第31話 同じ星を見つめる者(5)
アブラナ油の行商人の荷馬車に揺られ、オスカーとカルマは帰路についた。
二人は荷運びの邪魔にならないように樽の端っこに座っていた。
香ばしいのを通り越して油臭くて酔いそうだ。
王国で使われている油には大きく二種類ある。北西部で収穫できるアブラナ油と、南部のオリーブ油。主流はアブラナ油でオリーブ油に比べて安価でサラサラとしている。
蝋燭は貴重なものであったため、夜の灯りを確保するために糸と安価な油の簡易的な方法を用いることが庶民に広がっていた。糸はゆっくり燃えるよう、複雑に編み込まれ、糸の編み方を知らぬ女は嫁げない、と言われる程に生活には欠かせないものになっていた。
初老の行商人ディグリはこの道一筋のベテラン御者らしく、王国全土を巡ってアブラナ油を届けている。鼻がすっかり油に慣れたため、酔うことなどないらしい。
王都までの道、行商人の舌は止まることなく、それこそ油でも塗っているのではないかというくらい話続けた。ライナスとロベールにはディグリと話した後は喉が渇くからと、手土産にジュースを渡されたが、得心がいった。
「アブラナ畑は見たことあるかい?」
「———いえ」
「凄いぞ、麦畑とは違った美しさだ。花の周りを蝶が舞い、子どもたちが畑の周りで踊る。
夜の朧月夜に照らされるアブラナ畑はそりゃあ見事だ。月の光が花に映ったみたいに綺麗だぞ」
「この国はやたらと黄金と名の付くものがお好きな方が多いですね」
「そりゃあ、黄金は王国の象徴だからな! 地に広がる黄金に勝る黄金はないと言われているんだ。王家の石も黄金じゃなくて琥珀なのは庶民に親しまれるためだって話だ。先王のギルガラス様はな、民にあんまり好かれちゃいなかった。だが誰もが目にかけない物を慈しむお方だったのさ。知らねえか? 宮廷画家のコルネリア・ローサ。あの人はギルガラス王がお好きだというアブラナ畑の絵を描いて届けるために、北西のトニトルス領に住まいを移したのさ」
悪評しか聞かないギルガラス王が芸術や情緒に関心があるなど、城にいるオスカーでも聞いたことがなかった。
「その画家はギルガラス王がお亡くなりになったことを大層嘆いてな、今でも黄金の花々を描き続けているって噂さ」
それから順調に荷馬車は進んだ。橋を渡り、林を抜ければ王都が見えてくるはずだ。
「んん?」
「どうしたんです?」
ディグリは馬を減速させ、道の先を凝視している。
「様子がおかしい」
確かに林道の真ん中で人が群がっているようだが、別に珍しいことではない。
「検問、ですかね?」
しかし道の真ん中で検問するなど、あるだろうか。確かに怪しすぎる。
「坊主ども、奥に空の樽がある。その中に入ってろ!」
「え?」
ディグリはどうするのか、と問いかける前に、行商人はオスカーを荷馬車の奥へと押し込めた。
「何があっても出てくるんじゃない! いいな」
鬼気迫る行商人に押されて、オスカーはうたた寝していたカルマを起こして、樽に入れた。小柄なカルマはまだ樽に入れるが、オスカーは流石に入れない。カルマを入れた樽の反対側に息をひそめて、外の様子をうかがった。
ディグリは道をふさぐ集団に一声かけて馬を止めた。
集団は見える限りで八人の男。皆不揃いの恰好で、二人は口元だけが見える仮面を顔に着けている。
―――検問じゃない。
近くに村がないのは確かだ。検問でもなければ村人でもない集団に、ディグリはいち早く察知し、オスカーたちを隠したのだ。オスカーは仮面を着けている男二人のローブの腰の辺りに妙な膨らみがあることに気が付いた。あれはおそらく剣だ。
「オスカー、何があったの?」
「静かにして、カルマ」
オスカーは蓋から頭を出したカルマを静かに叱責し、ディグリと男たちの会話に耳をそばたたせた。
「この中には何がある」
「油樽だ。王都に届けるためのな」
「中を改めさせてもらう」
「おいおい、何の権利があってそんなことをする。お前ら何者だ。名乗らねえくせにひと様の荷物を漁るなんて、昼間から山賊ごっこか?」
ディグリの反論は最もだ。しかし男たちは引き下がらない。
この高圧的で横柄な態度。最悪の予感がオスカーの頭の中で巡った。
―――僕かカルマ、それとも両方を狙っているのか。もしかしたら、本当に―――。
女王暗殺の首謀者、もしくは七星卿の中の誰かの手先。
オスカーは一瞬過った彼らへの猜疑心を振り払った。
ディグリは数でも体格でも勝る男たちに一歩も引かなかった。
「———嫁が見るまで蓋を取るな」
「何だ?」
「油売り商人の決まり文句だ。王都の検問なら知らねえわけがないだろうが」
真正面にいるディグリは彼らが武装していることに気が付いているはずだ。狙いがオスカーかカルマにあるのなら身の安全のために引き渡してしまえばいい。最悪の予感が的中しているのなら、ディグリの善意に甘えてしまっても事態は好転しない。
オスカーは荷馬車の天井に荷下ろし用のつっかえ棒を見つけた。オスカーの身長と同じくらいあるだろうか。
手を伸ばしただけでは届かない。オスカーは深呼吸をして壁を蹴って棒を掴んだ。
「おい、中で何か音がしたぞ」
「改めさせてもらう」
ディグリが制止するのも聞かず、仮面の男が剣を抜いた。
「ディグリさん!」
オスカーは大振りになった男の胸元に棒を突き立てた。跳び出した勢いと体重が棒の先に乗り、男はうめき声をあげて気絶した。棒はぼきりと音を立てて折れてしまい、使いものにならなくなった。
「坊主!」
「————っ」
ディグリの掛け声が間に合わず、背後から蹴られたオスカーは顔から地面に叩きつけられた。
「…………」
男は何かを呟いたが眩暈がするオスカーには聞き取れない。目前に刃が光るのがぼやけて見えた。
「おじさん伏せて!」
カルマは自身が入っていた木樽を持ち上げ、オスカーに迫る男の頭に叩きつけた。二つ目が飛んできたが、それは荷馬車を引く馬たちの頭上を優に越えている。子どもでは持ち上げることなどできない重量だが、カルマは軽々とやってのけ、見事二人目に激突した。
残り五人。
「このガキ!」
オスカーは顔を拭い立ち上がり、気絶した男が落とした剣を拾った。が、カルマの横に迫る男二人の距離には、間に合わない!
「カルマ!」
オスカーの叫び声と同時に、事態は一変した。