第115話 戴冠式(2)
戴冠式はアカシア神殿にて行われる予定だったが、大司祭の死と民に公開するというシリウスの意向からビーネンコルブ城の前で催されることになった。新たな女王の頭に王冠を頂く役目は本来、上位の神職者が引き受ける。しかし現在、新たな大司祭が決まっておらず、フィオーレが引き受けることになったので、この戴冠式をもってグラシアール教と女王の結束が強いことを民に知らしめることになる。
いつも落ち着いているはずのフィオーレは珍しく緊張しているらしく、昨夜まで段取りを気にしていた。そしてシリウスとフィオーレはアカシア神殿から戻ってから城へ合流することになっている。その束の間の時間、オスカーたちは広場に集まり、談笑していたのである。
オスカーたちだけなく、ヴェロス、アリスタ、リゲルも戴冠式に合わせて服を新調していた。
ヴェロスはサザーダ人特有の薄い着衣ではなく、上等な生地で仕立てた
しかし褐色の肌としなやかな体には色鮮やかな織物がよく映える。
アリスタはベージュと深緑と金色のタッセルのついたコートを肩で羽織り、羽のついた、つばの広い帽子、膝上までのブーツといった海賊風の装いだ。
対して、リゲルは襟元までしっかりと止め、白と紺色を基調にしたフローライト家の伝統的な正装をしている。
フィオーレとシリウスを除いた七人が広間に集まった。
王都には多くの賓客と諸侯たちが集まり、いつも以上に賑やかであることが城の中からでも分かった。
緊張感のない七星卿たちは、まるで結婚式に呼ばれて久々に再会する友人たちの集まりのようだった。
しかし和やかな雰囲気に包まれている中、オスカーの心境は穏やかじゃなかった。
拳を強く握り、体中から吹き出る汗で上手く立てなかった。
「お、オスカー?」
カルマはオスカーの体調を案じて駆け寄ったが、オスカーは自分の拳を床に強く叩きつけた。
「カメラが、カメラがあれば! 何で、この時代は魔術があるくせに、未だに絵画なんだよ!」
突然のオスカーの嘆き、そして見たことのない程に心の底から悔しがる姿に一同は困惑していた。
「かめ? かめら?」
「よく分からんが不愉快だな」
思わず漏れ出たうめき声に、リゲルはゴミを見るような目でオスカーを見た。
「しかもこの時代の絵師の技術はこんなに拙いの! ほとんど棒人間じゃん! こんなんじゃ後世に伝わんないよ! まさか千年前の絵画技術がこんなに低いとは思わなかったよ!」
「オスカー、そんなに未来のこと話して胸痛くならないの?」
未だ来ない遠い先のことを話すことは、シリウスと七星卿とオスカーの約束の一つだった。それは何かの強い呪いでオスカーの心臓が痛むから、という理由で、皆気を使っていたのだ。それなのに、当の本人が騒ぎ出したので、その場にいた皆は目を丸くした。
「痛いね! 痛くて張り裂けそうだけど、呪い以上に悔しいよ!」
悔しいじゃないか。
こんないい日に、何も残せないなんて。
オスカーは七星卿に「カメラ」と「写真」について熱弁した。壁画や簡易的な絵や文字、詩で特徴を言い伝える千年前の彼らにとって、「カメラ」という技術は理解しがたいものであった。そのため、便利だということしか分からず皆首を傾げた。
「その投影技術とやらを、お前が考えればどうだ? 魔術でどうにか―――」
「それだ! 僕に魔術を教えてよ、リャン」
「動機が不純すぎないか?」
這うようにして足元に縋りつくオスカーの並々ならぬ熱意に、さしものリャンもたじろいだ。
「そんなに必死にならなくても」
「テオ、これは王国にとって死活問題なんだよ。後世で、皆がどんな姿だったか誰か残しておかなきゃいけないんだ。文字だけじゃ、伝わらないことだってあるんだから」
「そ、そうか」
オスカーの剣幕に圧倒されたテオは後ずさりをした。
「あの飛龍の騎士を剣なしで下がらせたぜ」
「すごい説得力」
「未来から来た奴の言葉だと重みが違うな」
アリスタ、カルマ、ヴェロスはオスカーを宥めた。
「まあまあ、歴史なんてそんなもんだって。俺も千年前の歴史なんてほとんど知らないし」
「歴史は分からなくても、皆がどんな人だったかが重要なんだよ! 戴冠式だよ! こんな記念すべき日に写真撮らないとか、どうかしてるよこの時代は!」
飛びかかったオスカーに巻き込まれたヴェロスは成す術なく肩を揺さぶられた。
笑いが響き渡る広間に、ぱんぱんと手を叩く音が聞こえた。音がする方へ注目するとそこにはくすくすと笑うフィオーレがいた。いつもよりも上等で、花の模様の刺繍のローブと携えた聖杖で人離れした雰囲気を醸し出していた。
「皆様、陛下がお待ちかねですよ」
グラン・シャル王国の歴史に残る、史上初の女王の誕生の時である。