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第45話 究明する魔術師(2)

 北の居館。

 城内で王立図書館に最も近い渡り廊下を持ち、古くより研究室(アトリエ)がいくつも存在している。

 日差しが届きにくいため、蔵書や研究の扱いには最適ではあるが、人が生活するには不自由が多い場所だ。元来、王族お付きの医者が駐在しているものだが、今はいない。

 七星卿には東か西の居館を宛がったのだが、リャンはどちらも選ばなかった。そしていつの間にか、先王以前に仕えていたらしい医者の部屋を自室にし、一日のほとんどをそこで過ごしているという。その医者は首をくくって自殺したという噂から、後にその部屋を使いたがる者など当然おらず、私物もそのままで片付けなどされてすらいなかった。

 リャンはそれが良いのだと言った。

 必要最低限の物しかないフィオーレの部屋と違い、リャンの部屋は物で溢れていた。

 天井に描かれた謎の海図。

 積み上げられた蔵書、鮮やかに光る鉱石が閉じ込められた瓶、天井から吊るされている乾燥させた植物たち、見たこともない複雑な器具。

 昼間であっても日の光が届くことのない地下室のような場所、まさに魔術師の研究所だ。

 こんなところで寝起きしていては、不健全ではないだろうかと思ったが、寝具は見当たらない。寝室は別にあるのだろう。適当に座れと言われたが、座る場所などない。立ち尽くしかないオスカーはリャンからお茶を渡されたが、置くことができず右往左往していた。出された茶は、王都では目にすることのない黒の国のもので、小国の名に相応しく黒々としたものだが、濁りはない。そして何より紅茶にも負けない香ばしい匂いがする。しかし、とオスカーはカップに口を付けることを躊躇った。

「………」

「毒殺者だと疑われた者がこの部屋で毒殺されるのも面白いが、俺はもう少し派手な方法を好む」

「…………」

 リャンは蔵書を積み上げて椅子がわりにとオスカーへ進めた。リャンは椅子どころか器具が並ぶ机に身軽に腰をかけた。

リャンに促され、オスカーは今日の出来事の子細を話した。明日にはリャンの耳にも届くだろうが、オスカーの見張り役を任されている以上、他の七星卿よりも遅れて知ることになる。そういう言い分のためオスカーも口を閉ざすわけにはいかなかった。

 ポットに入った黒い茶を飲み切った頃には話し終えて、リャンは成程、とつまらないような返事をした。どうやら彼の期待に応えられるような内容ではなかったらしい。

「二人は野蛮な騎士に喧嘩を売ったその報いを受けた。自業自得というものだ」

 彼なりに慰めているつもりなのだろう。

「しかし、飛龍の騎士には呆れたものだ。除名された騎士から剣の回収をし忘れるなど、女王陛下にどういう言い訳をするのか楽しみだ」

「テオならさっき女王に報告していたと………」

「テオ?」

 愛称で呼んでしまったことに、オスカーはすぐに気づかず戸惑ったが、リャンは大して気にしていないらしい。

「女王陛下には会ったのか?」

「———話してはいない、ですけれど」

 知っているくせにわざと聞いてくるような言い回しに、オスカーは少し苛立った。

「それで? アリスタ卿に言い負かされたということか。あの男もなかなか味な真似をしてくれる」

 人の不幸は蜜の味とばかりに、リャンは黒曜人の象徴たる黒い目を細めた。

 リャンは消えかけた蝋燭に火を灯した。蝋燭の芯に触れただけで花が咲くように炎が散った。ヴェロス同様、リャンにも炎の魔術が使えるのだろう。

 しかし未だにリャンがオスカーを自室に招いた真意が分からない。昼間の出来事だけを知るためだけとは思えない。

「明日の女王陛下の護衛は、アリスタ卿とヴェロス卿だ。まあ、ヴェロス卿は無理であろうが。さて、その意味が分かるか、オスカー卿」

 女王の護衛役と問いかけに何の意味があるのか。

「———分からない」

 眠気はないのに、頭が正常に回らない。

「頭も働かさず、体も動かさず。黙っていれば女王や飛龍の騎士が庇ってくれるだろう。いつまでもそうやって甘えていればいい」

「………」

 矢継ぎ早にリャンはオスカーの言葉も待たずに畳みかけた。

「真実を言わないということは、嘘をつき続けていることと同じ。お前が信頼されていないのは、お前が自分に嘘をつき続けているからだ」

―――約束、ですよ。

 言葉は違っても、フィオーレも同じことを言っていた。

「俺たちの信頼を得た気になって、従順なフリをしていたのはさぞいい気分だろうな。女王はこんな愚鈍な男のどこを気に入ったのやら、俺には皆目見当もつかない」

 興味がそがれたと、長く深いため息をついたリャンは、オスカーに部屋を出ていくよう促した。

―――嘘つき。

―――何もしないことが正しいと思っている。

「期待外れだ」

溜め込んでいた何かがオスカーの中で爆発した。

「僕だって………僕だって好きで自分のことを隠しているんじゃない!」

「皆の顔色を伺って、機嫌を取って! こんな馬鹿みたいに怯えた生活なんて、もううんざりだ!」

 喉が千切れるくらい叫んだせいで、眩暈がオスカーを襲った。

 リャンは驚く素振りすらなく、ただオスカーの言葉の続きを待っている。

 言ってしまおうか、全てを。

「———っ」

 リャンの背後に立つその影に、オスカーは息を呑んだ。

―――嘘だ。

 亜麻色のストレートヘア。壮年にも関わらず若く細身で、老いを知らないその姿。

 そして自分と同じ金色の瞳。

 エミール。

 リャンには見えていない。つまりは僕だけの幻覚だ。そう、彼がここにいるはずはない。

 だけど、彼は確かにそこにいてオスカーを見つめている。

 彼は口元に指を立て、オスカーを見つめた。

 沈黙を貫き通せというのか、ここまで来て!

 僕の名付け親であり、生まれた時からの理解者であるあなたは―――。

 声を聞かなくても隣にいるだけで伝わったあなたの気持ちが今は分からない。

 人形みたいに、静止した絵のように、エミールは動かない。

「———何も………言うなってこと?」

 エミールは目を伏せ、オスカーに沈黙を求めた。

 僕の疑問には何でも答えてくれる、あなたがどうして。

―――よりにもよって何であなたが僕を苦しめるんだ………。

視界が歪み、手を伸ばせば届くところにいるあなたに僕は触れられない。

霧のようにエミールの姿は消え、オスカーの視界は暗転した。

ここにいる意味が本当にあるのなら。

「———どうして、僕をここへ連れてきたんだ、エミール!」

 オスカーの叫びは虚空に消えた。



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