第52話 遠乗り(2)
日が高くなり、ケヤキの木陰で昼食のため休憩を取ることになった。
案の定、慣れない乗馬をしたアリスタとオスカーは干されたイモのようにぐったりとした。
「尻と腿が痛い」
「腰が痛い」
「いい様だな、二人とも」
シリウスはにやにやと勝ち誇った顔で二人を見下ろした。
「しかし小腹が空いたな。オスカー持ってきているか」
「あ、ああ。干しイチジクね。えっと………カルマ、ごめん。クラウディ(オスカーの馬)に乗せてある麻袋取ってもらっていいかな?」
カルマから受け取ったシリウスは、袋の中のものを一つアリスタの前に差し出した。
「ん」
「えっと、これは?」
アリスタは珍しく狼狽えた。
「見て分かるだろ、イチジクだ。疲労回復によく効く。カルマ、全員に渡しておけ。一人で全部食べるなよ」
どうも、と小さく返事をしたアリスタはちまちまとその干しイチジクを食べた。
———ピィー。
遠くで鳴った指笛に一同は振り返った。次の休憩場所まで先行していたテオが戻ってきたのである。
リャンは手持ちのキセルの煙を風下に吐いた。
「どうだった、騎士殿」
「異常はなかった。追跡の心配もないだろう。だが待ち伏せの可能性は捨てきれない。次の先行はアリスタがヴェロスに任せたいんだが―――」
水を飲み一息ついたテオは二人に視線をやったが、リャンは首を振った。
「アリスタ卿は使えん。アザラシの方が役に立つ」
「誰がアザラシ以下だ! 海の獅子をなめるなよ!」
そう豪語するもアリスタの足腰はフラフラとおぼつかない。
「叫んだり黙ったり、叫んだり………。忙しい奴だな」
ヴェロスはテオから地図を受け取り、馬に跨った。
「次の先行は俺とヴェロス卿で行こう。構わないな、陛下?」
「ああ、任せた」
リャンとヴェロスは少しの休憩の後に平原の先にあるトニトルス領に入る深い森へと迂回した。
「ですが、本当によろしかったのですか? 東の林を抜ければ村へ出ます。今夜は野営よりもそこで休憩された方が―――」
「トニトルスの狩場はこの平原と森を越えればすぐにつく」
「テオドロス卿の言う通り、今更ではございますが、トニトルス領の森は呪われております。領主のトニトルス卿は王国や小評議会の命令も無視し続けていて、先王のご不興を買ったとか」
フィオーレの不安も最もだ。トニトルス領は王国の中でも不義のレッテルを貼られていた。
「狩場についた途端、首を跳ねられるんじゃないのか?」
「リゲル卿に同意見です、陛下。トニトルス卿と手を組んで兵力を送り込んでいる可能性もあります」
それでも剣を持った飛龍の騎士がいれば道行の不安はない。平民のような恰好をしていても、各々武器を携えている。護身の心配はないが―――。
「つまり、行き先にトニトルスを選んだことに不満がある、と」
「はい! 俺は大いにあるね!」
威勢よく挙手したアリスタに、シリウスとリゲルはため息をついた。リャンからストールを借りておいて、まだ寒いと文句を言う。
「二人が戻ったら話す。恐らくもう出会っているかもしれないが」
―――出会う?
我々を出迎えてくれる者でもいるというのだろうか? しかしトニトルス領は森を抜けなくてはならない。偏屈者として有名はトニトルス卿がわざわざ忍んできた女王と七星卿と関わることをするだろうか。
もったいぶるシリウス以外、頭を傾げた。
「———って、カルマ! バケットは夜に食べるものだから! 大人しくしていると思ったらいつもこれだ。出発前に渡した焼き菓子は?」
「もう食べた。陛下にも分けたんだ」
「————」
オスカーはシリウスをジト目で睨んだが、食べ終わったカルマが満足気に破顔した。
「すごくおいしかった!」
「これは剣の持ち方よりも前に自分で食事を作ることを覚えさせた方がよさそうだ」
軽食を取り終わり、馬に水をやった後、皆、遠くからの指笛に耳をそばだてた。
*
明け方に走り抜けた林とは異なり、昼間にも関わらず日の光が届かない深い森。
馬で通れる程の道は作られているが、馬が駆けられる程に整備はされていない。
この深い森に正式な名前はない。地図にはただ「許可なく踏み入るな」とだけ記されている。女王の名の元であればどんな道であれ進むことは可能だろう。
岩を根で覆い歪に成長した大木、湿り気を帯びた空気、木々と岩を覆う苔。
豊かな自然の森であるのに、生き物の姿がほとんど見当たらなかった。
この季節の夜明けには濃い霧がかかり、冬眠前のクマが出ることがある。それに山賊のような輩も森を根城にしている可能性も捨てきれない。
ヴェロスは左右に携えた剣の柄に手を添えた。一方でリャンはゆっくり進むのをいいことにキセルをくゆらせている。隙さえあれば煙草を嗜む黒曜人に、ヴェロスは不信感を抱いていた。
「どうして俺を指名した」
「貴殿も休みたかったのか?」
あの場で断ることはできない。元より先行の偵察は二人一組、交代で行う予定だった。アリスタの代わりにと名乗り出た親切心を無下に出来る程、ヴェロスは機転が利かなかった。
「何、貴殿に聞きたいことがあってな。都合よくアリスタ卿が伸びてくれたから時間を有効に使っただけだ」
「………」
「そんなにあの小娘の評価が気になるか? ヴェロス卿」
「…………」
臣下を思いやり、あくまで平等でいようと努力する姿勢。王という立場を笠に着て権力を振るうこともなければ、寵臣に執務を押し付けることもない。しかしそれ故に不気味に感じたのはヴェロスだけではないはずだ。
「あんたくらいだ、あの女を女王と認めているのは」
リャンは喉を鳴らした。
「ほう、どうしてそう思う? 飛龍の騎士こそ女王に心酔しているようだが? 俺にそれ程の忠誠心があると?」
「あの騎士は、憐れんでいるだけだ。相応しいと思っていても、やはり玉座には子どもがつくべきではないと思っている」
成程、とリャンはヴェロスの慧眼に舌を巻いた。何も語らぬ男かと思えばなかなかに思慮深い。語らぬだけで能無しではないと道中の楽しみが増えたことにリャンは笑みがこぼれた。
「何故、貴殿を選んだのかときいたな。それは七星卿の中で我々が最も玉座から遠いからだ。忘れられた者に、サザーダ人。我々程、王都に歓迎されてはいない者はないだろう」
西の統治者である紅の国と青の国、グラシアール教総本山の白の国があれば、それで王国の政治は成り立つと言っても過言ではない。
「疑われているのか?」
「何故か女王は我々を信頼しているが、小評議会はそうはいかない。暗殺未遂とは関係なく、厄介者と思っているらしい」
「特に貴殿は頭がきれる。小評議会にとっては目の上のこぶだろうな」
よく分かっているじゃないか、とリャンは笑い飛ばした。
「貴殿にとって王に必要なものは何だと思う、ヴェロス卿?」
「………」
「道は長い。年長者との会話に付き合うくらいの愛嬌は見せたらどうだ?」
ヴェロスは思案する素振りすらせずに淡々と答えた。
「民の信頼、臣下の忠誠心、愛国心」
「成程、模範的な回答だ。だが、俺はそうは思わん。
良き王とは、どんな所業をしても仕えた者を失望させない者。俺があの娘を認めているように見えるのは、あの娘が俺を飽きさせぬからだ」
「アリスタと同じようなことを言うのだな………」
「それは光栄なことだな」
貴殿もいつか分かる日が来る、と告げたリャンの言葉をヴェロスは忘れることはなかった。
十分な偵察は出来たと引き返そうとしたが、グレン(リャンの牝馬)とハイドレンジア(ヴェロスの牝馬)が足踏みをした。
従順なハイドレンジアですらヴェロスの命令に従わず、首を振った。
「何だ、これは」
二人の周りに青白く光るものが纏わりつき、次第に増殖していった。
―――白い、蝶だ。