第25話 星の名の神童(3)
ようやく議題に入ることになり、オスカーは元より用意していた羊皮紙とインク瓶に刺された羽ペンを手にとった。
女王の戴冠式の日取りである。
司祭長が三名も小評議会にいる理由がまさにその議題のためであった。
王都に存在する、先王ギルガラス王が眠るアカシア神殿。その司祭長が揃って政治的会議に参加するのだから、彼らにとってもただ事ではない。戴冠の儀は代々、神殿で執り行われ、王家と神話が密着している王国にとっては気がかりなことなのだろう。
総本山である女神グラシアールがこの地に降りたとされる地に建てられた最も古いグラシアール神殿。そしてその姉妹神殿はフェーリーンの各地にある。アカシア神殿もその一つであり、王都にあるのはその神殿のみである。
グラシアール神殿は白の国に領地内にあり、故に白の国は敬虔なグラシアール教徒が多く、グラシアール神殿に仕える神官たちこそ崇高な地位を持つ。フィオーレはまさにその神官の一人なのだ。司祭長の三人ですら幼いフィオーレに恭しくお辞儀をする程、白の国の神官は特別ということだ。
「陛下のご意向故、随分と延ばしておりますな。我々としても一刻も早く陛下には王冠を飾っていただきたい。リゲル卿は陛下の真意をご存知でしょうに。何かご心配ごとでもあるのですかな?」
初老近いプランプトン候は、伸びた白いひげをさすりながら、目線をリゲルに戻した。
「ラノメノ教のことでしたら心配は無用かと思いますぞ。暴動を起こす程の力もない。それに武装した兵で囲めば、戴冠式は乗り越えられましょう」
「陛下は武力による弾圧を望んではいない。ラノメノ教と今の七星卿と女王の関係は軋轢を生む種だろう」
司祭長たちは揃って立ち上がった。
「あのような新興宗教、気にする必要はありません、リゲル卿」
「そうです、そうです。まさに女神グラシアールの再誕! かの女神のように陛下がおふるまいになればよろしいのです」
「あの戒律を気にしていてはキリがありません! 体の最初にどこを洗うか、根菜を食べてはならない、雨の日には衣服を洗わなくてはならない、それに―――」
「御三方、お気持ちも事情もようく分かりましたから落ち着いてください!」
シャルル、ミカエラ、ジェルナは口早に熱弁し、まだ言い足りぬ様子だったが議長に遮られた。オスカーとしては中々に面白い主張で、もう少し聞いていたい内容であった。
宗教の解決策は高度なものだ。その土地に根付いてしまえば文化となり歴史となる。
ふむ、とルーサー候は頷いた。
「穏便に済ます。しかし同時に対処法も考えておかねばならんということだな。私からディック候にお伝えしておこう。陛下と七星卿にはリゲル卿から頼みます」
「ああ、心得ている」
しかし、とアルフォンシーノ候は少し顔を曇らせた。
「それだけではなく、王都の各地に変死体が上がっており、それがラノメノ教の仕業ではと噂されているのです」
どういうことだ、と問うプランプトン候にアルフォンシーノ候は懐から汚れた布切れを出した。雪の結晶のように美しい紋様が浅黒く描かれていた。それが血で描かれたものだと分かり、美しくは思えない。
「これは数日前に殺された、南方地区の子どもの死体にあったものだそうです」
評議員全員が驚きの声を上げた。
「これはラノメノ教の紋様。血判ということは戒律違反者の証ですな」
「その子どもはラノメノ教の信者ということは?」
「両親ともに違うことは分かっています。子どもだけではなく、先王の頃からこのような殺人がいくつもありまして………。女王陛下のご即位が分かってからより過激になったようで」
ああ、と評議員たちはどこか腑に落ちたような声を漏らした。被害者の数が増えたのではない。手口が過激になったという。喉はかき切られ、逃げられないように足の骨を折られ、心臓が奪われていて、その被害はこの半年で五人にまで増えているという。弱い立場である子どもを狙う悪辣さ、手口の残虐さに、その文字を記していたオスカーも思わず手を止めてしまった。
「手掛かりがその布切れしかない以上、王都内の巡察を強化するしかありますまい。カルタス候には私からお話申し上げましょう」
プランプトン候はリゲルを一瞥し、腰を上げた。そんな候の姿を見て小評議会がお開きになるのではと司祭長たちは慌てた。
「陛下のご即位は早くても今年の夏の終わりにして頂きませんと、大司祭様も仰せでございます」
「ギルガラス王を神の名とするためにも死の誓約を即刻果たすべきです」
「一年近くも玉座を空けたのは七代目の王、ルル=ガルア様以来です。あの頃の惨事を避けるためにも、と」
七代目の王ルル=ガルア。賢王と呼ばれ、長い後継者争いに勝ち抜き玉座についた。ベルンシュタイン王家で最も強く賢い王とされているが権力に固執し、王者専制を始めた王である。しかし賢王が即位するまでの後継者争いは一年以上に渡り、様々な陰謀や確執を生むことになり、王国を疲弊させたという。
リゲルは少し目線を落として顎に指を添えて少し思いに耽っている。
「いかがなさいましたか、リゲル卿」
いや、と思考の淵からリゲルは戻ってきた。
「それは陛下もご存知だ。だが百五十年前と違い、王家の生き残りは陛下お一人。血ではなく政務を持って王となることをご所望だ」
「先刻、ディック候からお伺いしましたが、レモンの船旅でございますかな? あれには少々驚かされました」
幼い少女が王らしく振舞おうと臣下に命令したかっただけに過ぎない、突飛な発想がまさに少女らしいと評議員たちは嘲笑する。
「即位式、戴冠式の段取りについては引き続き司祭長殿たちに。各小国からの来訪者はディック候、アルフォンシーノ候、七星卿にて対処する。ラノメノ教については陛下にご再考頂き、カルタス候に指示を出す。異論がある者はいるか?」
リゲルの適切なまとめに、一同は動揺したが反論する者はなく、小評議会は五日後に開かれることになった。