第47話 究明する魔術師(4)
リャンの果実の皮の声はオスカーの頭に深く響いた。恐怖をかき乱すような声色は、オスカーの脳裏に刻まれた言葉が蘇らせる。
―――何もしないことが正しいと思っている。
―――俺はあいつを信用していない。
そしてそれすらも取り戻そうとして失敗した。
それでも………。
―――あなたはもっとあなたの価値を、意義を、私たちに見せてもいいのです。
―――今度は僕がオスカーを助ける。
―――忠誠のひとかけらを君に。
「———っ」
非難も罵声も、彼らの言葉はこれから進む道の糧であり、踏み出す勇気となる。
―――私はお前を信じている。
リャンの問いに対するオスカーの答えは決まっている。
小瓶を遠ざけ、オスカーは立ち上がった。それでもリャンの目線には届かない。オスカーは深呼吸を一つした。
「リャン卿。いえ、リャン。僕はそれを飲むことも、忘れることもできない」
リャンの黒い目が少し大きく見開いた。初めて見る彼の驚いた表情に、オスカーはほんの少しの高揚感が湧いてくることに気が付いた。
「ここで僕が死んだら、僕の死にリャンが疑われる。シリウスを狙っている奴がまだ王都に、いや城にいるのなら、この状態で疑われている僕が死ねば、僕はシリウスを殺そうなんて思ってない。けれど、僕に疑いがかかっている今が、犯人の尻尾を掴むチャンスなんじゃないのか? そんな僕を利用しないなんて、あなたらしくない。それにここで僕を試したのはその価値が僕にあるかどうか確かめるためじゃないのか?」
オスカーの言葉にリャンは声を上げて笑い、片手で顔を覆った。
「っく、ははは! 全く………なかなかどうして!」
リャンは一人で何かに納得し、黒く長い髪を結わえた紐をほどいた。
「いい覚悟だ。お前が一度でも女王の名を使って助けを求める真似をすれば、無理矢理にでも呑ませていたがな」
リャンならば本当に実行しそうで、オスカーは苦笑いし、体の力が抜けて床に腰を下ろした。
「リゲル卿は、お前のそういうところを買っていた」
そんなわけがあるか、とオスカーは無言で睨んだが、リャンは納得しないオスカーに首を傾げた。
「あの男は他人どころか自分の本心すらも偽る癖があるからな、大目に見てやれ」
大人な余裕などないオスカーからすれば、リゲルの心中など推し量れるものではない。
リャンとリゲルが交流していたことは知る由もないが、少なくともオスカー同様にリャンは嫌煙されていたはずだ。
リャンは小瓶を使った調味料のように棚に戻した。
どれも致死性の毒物らしく、オスカーに差し出したフレイの雫も適当に選んだものだというから、オスカーは後から肝が冷えた。
「まさかと思うけれど、城内で毒物を作っていることはないよね?」
「城内以外のどこで作れというんだ。それにこれは黒の国から持ち込んだものだ」
リャンは王都にやってきてから黒の国から届け物を受け取ってはいない。そもそも母国からリャン宛に届く荷物などなかった。確かに武器を持ち込むことは禁じられていたが、毒物はそうではなかった。条件の穴をついた姑息さに、オスカーは呆れた。
「そういえば、シリウスの護衛の順番の意味って」
女王陛下ではなくシリウスと呼んだことが気になったのだろうか。リャンは少し反応が遅れた。
「———ああ、そうだったな」
リャンは毒薬が並べられた棚から茶葉が入った瓶を取り、沸かした湯を注いだ。茶葉の隣には干からびた蛇や骨が入った瓶の隣にあったのだが、本当に見分けられているのか不安になる。
注がれたお茶の水面には白く小さな花が浮かび、お茶請けにと出された焼き菓子は、しっとりと柔らかい甘く味付けされていて、王国ではあまり口にしないものだった。
「口留めをされていたが、お前の度胸の褒美だ。女王も許してくれるだろうよ。今日はフィオーレ卿、明日は俺が女王の護衛だ。お前に接触した者が次の日は女王の護衛をしていると見せつけている。我々がお前を見ていると周りに強調させること、そして、お前の様子を女王に報告させることが目的だ。まあ、つまりはお前を虐めていないか、けん制するためだな」
「え?」
「あの女王は賢い。自身に権力がないことを自覚し、そして権力にだけ頼ればこの戦いに勝利の道はないこともわきまえている。十歳の小娘が辿り着くことなどない領域。その思考は最早、執念に近い狂気と言っていい。生来のものか、余程の信念があるのか俺はそこに興味がある。初めはお前が女王を傀儡にしているのかと思ったが、あてが外れた」
いい意味でな、とリャンは付け加えた。
「———知らなかった」
「お前に知られては困るからな、口留めすることにしたのさ」
それを反古にしてでもリャンはオスカーを試して、そして真実の一つを打ち明けてくれた。
「リャン、僕は今まであなたを誤解していた。とてもおっかなくて、危ない人だと思っていて、避けていた」
カルマの治療をしてくれたにも関わらず、その時に見た小瓶が恐ろしくて、謀略の国の出身というだけでリャンを疑っていた。方法は違えど、テオの次に年長者の七星卿の彼は、若輩者を導こうとしている。リゲルを気に掛けているのもそのためだろうか。
「女王は理性的でありながら、その実、私情がすぎる。女王の護衛とお前の見張りの順番など、贔屓に他ならない」
リャンは窓の外へキセルの煙を吐いた。
「それって悪いことなんですか?」
「ああ。統治者としては致命的だな。先王のギルガラス王は道楽にかまけたが、あの女王は私情を政治に持ち込みすぎる。厄介なのは女王自身がそれを私情だと気が付いていないことだ。そうだと気が付かないまま玉座に座り続ければ、それはただの自己満足だ。欲求不満を統治という形で満たしているに過ぎない。今回のことと、レモンの船旅がいい例だ」
天災により果実が不足している橙黄の国へ、遠方の青の国から千草の国の船を使って届けさせるという女王の命令の発端は、ヴェロスからの進言だった。
困っている人を助けようとする姿勢はまさに王に相応しいと、オスカーは思うのだが、その考えはリャンからすれば浅はか、ということらしい。
「シリウスは、ヴェロスや、他の七星卿に好かれようとして、政治をしているってことですか?」
「そうだ。たかだか果実のためにいくつもの小国を動かすなど、他の国からすればいい迷惑だ」
「じゃあ、リャンにとっていい王様は?」
「そんなもの、俺が知るわけがない。良き王の見本なんて時の流れや国の規模によっても違う。ただ、暗君ならばわかる。それは、臣下や民から諦められた王だ」
この王には何を言っても無駄、話が通じない、何を成そうともできない、頼ることなどできない。そんな王になればどうなるのか。
彼女が一人で玉座に座り続け、臣下はそれに誰も耳を傾けない未来。オスカーは想像しただけで背筋が凍った。
「まあ、小国を配下に置いた今、否が応でも頼らざるを得まいが………」
「………」
幼い、女、小国を統合するという新体制。
その三重苦を乗り越えられる程、玉座に座り続けることは甘くはない。
分かってはいたことだが、謀略の国で過ごしたリャンの言葉の重みはやはり違う。