第104話 毒の意味
翌朝。
収束に向かっていた事態は一変する。
鐘が鳴るより早く、オスカーは自室の扉をカルマに蹴破られて飛び起きた。
朝食を摂る暇もなく、中央の棟の広間の前へ七星卿が集まっていた。急に呼び出されたにも関わらず彼らの身支度は整っている。
オスカーが到着したのを見て、ヴェロスとアリスタはオスカーに目配せをした。
小評議会に参加する諸侯たちも駆け付けていた。ベンジャミン・ルーサーは酷く動揺しており、オスカーたちが現れたことにすぐに気が付かずに頭を抱えていた。
リゲルとリャンは先に広間の中に入っているのか、扉の外には姿がない。
「どういうつもりだ、リャン卿!」
机を叩く音と同時に扉の外にまで響く怒号に、オスカーは足早に広間へ入った。
声を荒げたのはクレイン・アルフォンシーノだった。いつもの音がうるさいヒールの靴をかつかつと鳴らした。
リャンは平然と優雅にキセルを吹かしながら椅子に座っていた。
「どうせ四日後には処刑されるのだろう? 死に方はどれでも良かっただろう。手間が省けたというものだ」
サンディカ・ローレス並びに捕らえた泥ネズミ四人が、牢屋の中で死んでいた。
それを今朝見張りが発見し、急遽小評議会が開かれることとなった。彼らの死因は傷がなかったことから毒殺だとされ、リャンが疑われたのだが、彼はあっさりとその容疑を認めて今に至る。
リャンは悪びれもせず、さも当然のことをしたまでという態度で広間にいるため、議員たちは口々にリャンを非難した。
「女王の臣下たる七星卿が自ら手を下すなど! 一体何のための審議だったのですか?」
「民の前で罪を明らかにせねば、王国が口封じをしたと思うことでしょう。あれだけ陛下や騎士団が手を尽くして捕らえたのですよ。それをこのような形で―――」
―――審議の間では今すぐにでも処刑しろと喚いていたくせに。
前日とは一変して手のひらを返した議員たちに、黙っていたオスカーも思わず前に出た。オスカーの怒りを察したリャンはわざとらしく遮った。
リャンは煙を吹かして議員たちを黙らせ、文句を言い続けた司祭たちに睨んだ。
「司祭殿。初めましてというべきか。大司祭殿がお亡くなりになる前日、私を見かけたと七星卿に告げたようですが、我々はこうして初めてお会いするはず。しかし司祭殿の目には全ての黒曜人が私に見えるのでしょう。陛下へのあらぬ誤解は、私の口からしっかりと否定しておきました故、ご安心を」
司祭たちはもごもごと尻すぼみしていく。
「司祭殿のおっしゃるとおり、これは由々しき問題です。審議の間で諸家たちに示した意味がなくなったのです」
外務大臣の立場にあるレイニー・ディックにとって、事態は深刻だった。七星卿の問題は外交に影響する。よりにもよって七星卿の一人が不祥事を起こすなどあってはならないことだ。何か策を練らねばと、苛立っている。
「この忘れられた者が! これだから、黒の国の人間は信用ならんのだ!」
今度は陸軍大臣であるトマス・カルタスがここぞとばかりに声を張り上げた。
オスカーの次はリゲルが顔を引きつらせた。こういう大人を心底嫌っているのは知っていたが、特に家名による権力と戦果を笠に着るトマス・カルタスは、リゲルを不快にさせるリストの中で最も上位にいることだろう。
リャンが何かの考えがあって、リゲルをこの場に同席させたらしい。しかし子どもを揶揄うことが習慣であるリャンはただ面白がっているだけなのかもしれない。
トマス・カルタスはずかずかと広間を闊歩してリャンに侮蔑の言葉を浴びせた。
「黒曜人など毒そのものだ。王都に黒の国の者を入れること事態が過ちだったのだ!」
差別や偏見など慣れているリャンにとっては蚊に刺された程度のことなのか、リャンは愉快そうに喉の奥を鳴らす。
「これは、これは。陸軍大臣殿。貴殿の声を聞くのは数年ぶりというくらいお会いしておりませなんだ。渦中においてその大きな体をノミのように縮こまらせて、身を隠しておいでだったのかな?」
「の、ノミ? ノミだと! この俺を? もう我慢ならん、この男を捕らえろ!」
トマス・カルタスはわなわなと体を震わせて顔を真っ赤にして机を叩いた。控えていた衛兵たちは顔を見合わせて狼狽するばかり。圧力にも動じないのがリャンという男だった。
「我が祖国の悪態ならいくらでも。貴殿はどうやらこの場に置いて優位なのは自分だと言わんばかりですな。その重たい鎧を着ていても、我が毒の前では意味を成さないというのに――――」
リャンはちらりと紅茶に目を向けた。
「貴様っ」
王都の人間は皆、紅茶を口にする。寝起きには必ず飲む習慣があり、そして小評議会の議員の席には必ずティーカップがある。リゲルとオスカーを除いて、この場にいる全員が紅茶を一杯は必ず飲んでいた。
「多くの者が誤解をするものですな、大臣殿。毒殺されれば口にするものばかりに気を取られる。しかし特定の者を殺したければ、持ち物に毒を塗っておくことが得策だと。例えば銀器やカップなどに―――」
「き、貴様、まさか………」
リャンはカップの淵をなぞる。意味を察したトマス・カルタスは顔を青くし、喉を抑えた。
「どうされました? 顔色が悪いようですが、やはり体調が優れないのでは? 喉にかゆみは? 手に痺れは? 大臣殿、紅茶の味はいかがでしたかな? 王都の紅茶は実に上等だ。不純物を混ぜるのは実に惜しい」
「そこまでだ、リャン卿」
騒然とする広間を、凛とした声が制した。
ラベンダー色のローブと黒のロングドレスを身に纏った少女。その場にいる誰もが最初はシリウスだと気が付かなかったことだろう。髪を結い、耳飾りをつけていたことで見違える程に大人っぽく見えたはずだ。
シリウスの後ろをテオとカルマがついて歩き、女王を守る騎士そのものだった。
「これは陛下、今日は何か良いことでもあったのですか?」
思わず姿勢を正す議員たちとは違い、リャンは目も合わせずにキセルを吹かした。
「陛下! リャン卿がカルタス殿に毒を―――」
司祭たちは慌てふためくが、リャンの様子を見たシリウスは大きなため息を吐いた。
「ふざけた真似をするな、リャン卿。また燻したドクダミでも混ぜたのか?」
「流石ですな、陛下。滋養強壮にはドクダミが一番ですので。頭に血が上りやすい者には丁度良いかと思いましてな。陛下も一杯いかがです?」
「いらん」
クレイン・アルフォンシーノはバタバタとシリウスの前に駆け付けた。
「陛下、今朝のことはもうお耳に入っておりましょう。これでは陛下の、いえ、王家の名に傷かつきます! 民の前で陛下の正義を知らしめる機会を、リャン卿が潰してしまったのですぞ」
続いて毒を盛られたと勘違いしたトマス・カルタスもリャンを指さして訴えた。
「陛下! この不遜な輩をこの城から追い出してください! こんな屈辱は初めてだ!」
いい年をした男たちが年端も行かない少女に訴える姿はあまりにも滑稽だ。
そしてシリウスはてきぱきと指図をする。
「リャン卿、貴様への処置は追って沙汰する。テオドロス卿、牢に連れていけ」
テオは静かに頷き、リャンも大人しく彼についていった。
「陛下! それは余りにも甘すぎる処置にございます」
クレインはがっくりと肩を落とし、司祭たちはクレインに同意した。
「陛下はえこひいきなさっています!」
「そうです、我々小評議会を軽んじております」
しかしシリウスはきっぱりと言い放った。
「贔屓にして何が悪い。私の臣下だぞ」
シリウスは表情一つ変えず、広間を後にした。