第59話 真実の声(6)
「そんじゃ、次は俺とヴェロスかな」
アリスタは意気揚々と自分の成果を見せびらかそうとわざとらしく咳をして、ヴェロスは変わらず淡々と話を進めた。命に別状はないとはいえ、怪我を負わされたにも関わらず、二人は地下闘技場の調査に何度も足を運んでいた。
「中に入ることは叶わなかったが、収穫もあった」
ヴェロスは手巾で包んだ小さい紙切れを取り出した。羊皮紙に黒のインクで描かれた中央で半分に割れた花。
「これは?」
「割符のようにも見えるが」
「そ。流石リゲル坊ちゃん。こいつは割符の片割れだ。地下闘技場から出てった奴らの後を付けたら、こいつを受け取っていた」
割符はもう片方と合わせることで商業上の取引の決済となるものだが、地下闘技場の関係者が手にしていたのなら確かに怪しい。
「誰が坊ちゃんだ」
「割符だと何故分かった?」
「そりゃあ、俺は海賊だぜ。港の商人が使うものは知ってて当たり前だろ。この割符は水に濡れても滲まないし破れないんで船乗りたちの間で流行った特別性だな」
リャンはアリスタから割符を取り上げ、暖炉の光にそれを翳した。
「文字が描かれているな、透かし文字か? 泥……ネズミ?」
「泥ネズミ?」
カルマは首を傾げた。
「割符は両方あって意味を成すからな。そちらと合わせれば何か意味が分かるのかもしれないが。意味よりも出所と利用される意味が問題だな」
「そんでこの割符の印字はどうも王都の外で作れられている。酒樽に紛れて運ばれていて、商人が言うにはアイギアロス領の村から頼まれて酒のついでに小遣い稼ぎのつもりで請け負っていただけだった。そしてその酒はあちこちの店に納品されているから、足もつきにくいってことだ。庶民にはラベルにしか見えないからな」
またアイギアロス領。
「アイギアロス領といえば、アルフォンシーノ伯が城主を務めていると聞きました。確か奥方の父君が元城主で跡を継いだとか。騎士団にも所属されていたのですよね?」
フィオーレの質問にテオは頷いた。
「やはり事は王都だけでは済みますまい」
「酒屋は隠れ蓑になっているんだろうな。前は潰れかけていたらしいが、ここ数年で羽振りが良くなったって噂だ。つまり―――」
「小評議会の中にこの地下闘技場に関係している者がいて、その割符を元手に私腹を肥やしていると?」
シリウスの眉間にしわがまたぐっと寄った。
「それがこの割符、その酒を買いに来た奴、しらみつぶしに探したんだけどさ―――」
アリスタは歯切れ悪く、ヴェロスの顔を見上げたが、ヴェロスも言い淀んだ。
「勿体ぶるな」
「それが俺も引いたんだよね。今、王都の外まで来て大正解だぜ」
シリウスに促され、アリスタは懐から無造作に破られた羊皮紙を取り出した。酒を購入した帳簿を勝手に盗んでいたのだろう。
「———っ」
そこには小評議会数名の名前が記されていた。
官僚が下町の酒屋で酒を仕入れるなんて別に珍しくはない。けれどしがない酒屋に王都の要人が幾人も買いに来るなど余程の美酒か、裏があるのか。この場合、後者に違いはない。
「もしここに書かれている名前の奴が本当に関わっていたら、地下闘技場は王都の貴族や豪商、お金持ちの連中の娯楽施設ってことになる。そしてこっからが厄介なんだが、どうも傭兵を雇っていた。地下闘技場で儲けた一部を奴らに回しているんだろうよ」
傭兵の存在はオスカーも分かっていた。騎士から除名されたジョラス・トラッドもその中にいるに違いない。財力も武力も後ろ盾もあってはやはり迂闊には手を出せない。
女王の命令と騎士団の力を持ってすれば制圧は可能だろう。しかしそれでは主犯の尻尾を掴むことが出来なくなる可能性がある。それでもいいならば、シリウスは王都に戻り次第命令を下すだろう。
シリウスは分かっている。自分が未熟故、簡単に命令を下すことがいかに大きな波紋を呼ぶことになるのか。経験はなくとも想像はできる。
「傭兵か………。心当たりはないか、飛龍の騎士」
リャンはテオに意見を求めた。
「王都内で以前から遺体がいくつも見つかった。娼婦、子ども、老人。被害者に共通点はなかったが、どれも慣れた殺され方をしていたらしい。急所を一撃で突き刺されたのみ、だったそうだ。我々が王都に来る以前から傭兵がこの王都にいたのであれば、彼らの仕業に違いない。そしてどの現場にもラノメノ教の紋様が、布切れや紙、壁、床に残されていたことも分かっている。ラノメノ教の信者の仕業だと見せるためのフェイクだろう」
「ええ、騎士殿に同意です。ラノメノ教の信者にとって紋様は信仰の証。それを罪人に預けることはしないでしょう。それに大罪を犯した者は信者として扱われず、戒律に則り火刑に処されます。これは、長い時間をかけて不審な死は全てラノメノ教が原因であると刷り込ませるために仕組まれていたことなのでしょう」
フィオーレは他宗教に対しても残念そうに目を瞑った。
「それにしても、地下闘技場にどうして投資なんてする必要が?」
オスカーの疑問にアリスタはやれやれと首を振った。
「分かってないな、オスカー。賭けだよ、賭け。金がない奴もある奴も、一度ハマってしまえば抜け出せない奴が多いのさ。特に血肉沸き立つ殺し合いってのは、どんな場所でも人気がある。人気があれば人が集まり金も集まる。国が認めていなくともそこに人が集まればそれだけで脅威なんだよ、分かったか?」
オスカーはおずおずと頷いた。理解はできなくとも理屈はわかる。
「それで? そこの三人はその傭兵に遭遇していじめられたんだったな?」
シリウスの指摘にアリスタ、ヴェロス、オスカーはびくりと背筋を正した。
「出会った男共の印象と特徴は覚えているか?」
二度と会うことはないと信じたいが、顔を見られた以上、皆にも説明が必要だろう。
「ジョラス・トラッドは、中年、髭面で細身だったな。黒髪黒目だが黒曜人じゃなかったな。剣を振るうというよりは人を殺したくて剣を握っていた。除名する前に腕を切り落としてやれば良かったんだ。誰の推薦で騎士団に入れたんだか………。
もう一人はサンディってトラッドからは呼ばれていた。年齢はヴェロスよりも少し上くらいか。銅茶色の髪と目。言葉遣いからトラッドとは違って元は育ちが良い印象だったな」
アリスタの説明にヴェロスは頷いた。
「あの人………。サンディって呼ばれていたあの男の人、アリスタやヴェロスを利用しようとしていた。大人しくついてくるようにって」
今となっては彼の目的は分かることはないが………。せめて身元だけでも分かれば。あの場で何もできなかった、何もしなかった自分が本当に悔やまれる。
「脅せば利用できるとでも思ったんだろうさ」
とアリスタは笑い飛ばしたが、笑いごとではない。
「元より、危険な男を騎士としてそのままにして放任していた俺に落ち度がある。もっと部下に目を配っておくべきだった。そうすればヴェロスも怪我をすることはなかっただろう。本当にすまない」
テオはオスカーの肩を叩き、ヴェロスとオスカーに頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「そ、そんな! 迂闊だったのは僕らだ。テオが謝ることじゃ」
「傷くらい、自己責任だ」
ヴェロスもオスカーに同意し、テオの謝罪を不要であると拒んだ。
「いや、それも含めて責任を問われるべきだ。彼を野放しにした以上、民草が命を奪われているかもしれない」
「勘違いすんなよ、飛龍の騎士! あいつが俺たちに絡んできたのは俺たちが喧嘩を吹っ掛けたことが理由だ。次にあいつと闘うことがあれば俺がとる。ガキ扱いすんじゃねえぞ」
食ってかかったアリスタに、テオは爽やかに応じた。
「よかろう。ならば早い者勝ちだな」
シリウスは困ったようにため息をついた。
「地下闘技場の傭兵の調査はアリスタ、ヴェロスに一任する。テオドロス卿、貴殿は好きに協力してやれ。兵を動かすことがあれば貴殿に任せる」
テオに続き、珍しくアリスタとヴェロスも恭しく頭を下げた。