第110話 忘れられた名前(2)
初めて語られる名前。
傍らにいるシリウスたちは、オスカーの口から語られる真実を静かに待っていた。
「———どうしてその名を」
どうしてその名を知っているのか。
目線は揺らぎ、手元は震え落ち着かない様子のディックに、オスカーは確信する。
今まで彼の中で止まっていた時が動いたように、オスカーには見えた。長い間、自分でさえも忘れていた傷に再び触れようとしているのだ。
トリシャ・クリスタル。それが全ての事件に帰結する名前なのだと。
「ずっと引っかかっていたんです。この国では家名に鉱石の名を持つ者はそれを身に着ける。けれどあなたのブローチはクリスタル。家名に縁がないのに何故、と。ですが、クリスタル家を調べてもあなたの名前は出てこなかった」
水晶。
「あなたが祈っていた像に、その名がありました。だから、特別な思いがそのブローチにはあったのではないですか?」
アカシア神殿の数百もある像にはそれぞれ名前が刻まれている。
トリシャ・クリスタル。
レイニー・ディックが熱心に祈っていたという場所を再び訪れたオスカーは、飾られた像の名を一つ一つ見て確信したのだ。決して偶然ではないことに。
「その名を、他の人間から聞くことなど、もうないと思っていたのに………」
ディックは震える声で深くため息を吐き、両手で顔を覆うように俯いた。
「オスカー殿。あなたの言う通り、トリシャは私の娘です」