第55話 真実の声(2)
グラン・シャル王国の秋は狩りで始まる。
王が角笛を吹けば今年の狩猟解禁を告げる慣わしがあるが、今は王の代行として領主たちが角笛を吹くことが主流になっていた。
畔に集まる鴨の群れを、リゲルの薄氷色の目は鷹の目のように得物を捕らえた。
乗馬したまま海飛竜の骨でできた弓をつがえ、放った矢は見事、飛び立つ鴨を射止めた。
ウサギのための罠を回収したアリスタは真横に落ちてきた鴨を見て飛び上がった。
「おい! 場所を考えろよ! 俺に当たったらどうしてくれんだ! 腕前を自慢したいだけなんだろうが!」
「考えた上で放っただけだ」
「成程な、考えたならしょうがない。ってなると思うか?」
どうやらアリスタは罠が不発に終わったらしく、八つ当たりも兼ねて抗議した。
「ここにいたか」
テオドロスが藪から仕留めた鹿の足を束ねて肩に抱えて現れた。威圧感にクマが出たのかと思う程の威圧感である。
「さっき鹿の聖獣を見たばかりでよく狩れるな」
「そうは言っても、俺の目には映らなかった。それに、カルマはよく食べるから鹿一頭では足りないかもしれないぞ。それより、二人とも陛下を見なかったか?」
テオは鹿を下ろし、リラ(シリウスの馬)とミザリエル(テオの馬)の手綱を取った。
「あん? 陛下の傍を離れるわけにはいかないとか言って、この人でなしと俺を組ませたのはあんただろうが」
アリスタは誰と組んでも文句を言うことには違いない。しかし、狩りの最中とはいえ、馬も使わずに最強の称号を持つ騎士の目をかいくぐるなど少女にしては相当な脚力だ。それくらいのことはやってのけるだろうと身に染みて理解しているアリスタは大して驚きもしなかった。
「あまり声を上げるな。得物に逃げられるぞ」
顔に泥で汚したシリウスの手には自らで仕留めた鹿一頭とウサギ二羽が握られていた。
一国を治める王ではなくもはや野生児だ。三人の手柄を見て、シリウスは眉間にしわを寄せた。
「謙虚すぎるのも問題だな。私を立てるつもりで手を抜いたのか?」
嫌味のつもりではないが故にたちが悪い。
四人は各々の成果を手に狩猟小屋を目指した。
トニトルス領には複数の狩猟小屋がある。昔は貴族の道楽のためにといくつも作られたようだが、今は誰にも使われない寂れたものだ。
「随分立派な造りだな」
丸太で積み上げられた三角屋根のバンガローだ。十人は眠れる程のスペース、高い天井、解体できる程の調理場。埃を被った謎の絵画に彫刻。前任の利用者の趣味がよく分からない。上質なカーペットをそのままにしているところから随分と身分が高い者が利用していたのだろうと予想がつく。
二日滞在するつもりであるため、寝泊まり出来るように整えるには人手がいる。意外にもアリスタとカルマがテキパキと窓を開けて掃除に取り掛かった。馬の世話にはテオとフィオーレがあたり、オスカーはヴェロスと共に調理場に駆り出された。
ヴェロスが解体作業をしている間に、オスカーは仕込みに取り掛かる。暗殺未遂事件があってから調理場に立つことがなかったために任されることになるとは予想していなかった。慌ただしくしているが故に反論できない。
調理台も随分と汚れていたため、オスカーとヴェロスはまずはそこの掃除から取り掛かった。下ごしらえができるくらいには綺麗にせねばならない。
毛布の埃を落とし終えたアリスタとカルマがひょっこりと調理場に顔を出した。
「なあ、腹減った。まだできねぇの」
「さっきの軽食の残りならあるけど」
「下ごしらえは済んだ」
「おまっ、そのまま近づいてくんな!」
解体を終えたヴェロスの血まみれた手に、アリスタは顔色を真っ青にした。
「意外だな、貴殿は血肉を好む海賊かと思っていたが。今年一番の驚きだな」
リゲルと薪を集めていたリャンが調理場に入り、愉快だとアリスタをからかった。
言い返す気力もない程にぐったりとしたアリスタに、カルマはとことこと近づいた。
「アリスタ、さっき淹れたローズティーだよ」
「ありがと、カルマ」
弱りきって口数の少ないアリスタは珍しい。吐き気を催しているのか、口を手で覆っている。
「確かに、これは良いものを見たな」
どこに行っていたのかと思ったが、どうやらシリウスは自分だけ先に水浴びをしてきたらしい。血と泥にまみれていた体がすっかり綺麗になっている。すぐに汚すくせに風呂や水浴びは欠かさない。皆が掃除や片付けをしている間に自分勝手なことをするなんて、女王らしい貫録である。軽装から麻布をたっぷりと使ったモスグリーンのワンピースドレスに着替えていた。
「私にもローズティーをくれないか、カルマ。この時期の水浴びは流石にこたえた」
リゲルが暖炉に薪をくべて部屋を暖めていたおかげでシリウスは風邪を引かずに済みそうだ。アリスタとカルマを連れ立ってシリウスは暖炉でローズティーを堪能した。
「————っ」
アリスタの真横にシリウスが座ったものだから、彼は動揺を隠せずにいた。
「成程な、そうやって女王の気を引く算段か、アリスタ卿」
「っち、ちがう!」
顔を真っ赤にするアリスタに対してシリウスはあっけらかんとしていた。
「そうだぞ、私の関心が欲しいなら、貴殿こそ弱みを見せるべきだ、リャン卿」
「これは痛いところをつかれた」
一日一度は誰かをからかわねば死ぬ呪いでもかかっているのかと思う程に、リャンは軽口をたたく。最近はアリスタがいい標的になっているらしい。
ほんの少し前までは小国の王だった子息たちや血縁者であるにも関わらず、彼らは使用人のようなことを強いても文句一つ言わない。オスカーにとってそれは僥倖であった。
後に知ることになるが、グラン・シャル王国の貴族と呼ばれる家柄に生まれた男子ならば、剣術、馬術同様に料理や身の回りのことはできるように教育を受けることが慣わしであることも理由の一つだった。