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第21話 飛龍の騎士(3)


 用意してもらった軽食を食べることにした。

 リンゴのジュースは喉が喜ぶくらいさっぱりしている。

 切り込みを入れたバケットにスライスした新鮮なオニオン、塩とガーリックで味付けしたローストした鴨肉をはさんだ軽食は、香草で香りづけされていて、食欲をそそった。

 朝食を食べないまま歩き続けていたから、空腹にこの組み合わせは嬉しいものだ。

 狭い部屋の壁ばかり見ていたせいか、見える遠くの景色に目が追い付かない。

 丘からは城壁を超えた先、つまりは王都の外が見えた。

「見えるかい? あれがアカシアの湖、その向こうにはトニトルス領がある。さらに北西にある雪解けの橋を渡ればテレイシオス島に出る。テレイシオスは『女神の足跡』という意味だ。北方の青の国、南方に紅の国に別れて統治している。オスカーは紅の国へ渡ったことはあるか?」

「―――いえ」

「機会があれば行ってみるといい。豊かな国だ」

 オスカーが不愛想な態度を取り続けても騎士は最初から変わらない。ほんの少しの罪悪感で胸が痛んだ。

「紅の国は、どんなところ何ですか?」

 オスカーの問いに騎士は快く答えた。

「知っているだろうが俺の故郷、紅の国はココアニス家が長い間守ってきた領土だ。赤褐色のレンガに、春には赤い花が咲き、秋には赤いリンゴが実る。男たちは狩りを楽しみ、女たちは機を織る。作物も果実も豊かに育ち、南の海からの温かい風が吹く。

 しかしどうだろう。

 俺は人生の半分以上を戦場で過ごした。初めて剣を握ったのは七つ、戦場に出たのは十一の時だ。それから国境線を維持することが俺の務めになった。知っている色は血と灰ばかり。故郷がどれだけ鮮やかで素晴らしいか、正確に答えることはできない。

 紅の国は騎士の国だ。統治者はいても王はいない。独立してからココアニス家に生まれた騎士は国に忠誠を誓っている。いつしか忠を尽くすべきそれが美しく尊いもので、国のために死ぬことこそが誇り、そう思わなければ戦場で剣を握ることすらできない、そんな曖昧なものにすがって戦う国になってしまった」


 紅の国、青の国が統治するテレイシオス島は数百年に渡って戦い続けていた。

 はじまりの王カノープスに仕えた騎士ミザール卿には三人の子どもがいた。テレイシオス島の統治を任された卿には男子が二人と女子が一人。ミザール卿の死後、兄弟は跡目を争い、兄は北、弟は南の統治者となった。兄は後のフローライト家の祖であり、弟は後のココアニス家の祖であった。ミザール卿が従えていたシロワシとドラゴンがそれぞれの家紋となり今の家を形作った。そしてテレイシオス島を分断する形で国境線を引き、数百年経った今でも戦争を続けているのである。

 何年かに一度休戦、停戦のために条約、協定が結ばれているものの、それは数年後には破棄されているのが実情だった。互いの有力者の子息を王都へ送ることはけん制にもなるが、同時に人質ともなる。女王が停戦を命じたところで、数百年に渡る互いの遺恨を簡単に清算できるわけがない。

「ミザール卿の一人娘はエレクトラ。ココアニス家に代々伝わるこの名剣の名と同じだ。彼女の化身こそがその剣であるという説もある。エレクトラは幼くして死に、娘を亡くしたミザール卿が自らの剣に名付けたものだと」

 つまり、名剣エレクトラは飛龍の牙という説は、ココアニスの家紋とテオドロスが飛龍の騎士と呼ばれたためにその説の方が濃厚になったということらしい。確かに数百年前の剣なのに錆びないなんて、飛龍の牙の方が皆納得するだろう。

「リゲル卿のことだが………」

 テオドロスは歯切れ悪く続けた。

「俺はまだ彼とまともに言葉を交わしていない。彼は争いを避けるためにあえて口をきいていないのだろう。まだ若いというのに、年長者たちに引けを取らない想像以上の聡明さだ。だが、陛下が即位されても我々は停戦をしているだけに過ぎない。現に国境線近くでは集落同士の諍いは絶えていない。陛下が城での武器の持ち込みを禁じられたのも我々のことを考慮していたのだろう。どちらかが城で血を流したと知られれば、テレイシオスで再び矢が放たれるだろう。それは万が一にも避けねばならない」

 テオドロスの皿にもサジャの実が盛られていた。もしあのまま彼が口にしていたら、事はあの食堂の中だけで済む話ではない。たった一つの木の実が波紋を呼び、平穏を享受する紅の国、青の国で暮らす人々を巻き込むことになるのだ。

 事態は単純ではないこと、己がいかに王国全土の命運を決める渦中にいるか、オスカーは再認識した。

 微妙なパワーバランスの上にある今の王国に必要な王とは何か、そもそも王は必要なのか。王国の、いやフェーリーンの「これから」は一つの岐路に立たされていた。それも、その選択は一人の少女に託されている。

「王になるべき者が王になるのではなく、なるべくして王になったと王国にお示しになることを陛下はお望みのご様子ではあるが、俺としても陛下にはすぐにでも即位して頂きたい………」

 素質があれど相手は幼い少女。小国の有力者や臣下たちに祀り上げられているに過ぎないその少女に「王」という重責を負わせることに、切望しても後ろめたさがあるのだろう。騎士は葛藤していた。

「陛下に仕えようと思うのは、彼女にその素質があるという理由だけ、ですか? いくらはじまりの王に似ていても、女神グラシアールの現身と称えられても、陛下は……シリウスはそう見えるだけです。僕もシリウスには良き王の資質があるとは思います、けど――――」

 シリウスは日々積極的に学び、王国の未来を考えている。けれどそれは彼女の責任感に頼っているにすぎない。町に行き交う娘たちのように生きる選択肢を、大人の事情で消しているのではないか。そう、彼女は望む自由の道を取り巻く環境が塞いでいるように思えてならない。

「シリウスが王都で生まれ育っていないことはご存知でしょう? 父王も生母もいない少女が本当に王になれると思いますか? あなたなら自ら王になることもできたはずだ」

 名声、実力ともに兼ね備え、多くの騎士を従え信頼されている。ベルンシュタイン王朝が途絶えたとしたのなら、最も玉座に近いのは間違いなくこの騎士なのだ。その野心が少しでもないと言い切れるだろうか。

 しかしその騎士はオスカーの言わんとすることを察し、首を横に振った。

「俺は王に相応しくない。それは俺自身が一番よくわかっている」

 彼はまっすぐ伝える。

「戦うことしかできない男は平和の血肉にはなれない。玉座を望むことは傲慢を通り越して最早それは愚行だ。誰かに望まれても多くの民に支持されても、玉座が俺を拒むだろう。そして俺自身が王になることを望まない。皆が俺に求めるのは戦果で、支持する理由もそこにある。無論、紅の国と青の国の調停役が務まらないことに悔しさを覚えないわけじゃない。自分の手で悪事を清算できないことにも………。しかし家というしがらみも、戦果という罪もないからこそ陛下は王に相応しいと俺は思う」

 騎士のとび色の瞳は王都を、その先を見ていた。

「今、フェーリーンに必要なのは先導者だ。その役目を少女に負わせていることに、何の引け目もないわけじゃない。しかし、相応しい王がこの国を治める時代がくれば戦場がなくなり、騎士は馬から降り、鍛冶屋は鎧や剣の代わりにバケットを切るナイフを作るようになる。俺はその世界を望む。誰にでも平等で優しい世界など夢物語だと分かっている。だが誰かが言わなくてはならない。夢や理想を語り、平和を願いそれを実現すると語るべき人が玉座に座ってほしいと、俺は願ってきた。それがシリウス女王であればいいとそう思う」


―――この人は、度重なる戦場の中、一体何を見てきたのだろう。


 多くの戦績を上げ、戦士たちの心の拠り所になり、称えられる。

 しかし彼はそんな世界を望まないと言った。戦果は過ちであり、そんな未来も作りたくないと。

「君はあの状況で自分ではなく陛下を守ろうとした。そして我々の忠誠を信じ託す口ぶりだった。縋るでも許しを乞うでも、命乞いをするわけでもなく。ただ守ってほしいと。それは簡単に口にできることではない。オスカー、俺は君を尊敬する」

 澄んだとび色の眼差しはしっかりとオスカーを見据えた。

そして腰を上げて実は、と本題に切り出した。

「オスカー、君に伝えなくてはいけないことがある。城は最早君にとって安全な場所ではなくなった。陛下は君を案じて遠くに連れていくように命じられた。王都の南部アイギアロス城で信頼できる護衛をつけて―――」


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