第56話 真実の声(3)
窯があればパイもできるし肉を焼くこともできる。
オスカーは生地を仕込んでいる間に窯の準備に取り掛かった。
ハーブと調味料をいくつか持ち込んで正解だった。臭みも防げるし、ローストのソースにできる。それから芋とオニオン、豆、魚の燻製のチップと鴨の骨ごと煮たスープ。これらを先に作っておく。
鹿肉の調理はヴェロスに任せ、明日のために一頭は燻製に、もう一頭は今夜中に食べることにした。臭みを取るために十数種のハーブを使い、ブラックペッパーと塩を十分に揉みこんだ。じっくりと焼くために、ヴェロスは外に出て燻製の隣で肉を焼き始めた。
その香ばしい匂いに皆釣られ、次々に空腹を訴えてきた。
テーブルがないため、橙黄の国様式に床に料理を広げて食べることにした。
オスカーが用意したのは秋の果実のパイ、鴨肉と鹿肉のパイ。具沢山のスープ、甘辛いソースで味付けした鴨肉のロースト。ヴェロスは道中に実っていた葡萄を使いジュースを作り、じっくりと焼いた鹿肉を大皿に盛りつけた。
暖炉の前で料理を中心にして皆で囲むようにして座った。
リャン、リゲル、ヴェロス、アリスタ、カルマ、シリウス、テオ、フィオーレ、オスカーの並びだ。
「このスープ、とても美味しいです」
「香辛料と、このチップが効いているな。体が温まる」
フィオーレとテオはスープが気に入ったようで二杯目をおかわりした。
「そのチップは千草の国名産のアジだぜ。俺の土産物が役に立つとはな。それよりこのパイ最高だな!」
パイはアリスタとカルマの取り合いになり、シリウスは葡萄のジュースをほとんど独り占めした。小食であるリゲルとリャンもしっかりと食べている。やはり王都からここまでの道中は厳しく体力もそれなりに消耗したのだろう。
オスカーは思わず鹿肉を口にして、手を止めた。
「こんなに狩って大丈夫だったのかな」
虫がたからないように解体はして保存はしてあるが、鹿も一頭、鴨も三羽残っている。
「肥えた鹿を狩らねば、次の春には木の実が消えると言うからな」
テオの言葉にオスカーは首を傾げた。
「それも、古くから言い伝えられていることなの?」
「生けるものを殺してはならない。そういうお優しい王がいて、森から一つも木の実が取れなくなったことがあるそうですよ」
―――信仰王ピュルゴス。
その御代であるならば、遠い昔のことではない。
「生命の死を悪ととらえたかの王は、民に食肉を禁じたのです。それでも肉を口にした民は投獄され、牢獄には罪人があふれ、その罪人の維持に税を使い尽くしたと聞きました」
フィオーレはオスカーにだけ聞こえる声の大きさで話しを続けた。食事に夢中なシリウスと他の七星卿にはあまり聞かれたくないことなのだろう。
「ピュルゴス王はグラシアール教に否定的でした。命を奪ってはいけないというラノメノ教にのめりこんだからです。『殺さない』教え、それは確かに正しいことなのでしょう。しかしグラシアール教が血肉を好む闘いの宗教だと教え、肉を口にした者を罰するのは度が過ぎていると、私は思います」
私利私欲のために強盗し、親子を殺した殺人鬼でさえも刑を執行せず、牢の中で肥やし続けた。結果、失った者に恵みを与えず、奪った者を野放しにすることになる治安の低下を招いたのである。
「死は確かに悲しいことです。しかし死んだ者に未来がないことを説かなかったラノメノ教に正義があるとは私には思えません。飛躍した話ですが、死があるからこそ生の尊さを感じることができる、人である以上は、それを理解しなくては―――」
その眼差しは真剣そのもので、彼が見てきたものの壮絶さを物語っている気がした。しかし彼はまだ齢十。まるで数十年と生きた聖人が長い人生で辿り着き、導いた答えのようだった。
「フィオーレ、君は………」
本当に一体何者なんだ、そう問う前にフィオーレはいつもの優しい笑顔に戻った。
「手を止めてしまってすみません。せっかく作ってくださった料理が冷めてしまいますね」
深淵にも似た彼の死生観に、オスカーはただ困惑した。