第116話 戴冠式(3)
通例であれば神殿の中で執り行われる戴冠式は、民の前で行われるという異例な形で公開されることになった。
城下へと下りるための広く長い階段であれば、多くの人に見られるだろうと小評議会で話し合われた結果の妥協案だった。
道中、オスカーは呼び止められた。
「オスカー殿」
いつもの埃を被ったような服ではない、貴族らしい恰好をしているため、すぐにヘクトル・グリシアだとオスカーは気が付かなった。
「途中までご一緒しても?」
「はい。すみません、すぐに誰だか分かりませんでした」
「一生着ることはないと思っておりました正装ですからな」
まだ外に出ていないのにも関わらず、城下で賑わう人々の声が聞こえる。
新たな王が即位するだけではない。
先王が亡くなってから続いていた不審死の収束、奴隷たちが闘わされていた地下闘技場の閉鎖。王都に影を落としていた事件を終わらせたことで、民は憂さ晴らしの時を待ちわびていたのだ。得体の知れない恐怖に脅かされなくていいのだと、以前の明るさを取り戻した。
「本日は本当に良き日ですな」
見たことのない穏やかな表情に、オスカーは安堵した。地下闘技場で事を起こす前までのグリシアには取っつきにくい雰囲気があったのに、今は違う。
「今日ほど心躍る日はない。歴史的な時に自分が立ち会えるだけではない。新たな時代が訪れようとしているのです。ギルガラス王も喜んでおられるでしょう」
――――ギルガラス王。
もう語られることもなくなる先王のことを未だグリシアは気にかけていた。
「先王は良き王ではなかったかもしれない。ですが、シリウス様を女王へと選んだことは間違いではなかった。それが分かって、私は心の底から安堵しています」
「あなたは先王とどのような関係だったのですか?」
グリシアは目を瞑り、快く答えた。
「ご存知の通り、私は平民の出身です。陛下は私に役職を与え城で仕えることをお許しくださった。よくある王と臣下ですよ。あなたと女王陛下と同じように」
「え?」
聞き返すオスカーに、グリシアはにこりと微笑むだけだった。
「私は酒を嗜まない主義でしたが、今夜は浴びる程呑みたい気分です」
「程々に。それから歴史書にはしっかりと『女王』と書くことを忘れないでくださいね。後世の人は名前だけでは分からないですから」
「これは上手いことをおっしゃる」
話しながら歩いていたらいつの間にか城の門まで辿り着いていた。多くの騎士たちが行き交い、諸侯たちがすでに列席をしていた。そして階段の下には女王の姿を一目見ようと集まった民が押し寄せ、新たな女王の名を呼んでいる。
「オスカー殿。今度はあなたが王の影となり、陛下と彼らと共に生きてください」
では、とグリシアはお辞儀をして諸侯たちが列席する更に奥へと向かった。
まだ話しておくことがあったのだが、今は考え事をするよりも目の前の光景を焼き付けておくべきだろうとオスカーは、刻限が迫っていることに気が付き目的地へと小走りで向かった。
シリウスは出来得る限り人目に付かない渡り廊下を使って塔の奥で待機することになっていた。
結べる程に伸びた髪を高く結い上げ、化粧もしている。何より滑らかな生地で織られた絹のドレスと黄金のマントで、大人びて見える。
オスカーは思わず息を呑んで立ち尽くした。
ギリギリまで着崩れを直していた侍女たちは、お辞儀をして下がった。
「どうした?」
「あ、えっと。緊張してる?」
「まあな」
「まさか女王がこんなところから出て来るなんて思わないだろうね」
女王となる少女にはもう怖いものはないと、誰かは言うだろう。
しかしそうではないことをオスカーは知っている。怖いものが増えていく覚悟が出来たから女王になるのだ。
合図の角笛が鳴る。シリウスは小さく息を吸う。
「行こう、オスカー」
「うん」
扉を開ければそこには七星卿が待っていた。
七人の小国の後継者たちは、階段の広場でゆっくりと膝をつく。
王都全ての鐘が鳴り、フィオーレの手で女王に王冠が戴かれる。
多くの民の歓声を浴び、新たな女王が君臨する。
シリウス・クロード・ベルンシュタイン
空に輝く星の名を持つ少女は、頂きに王冠を輝かせ、玉座に座る。
彼女はグラン・シャルの歴史において『狂王』と呼ばれることになる。
これはほんの序章にすぎないことを、オスカーはまだ知らなかった。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
第1章「かつての祈りはいつかの君へ~狂王と呼ばれた少女~」は連載終了です。
第2章「狂王と臣下たち」へと続きますので、楽しみにしていてください。