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第42話 軋轢のはじまり(4)

「さっきから俺をジロジロ見やがって。ガキがこんなところうろついてじゃねぇよ」 

 トラッド自らオスカーたちの前に立ちはだかった。気が付かないうちに先回りされていたのだ。

「これは失礼」

「お前、どこかで見た顔だな」

 アリスタの機転が裏目に出た。トラッドは思い出そうとアリスタの顔をじっと見た。

 この場に似つかわしくない若く爽やかな声がした。

「トラッドさん、待って下さい」

 行商人の青年がトラッドとオスカーたち三人の間に割って入り、庇うように両手を広げた。ヴェロスよりも少し年長で物腰の柔らかい。彼は裏の人間には見えない程利発的な好印象を与えた。銅茶色(ブロンズブラウン)の髪と目がそれを強調しているようだ。

「横取りすんなよ、サンディ」

 顔見知りなのかトラッドもその青年の態度に少し怯んだ。

「たかが子どもですよ、きっと中央広場の周り道をして迷ったんでしょう」

「子どもじゃねぇ!」

 と反論したアリスタの頭をヴェロスはすかさず叩いた。奴隷に扮しているにも関わらず主人の頭を叩くなど、傍から見たら異様な光景だ。オスカーには見慣れていても、トラッドとサンディという青年には不自然に映ったはずだ。

 青年はため息をついて、子どもを叱る母親のように自らの腰に手を当てた。

「君たち、行商人でも奴隷でもないだろう、見ればわかる。子どもがこんなところに来ちゃいけない。俺が外まで連れて行ってやるから。それでいいですね、トラッドさん」

「ああ、ああ。もう好きにしろ。行っちまえ!」

 青年の簡単な提案にトラッドは悪態をつきながらもすんなりと受け入れた。

 ここで騒ぎを大きくするわけには行かない。

 三人で目を交差させ、サンディと呼ばれた青年の後を大人しくついていった。一旦、この街角を離れるべきだろう。

 中央からは大きく迂回する抜け道があると青年は親切に三人をエスコートした。

 確かに野蛮な男たちの姿が減り始め、人の気配がない路地へと進んでいく。

 しかしここでオスカーはここで最大の過ちを犯す。三人が安全に帰還できる選択肢を一つ失い、沈黙を破ったこの喉を裂いてしまえば良かったと、後悔することになる。

 オスカーは、慣れたように通りをすいすいと進むサンディの後ろ姿がどうにも気になった。不審に映ったと言ってもいい。

「僕、あなたとどこかで会いませんでしたか?」

 サンディは少し驚いた表情を見せたが、すぐに顔を背けた。

「初めてだと思うけれど? どうしてそんなことを聞くんだい?」

 この声、やっぱり聞き覚えがある。しかしいい印象がないのはどうしてだろう。体が本能的に危険だと、心臓が警鐘を鳴らしている。

 遠い記憶ではない。ついこの間———。

「————っ」

 蘇るのは襲い掛かる剣と槍。覆面。

 オスカーは血の気が引いた。

―――カルマと僕を襲った奴らにいた男。負傷した首元も間違いようのない。エレクトラで叩かれた一人の男と面影が重なった。

「い、いえ。やっぱり僕の勘違いでした」

 体の芯から続く声の震えが止まらない。

 サンディの足が止まった。街角の外へはまだ先のはずだ。

 彼は生来のものなのか、おっとりとした爽やかな声でオスカーに語り掛け、そして盛大なため息をついた。

「そうか、君は記憶力がいいな。けど、それが裏目に出ることがある」

 三人が向かう先にあるのは壁。袋小路だ。

「こいつ―――っ」

 はめられたことに、殺気すらも感じられなかった。アリスタとヴェロスは引き返そうとした足をすぐに止めた。

 そこには拍手をしながら現れた一人の男。ジョラス・トラッドだ。

「ようくやったぜ、サンディちゃんよぉ」

「殺さないでくださいよ、トラッドさん。彼らには聞きたいことがあります」

「分かってるって。嬉しいじゃねぇか、そんな顔してよぉ。安心しろよ、お前らの顔を忘れるわけないだろう? 七星卿のアリスタ卿、そしてヴェロス卿。それから女王の犬」

 トラッドは舌なめずりをして剣を構えた。



 善人の皮を被った悪人。いや、自分を悪と思わない善人。

 そんな奴を幾人も見てきたのに、どうして見抜けなかった?

 アリスタは自分の勘が鈍っていることに今更になって気付き、怒りがこみ上げた。

 ヴェロスは足枷を外すと同時に短剣を服の裾から抜いた。

「曲がりなりにも騎士がこんなところで何している?」

「騎士ぃ? はん、女王様に言いつけてやるぞってか? いいぜ、今すぐ呼んでみろよ。助けてぇってな!」

 下品に笑い、トラッドは大振りにヴェロスに切りかかった。短剣でトラッドの剣の軌道を変えていなしたが、短剣と騎士の剣では性能が違いすぎる。トラッドは悲劇の役者のように頭を抱えて嘆いた。

「俺はなぁ、お前らに恩返しがしたいんだよ。散々痛めつけてくれたよなぁ、ヴェロス卿?」

「———ぐっ」

 防戦一方。振りかざし叩きつける剣の力を受け流すので精一杯だ。

 トラッドは愉快に奇声を上げる。アリスタはすかさず自分の短剣をヴェロスに投げて渡した。

「ジョラス・トラッド。つまりあんたはその剣を振りかざすために、騎士になったってことか? あんたを騎士に仕立て上げたのは誰だ!」

 トラッドは憐れみの目をアリスタに向けた。コロコロと変わるこの表情は不気味としか言い表しようのない。

 騎士の箱庭にいた時は、ただの素行の悪い騎士だった。これが本当の奴ならば、この歪んだ本性を隠していたということか。

「アリスタ卿、あんたは口先だけは巧いよなぁ。けど、騎士見習いのガキ共の前で俺に恥をかかせてくれたあんたの言葉は、何を言っても虫唾が走るぜ!」

 トラッドに気を取られていたアリスタは背後のサンディの動きに気が付かなかった。

 腹部を蹴られ、壁に背を打ち付けた。

「———がはっ」

「アリスタ!」

「馬鹿! 逃げろ!」

 駆け寄ろうとしたオスカーを、呻きながらアリスタは制した。今、唯一狙われていないのはオスカー。今、走って逃げれば自分だけは助かる。助けを呼びに行くこともできる。だが、ここはまだ街角の中。逃げて戻って来られる保証はない。

 足がすくんでいるのではない。アリスタの選択は正しい。この人二人を、置いていけない。

 剣先はオスカーに向けられた。

「俺はな、親の顔を忘れても恨みは忘れねえ。女王の犬。オスカーさんよぉ」

 交戦するアリスタとヴェロスは思わずオスカーを見た。

———この人も………。

 どうしてすぐに気が付かなかったんだ。オスカーが唯一、棒切れで倒した男がいた。まさかそれがこの男だったなんて。

「ああ、俺は今心の底から女神グラシアールに感謝している! こんな幸運滅多にない、俺は今敬虔な信徒だぜ!」

 トラッドは高笑いをしてオスカーに振りかざすがヴェロスの短剣によって阻まれる。

「このガキ!」

「オスカー! いいから行け!」

 アリスタは叫んだ。

「でも!」

 トラッドはヴェロスを蹴り上げ、剣はアリスタに向けられた。

 オスカーは思わず駆け出した。それは街角の外にではなく、トラッドに、だ。

「待ってたぜ!」

 トラッドは口角を吊り上げ、剣先をオスカーの頭上から突き刺す構えをした。

 気が付いた時にはもう遅い。

 どうして、怪しいと思った奴に真相を確かめるようなことをしたんだろう。

 どうして、助けを呼びに行かなかったんだろう。

「———ヴェロス!」

短剣が弾かれ、トラッドの剣の切っ先はオスカーを突き飛ばしたヴェロスの腹部に、深々と刺さった。

「トラッドさん、彼らを殺さないようにと言いましたよね?」

「こいつが勝手に飛び込んできたんだ。それに、まだピンピンしてるぜ」

「————っ」

トラッドはヴェロスの頭を踏みつけた。

「いい子ちゃんにしてろよ、サザーダ人風情が」

「危害は加えるつもりはないんです。大人しくついてきてください。アリスタ卿」

 サンディという青年は真剣にアリスタに訴えかけた。トラッドのように下卑たものではない、彼の表情に誠実さに満ちているのが、不気味さを増長させる。

「———はい、そうですかって言うと思うか? 俺たちは偶然ここに来た。それが運よく探していた俺たちと交渉につこうって腹か? それとも、知られたくない何かがここにあってそれを口外しないための賄賂でも渡そうってのか?」

「口留め料、だけではすまないですかね」

「はっ、驚いたぜ。いかれ野郎はそこの騎士かぶれだけじゃなかったらしいな。お断りだぜ、サンディ」

「———状況が分かっていないようですね」

 トドメをさせないことに苛立つトラッドは、剣先をヴェロスの首元でちらつかせた。

「サンディ、もういい。こいつら殺すしかねぇよ」

「はあ、そうですね。仕方ありません。―――っ」」

 ため息交じりにヴェロスが落とした短剣を拾いあげたサンディは、踏みとどまった。



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