第32話 同じ星を見つめる者(6)
金属がぶつかる鈍い音、紅の影。
「———エレクトラ?」
名剣の名をオスカーは思わず口にしていた。
柄の素早い二撃目が男の後頭部に当たり、完全に読み切った剣筋を華麗に避けて蹴り飛ばす。赤子の手をひねるように男たちを撃退したその影は、王国に二つとない無敗の戦士。
「遅れてすまない、オスカー、カルマ」
「————テオ…………」
利発的なとび色の瞳、凛々しい顔立ちから作られる笑みに、オスカーは深く息を漏らした。
「どうしてここに、と言いたげな顔だな」
テオの他に、彼に同行した二人の若い騎士が応戦し、形勢は逆転した。
飛龍の騎士は名剣の切っ先を男たちに向けて声を上げた。
「貴様ら! ここをグラン・シャル王国、シリウス女王の統治下と知っての愚行ならば、言語道断! この飛龍の騎士の剣の味を知りたい者からかかってくるがいい!」
堂々たる騎士の宣言に、男たちはじりじりと後退していった。
無敗の戦士を相手にすれば命がないことを悟ったのだろう。
「———引くぞ」
唯一無傷の男の指示で男たちは、各々負傷した仲間の肩を取り、散り散りになり林の奥へと逃げて行った。
逃すまいと騎士たちは馬にまたがったが、テオはそれを止めた。
「待て、深追いするな」
「ですが、テオドロス卿!」
「ここで逃がせば同じことを繰り返しますぞ」
若い騎士たちの早まった行動をテオドロスは諫めた。
「恐らく奴らだけではない。奴らは一方向ではなく四方に逃げた。このまま誰かを追い、林の中で彷徨えば、不利になるのは我々だ。二人と恩人を連れて王都へ帰還し、陛下の元にご報告が先決だ」
「お言葉ですが―――」
「異論は認めん。敵は彼らだけではない、ということだ」
飛龍の騎士は多くを語らなかったが、若い騎士たちは渋々従った。
女王や七星卿に対して取る態度と違い、今のテオは歴戦の指揮官のようだ。
騎士たちはテオの指示で念のため辺りを警戒している。
オスカーとカルマは緊張の糸が切れて、地面にへたりこんでいた。
「ディグリさん、ケガは?」
「あ、ああ。何ともないさ」
ディグリは口をあんぐりとしたまま、事態が呑み込めずに困惑していた。
興奮して暴れる馬たちを鎮めたテオは、ディグリの前で跪いた。
「仲間をここまで送り届けてくれたこと、御礼申し上げる」
「め、滅相もない!」
ディグリはあわわ、とオスカーとカルマを見比べ、顔を青ざめた。
「騙すような真似をしてしまって、すみません」
「お前さん方一体、飛龍の騎士の仲間? え、どういうことだ?」
これ以上隠すことはできないだろう。
「僕の名前はオスカー。この子はカルマ」
「か、カルマ? 女王の手で蘇ったっていう?」
どうやら噂話は短い間にあちこちに広がっている上に脚色されているらしい。
苦笑いをして、曖昧に肯定したオスカーにディグリは荷馬車から慌てて降りて、三人の前で平伏した。
「し、知らなかったとはいえ、あんな口をきいてしまって!」
「ディグリ殿、と申されたか。王都までご同行いたします。お荷物を届け終わったらこの割符を持ってビーネンコルブ城へお越しになるといい」
王家の紋章が入った割符は、王家直々に報酬を貰うことができる。七星卿全員に渡されたお小遣いのようなものだ。テオはまだそれに手を付けていなかった。それ一つあれば向こう十年は働かずに食べていける額になる。
「で、ですが………」
「機転を利かせて僕らを木樽の中に入れて守ろうとしてくださったんです。僕からも御礼をさせてください」
「素晴らしい。身を挺して子どもを守ろうとされた。行商人であられるのに、騎士道の心もお持ちとは。それで新しい馬車を買われるといい」
飛龍の騎士は感嘆の声を上げ、拒否し続けるディグリに半ば強引に割符を渡した。
そして、騎士たちの護衛の元、荷馬車は再び王都へと進み始めた。
カルマはディグリの横でオスカーに話したアブラナ畑の話を聞き、オスカーはミザリエルに同乗した。
「テオ、割符は良かったの?」
「あの割符は陛下から頂いたものだ。確実にディグリ殿に報酬が渡るよう、俺の方で手配しておく。安心するといい」
「何から何まで、ありがとう」
「気にするな」
オスカーは本題を切り出した。
「テオ、どうしてここに来たのか、教えてもらっても?」
カルマがテオに行き先を伝えていたとしても、タイミングが良すぎる。
「間に合ったのは偶然だ、が………。オスカー、カルマに連れ出されて正解だったな」
「どういう、こと?」
「昨夜、城の中で女中が殺された」
「———え?」
「詳しいことは城に帰って話そう」
道中、オスカーとテオドロスはそれから言葉を交わすことはなかった。
殺されたという女中は使用人が入ることはない、南の見張りの塔の下で朝の騎士たちの巡回の際に発見された。高すぎる塔の上から落ちたため、目をそむけたくなるような顔の潰れ方をしていたため、発見時は誰であるかすぐには特定できなかった。しかし女中たちの部屋に昨夜から行方知れずとなっていた者がおり、服装や身長、髪色から彼女であると断定された。しかし転落死か、自殺か。その真相は分からないままだという。
その女中が誰であるかを知ったオスカーは血の気が引いた。
サジャの木の実の事件の際、オスカーと共に配膳をしていた。ほぼ監禁状態だったオスカーはその日を境に出会うことはなかったが、知らないところで事件が起こっていたことに恐怖が蘇る。
未だ見えない暗い影が僕らの背中に、確実に忍び寄っていた。