は全て悪行であろうと善行になると? 貴殿はそうお考えか?」
「そうではありません。陛下のお血筋を汚すような発言は辞めて頂きたいと言っているのです。公的な場でその発言をされましたら、私は貴方を許すことができません」
白と黒。国名は元より性格も対照的なこの二人はまさに清と濁。魔術を使う者同士でも扱う魔術の種類は全く異なるものだ。今まで反発するところを目撃こそしなかったが、彼らは根本的に思考や育ちが異なるのだろう。だからこそ互いに干渉し合うまいと、どこかよそよそしく住み分けている節があったが、今ここでぶつかってしまった。
二人の間に緊張が走り、オスカーはシリウスに助け船を求めるあまり視線を送った。
シリウスも想像だにしなかったのだろう。しかし慌てずにその空気を打ち破った。
「アイギアロス城にはテオドロス卿、フィオーレ。貴殿らが私の名代でアルフォンシーノ伯に確認をしてくるがいい。王都に戻り次第、支度をしろ」
「は、かしこまりました」
「続きは明日だ」
長旅の疲れがあり、皆、泥のように眠った。