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龍とニャンコと韻紋遣い  作者: 白紙撤回
第二章   食べ物の怨みは怖いのだ(ニャンコではなくてもそうなのだ)
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2 - 2

 

 

 

 その部分を見下ろして、ボクはすっかり満足した。

 おへその下──またの上の際どいところに新たに刻まれた《韻紋》は、ちらちらと見事に煌めいている。

 まだ血もにじんでいたりして、ずきずきするけど。

 

「ありがとう。カンペキな仕事だよ」

「こちらこそ礼を言わせておくれ。《装龍紋》を刻んだなんて誇れるほどの大仕事さ。人様に言いふらすわけにはいかないけどね、何せ《禁呪》ってことになってるから」

 

《双塔の街》の《彫紋師》、ルシーナさんも満足げな顔で額の汗をぬぐう。

 

「日がかげる前に仕上がってよかった。手元が暗くなってきたからね」

 

 すでに外は日が傾いている。

 ルシーナさんは燃え尽きた蝋燭ろうそくを交換するために一度作業を中断したほかは黙々とボクの肌を刻み続けた。ボクのほうは施術台に横になっていただけだけど、痛いのを我慢しながらなので眠るわけにもいかなかった。

 ルシーナさんは何やら思い出したように、ふふっと笑って、

 

「先にきいておくべきだったね。いままでの下穿したばきは着けられなくなったけど、どうするんだい?」

「《装龍紋》なんていますぐ使うものでもないし、しばらくは元のを穿いて、そのうちどこかで仕立てるよ」

「だったら、それもウチに任せてみないかい? 下の革細工の工房は亭主がやってるんだけど、いまは娘のほうがオヤジよりも腕がいいって評判でね。おまえさんの気に入るような斬新な下穿きをあつらえられると思うよ」

「だったら、お願いしようかな」

 

 にっこりとするボクに、ルシーナさんも満面の笑みで、

 

「よし、ここで待っていておくれ。娘のマレアを連れて来るからね」

 

 そう言うと、いそいそと部屋の隅の階段から下の階へ降りていった。

 商売上手なものだけど、ボクのほうもルシーナさんの言うことなら信頼する気になっている。

 かなり際どいところを採寸してもらうから、相手が娘さんというのもありがたい。亭主に任せろと言われていたら、ちょっと考えたかもしれない。

 それにしてもルシーナさんは職人の女房みたいに貫禄があると思ったら、その通りのヒトだった。

 工房から階段を上がって寝室の並ぶ二階、台所と食堂のある三階を通った先の屋根裏部屋を仕事場にしているので、ただの間借り人でもないだろうとは思ったけど。

 彼女が戻るのを待つ間、ボクは仕事場を勝手に見学させてもらうことにした。

 屋根裏だから四角い壁はない。表通りと裏通りに面した切妻にそれぞれ窓があり、その下に背の低い本棚が置かれて、ずらりと書物が並んでいる。

 それで収まりきらないものは、部屋の隅の屋根が低くなっているところに積んである。

 古今の魔道書に、呪術文字の起源となった古代語の文法解説書、さらに古代語の勉強に使ったであろう古典の詩集や散文物語集など。

 ルシーナさんが勉強熱心であることがわかると同時に、《彫紋師》としては、ほぼ独学であろうことも推測できる。

 きっと彼女は、もとは革細工の装飾加工が本業だったのだろう。それがどういう経緯でか牛や馬や羊の革ではなくヒトの肌を刻むようになったのだ。

 ぎしぎしと階段がきしむ音がして、ルシーナさんが戻って来た。

 同じように赤毛で同じくらいの背丈の、しかしもう少し細身の若い娘を連れている。ルシーナさんも若い頃は綺麗だったろうと思うけど、娘は母親に似た面影があって、やはり美人だった。

 ボクよりも長身だけど顔つきは幼さが残り十代半ばというところか。ボクの姿を見て、眼を丸く見開き、

 

「にゃんこ……」

「こんにちは。それともこんばんは、かな?」

 

 ボクは、くすくすと笑って言った。

 ニンゲンが誰でもボクたち《獣人》に好意的に接してくれるわけではない。でもルシーナさんの娘は母親と同様、嫌悪感はないようだ。

 マレアちゃん、と呼んでいいのかな、まだ若い子だし。

 ルシーナさんが、そのマレアちゃんに言った。

 

「こちらのお客さんが《韻紋》の邪魔にならない新しい下穿きをご希望なんだ。見ての通り凄腕の《韻紋遣い》様で、もう新しく刻めるところはないけど、革製品の御用は今後もおつき合い願いたいところさ。おまえ、やってくれるかい?」

「……やる」

 

 マレアちゃんは視線をボクに向けたまま、こくっと頷いた。

 こそばゆくなるような強い視線。《獣人》なんてそれほど珍しいわけでもないだろうに、なんだろうこの熱視線?

 

「やるけど、上下揃いなら。下だけ新しいのはカッコ悪い」

「いいよ、お任せする」

 

 ボクは笑って承知した。母娘おやこ揃って商売上手だ。

 

「ただし素材は革のみ。縫い糸には麻の使用も可。色は黒を基調で。びょうを打ったり金属は使わないこと。それで作ってもらえるかな?」

「注文以外のことは、こちらに任せてほしい」

「もちろん。ルシーナさんのご推薦だし、仕上がりが愉しみだよ」

「了解。母さん、型を作りたいから紙を分けて」

「机の上に積んであるのを使っておくれ」

「じゃあ、にゃんこちゃん。上も全部脱いで」

「ちょっと、お客様をその呼び方は失礼だろう」

 

 ルシーナさんが吹き出して、ボクに向かい、

 

「申し訳ないね。ウチの子、職人としての腕は確かなんだけど、接客向きじゃあないもんで」

「構わないよ。嫌われてるんじゃないってだけで《獣人》にはありがたいくらいだからね」

 

 ボクも笑って、

 

「このニャンコには、フェルシェット=フェルシャというお名前があるよ」

「じゃあ、フェルちゃん?」

 

 マレアちゃんは、じっとボクを見つめながら小首をかしげる。

 接客向きじゃない職人は世の中いくらでもいる。だいたいは偏屈だったり居丈高いたけだかだったりというところだけど、マレアちゃんはそれとは別種の変わり者である。このつかみどころのない距離感には苦笑いするしかない。

 

「フェルちゃんでもフェルにゃんでも、どっちでもいいよ」

「フェルにゃん……」

 

 マレアちゃんは、こくっとうなずいた。

 

「いいかも」

「それじゃ、お茶でもれてこようかね。お客様は任せたよ」

 

 ルシーナさんは言って階段を降りて行き、ボクはマレアちゃんとふたりきりになった。

 その途端にマレアちゃんは、ずいっと近づいて来て腰をかがめ、ボクの乳房を覗き込むようにして、

 

「フェルにゃん、わたしよりチビっこいのに、おっぱい立派」

「──にゃっ!?」

 

 思わずボクは両手で胸を隠して、跳び退いた。

 

「なななっ、なにゃっ!?」

「にゃんこの跳躍力、すごい……」

 

 マレアちゃんは眼を丸く見開いたけど、すぐにまた強い視線をボクに向けてきて、

 

「お願いがあるのだけど。聞いてくれたら、仕立て代は《韻紋》と込みになるよう、わたしから母さんに話す」

「きちんとしたものが仕上がるなら、むしろお代は幾らでもはずんでいいと思ってるんだ。お金の交渉をするつもりはないよ」

 

 ボクは胸を手で隠したまま、ひきつった笑いで答える。

 なんだ。触らせろとでも言うつもりか。勝手に触ってこなかっただけエラいけど、ボクはそういう目に遭うことがよくあるのだ。胸のデカいチビというせいでナメられやすいのである。

 相手がオトコなら容赦なく火焔かえん魔法で燃やしてやるけど、オンナが相手だと逃げることしかできない。

 オンナ同士だからゆるされるとか、オンナ同士だから悪意がないという理屈はどうなのか。

 でも世間はそれで通用するんだよな。冒険者仲間とのお酒の席で、よくいろいろとイジられるボクとしては全く納得がいってないのだけど。それはともかく。

 マレアちゃんは小首をかしげ、

 

「でも、フェルにゃんにしか頼めない。《獣人》のお客はフェルにゃんが初めてだから」

「ボクが《獣人》だから何か頼みたいっての? いったい何?」

 

 胸を触らせろというわけじゃないのか。

 たずねるボクを、マレアちゃんは、じっとまっすぐに見つめて、言った。

 

「その、にゃんこの耳と尻尾を触らせてほしい」

「そっちか……」

 

 ボクは、おでこに手を当てた。

 冒険者仲間との飲み会では、よくそちらもオモチャにされてしまう。《獣人》の冒険者はそれほど珍しくもないはずだけど、ボクは耳と尻尾を別にすれば、ぱっと見はニンゲンのような姿なので余計にイジってみたくなるらしい。だから耳や尻尾を触らせろと言われるのも慣れっこなのだけど。

 いや、ボクお客様だよ? お金を払って(まだ払ってないけど、その約束で)仕事を頼みに来てるんだよ? そんなボクに向かって、そういうこと言ってくるのはどうなのさ?

 マレアちゃんは両手を合わせた。じっとボクを見つめて、

 

「お願い」

「……そんなに触ってみたいの?」

「うん」

「普通のネコの耳とか尻尾を触るのと、きっと変わらないよ?」

「うちにネコ、いないから」

「ボクはネコの代わりってこと?」

 

 そうたずねると、マレアちゃんは首を振り、

 

「ネコより、もっといい」

「……わかったよ」

 

 ボクは、ため息をついて施術台に腰掛けた。

 前かがみになって頭を下げ、

 

「さあ、どうぞ」

 

 ぴくぴくと思わず耳が震えてしまう。緊張するのだ。結構敏感な部分だから。

 ちなみに下半身は《韻紋》を刻んでもらったままの丸裸である。こんな格好で我ながら何をしてるのか。

 マレアちゃんはボクと並ぶように隣に腰掛けた。

 

「顔はこちらに向けてほしい。フェルにゃんの瞳の色、綺麗」

「……そっちを見ればいいの?」

 

 渋々とボクはマレアちゃんに顔を向ける。間近で見つめ合うかたちになって、ものすごく照れくさい。

 マレアちゃんは、ボクの瞳を覗き込み、

 

「左がすみれ色で右が琥珀こはく色。宝石みたい」

 

 そう言いながら両手を同時にボクの耳と尻尾に伸ばしてきた。視線はボクの眼にぴたりと向けたままだから器用である。

 

「……にゃっ……」

 

 手つきは優しかったけど、思わず気の抜けた声をボクは漏らしてしまった。

 だから敏感なんだってば。ホントは、やたらとヒトに触らせる部分じゃないんだ。ネコだって気を許したときじゃなきゃ、耳や尻尾どころか背中にも触らせてくれないでしょ?

 ふにふにと優しい手つきで耳も尻尾も触られて、

 

「……にゃぁぁぁ……」

 

 ボクがまた声を漏らすと、マレアちゃんは手を放して、すくっと立ち上がった。

 

「ありがとう」

「……もういいの?」

 

 ぱちくりと、まばたきしながらたずねるボクに、マレアちゃんはうなずいて、

 

「フェルにゃん、顔、赤いし眼が潤んでる。でも、そのうち母さん戻って来るから、いまは責任とれない」

「責任って……」

 

 なんだよそりゃ。

 自分の顔が熱くなってるのを感じながら、ボクも立ち上がった。

 早く採寸を済ませてもらおう。いつまでも下半身丸裸でいるわけにもいかないし。

 

 

 


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