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龍とニャンコと韻紋遣い  作者: 白紙撤回
第七章   ニャンコの手はタダでは貸さないのだ(適正価格でご提供するのだ)
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7 - 6

 

 

 

市会堂しかいどう》は《大聖堂》が建つ丘の西側の麓にあった。重厚な外観は一見すると石造りのようだけど、実は煉瓦造りの建物の外壁だけ石を張ったものらしい。

 市壁の内側では《大聖堂》だけが総石造りで、ほかの建物はほとんど全て煉瓦造りだ。街の東地区で焼成煉瓦が製造されており建材の入手が容易だからである。逆に言うと《大聖堂》だけは街の外から建材を運んで重厚かつ堅固な石造りにしたのである。それを建てた当時の街の住民たちの思い入れが感じられよう。

《市会堂》の前は煉瓦敷きの広場で、本来ならここで午前中いっぱい朝市が開かれるはずだったけど、いまは四十人前後の男女が集まり、古い家具や木箱を手分けして解体している。先ほどの荷馬車や荷車に積んだ家具もここに運ばれて、廃材を街の防備に転用するかにするのだろう。

 広場に面しては、ほかに高級旅館、銀行、仕立て屋、宝飾品店、《聖遺物》の複製品や《大聖堂》の模型などを扱う土産物店が並んでいるけど、いずれも営業していない。客など来ないのだから当然だ。

《市会堂》の玄関前には衛兵が四人いたけど、いずれも老人といっていい年格好だった。もとからいた衛兵は門や市壁の守備に回されて、その穴埋めを任されたのだろう。

 兵士としての経験はあるようで兜と鎖帷子という装備が意外にさまになっているけど、ひとりだけ脚が悪いのか手にした槍を杖代わりに寄りかかるように立っている。

 ライセルノは玄関に向かって歩きながら、脚の悪い衛兵に向かって軽く手を上げた。

 

「やあ、ベクセア」

「ご苦労様です、坊っちゃん。勇ましい護衛を連れていらっしゃいますね」

 

 老いた衛兵が破顔すると、ライセルノは両手を広げて首を振る。

 

「残念ながら彼女は僕を狙う暗殺者なんだ。ちょっと怨みを買ってしまってね」

「おやおや、坊っちゃん、女性関係にはお気をつけなさいと申し上げておりましたのに」

 

 ベクセアという老衛兵は、くるりと眼を回しておどけてみせてからボクに向かって、

 

「坊っちゃんは、根は悪い方ではないのです。悪気がないのが一番悪いと、よく姉上様からお叱りを受けていらっしゃいますが」

「悪気がなくても尻尾を踏まれたらネコだって怒るものだよ」

 

 ボクは言って、にっこりとする。

 

「でもボクが引っくよりも、お姉さんに言いつけたほうが効果的かな?」

「ええ、ええ、坊っちゃんを懲らしめるにはそれが一番です。女性には何をされても嬉しいのが坊っちゃんですから、ネコのお嬢さんが爪を研ぐにも喜んで頬を差し出すでしょう。でも唯一、苦手とする女性が姉上様なのです」

「衛兵は喋りすぎないものだよ、ベクセア」

 

 苦笑いするライセルノに、ベクセアは微笑んだ。

 

「久しぶりに冒険者を見かけて、昔の血が騒いだのです。こう見えて私も昔は冒険者だったのですよ、ネコのお嬢さん。膝を悪くして引退してからは、長らくボンフォルシオ家のお屋敷の門番をさせて頂いていたのです」

「元冒険者なら頼りになるね。お疲れ様です」

 

 ボクはベクセアに挨拶して、ライセルノとともに玄関をくぐった。

《市会堂》の中に入ると、最初に三階の高さまで吹き抜けの大広間があった。

《唯一神》の言葉を初めて地上に伝えた《聖預言者》と、その《三大弟子》の石像が四隅に飾られている。ほぼ等身大(といっても大昔の聖人の本当の姿は誰も知らない)だけど、台座の上に立つので顔は見上げるかたちだ。

 

「この《市会堂》が完成したのは、街の繁栄の象徴として《大聖堂》を建てようという機運が盛り上がった頃だ。《市会堂》にも当然のように聖人たちの像が飾られた」

 

 大広間を通り抜けながら、ライセルノが《聖預言者》の像を見て言った。

 慈愛に満ちた微笑をたたえた柔和な面立ち。当時の街の住民たちが理想とした聖人像だ。しかし当時もいまも《聖預言者》をカンペキな超人として神格化したい《聖庁》には、このようなニンゲン的な表情の像など受け入れがたいだろう。この石像が《大聖堂》に置かれていたとしたら、《大神官》が街を支配した時代に撤去されていたか、あるいはもっと無表情に作り変えられていたに違いない。

 

「当時の住民たちは《大聖堂》と街の関係が現在のようになるなんて想像しなかったろう。いまや《大聖堂》は抑圧の時代の象徴であり、観光客を呼び込むためだけの集客施設だ。追放を免れた《僧院》時代からの生え抜きの神官によって日々の礼拝は続けられているけど、参加するのは街の外から来た巡礼だけだ。地元の者が祈りたいときは地区ごとに設けた《礼拝堂》へ行くし、それだって年寄りが中心だ。僕の周りの若い世代は信仰を爺さん婆さんの懐古趣味のように扱う」

「君はそのことに批判的なようだね? ボンフォルシオ家は信仰熱心なのかな?」

 

 ボクがたずねると、ライセルノは振り向いて微笑み、

 

「母が《聖都》の生まれなんだ。交易で彼の地を訪れた父が母を見初めて何度か通って口説き落とし、この街に連れ帰った」

「羨ましいような熱愛だね。いまのアルスタスさんからは想像できないけど」

 

 くすくすと笑うボクに、ライセルノは「確かに」と苦笑する。

 大広間を抜けると、今度は二階の高さまで吹き抜けの小広間があった。正面の大きな二枚扉の向こうが議場だろう。

 左右に階段があるけど、左手のほうが急な造りで三階まで通じているらしい。

 右手のもう少しゆるやかな階段の先は、二階から議場を見下ろす傍聴席だろう。《市会》には市民の中から選ばれた代表者が集まるけど、彼らの議論を傍聴するのは市民全員の権利である。

 ライセルノは左の階段を上がった。

 三階には廊下が伸びていて、左手に窓が、右手には扉がいくつか並ぶ。

 窓の下は《市会堂》前の広場から通じている路地だけど、いまは人の姿はない。道の向こうには三階建ての巡礼宿が並んでいるけど、やはり人の気配は感じられない。

 ライセルノは廊下を進み、二つばかり扉の前を通り過ぎて三つ目の扉を、とんとんと軽く叩いてから返事を待たずに開けた。そこが何の部屋であれ、ライセルノは自由な出入りを許されているのだろう。

 ライセルノに続いてボクも部屋に入った。そこは会議室のようで中央に大きな机があり、地図が二枚、広げてある。一枚はこの《双塔の街》の詳細図で、もう一枚は街を中心に周辺地域を描いたものだ。

 机を囲んで七人の人物が立っていた。そのうちひとりはアルスタス、もうひとりは自称「名も富も捨てた」老騎士で、ほかに女がひとり、男が四人。老騎士を除く六人が《市会》の幹部だとすれば、職人代表と商人代表が半々であろうか。

 女は首飾りや腕飾りを着けて洒落た装いだけど、どうやら職人側らしく皮の厚そうなごつごつした大きな手をしている。年齢はおそらく五十前後。男たちも四十代から六十手前というところ。

 ボクの姿を見て怪訝けげんな表情をする彼らに、ライセルノが告げた。

 

「こちらは《金獅子》のユーヴェルドの仲間の冒険者で《韻紋獣》のフェルシェットだ。いま重要な情報を伝えに来てくれた」

 

 そこでライセルノが言葉を切ったので、ボクに自分で話せということらしい。ボクは一同に伝えた。

 

「《落果樹の街》のリット卿が《聖庁》軍の総司令官に任命されたそうだ。《常氷樹の街》のホノセルナン氏からの情報だ」

「知っている」

 

 アルスタスが眉をしかめて言い、ボクはちょっと反応に困った。……え?

 ライセルノが眼を丸くして、

 

「知ってるって?」

「きのうの昼から《落果樹の街》の至るところに《聖主》の日輪の旗が掲げられて、盛んに傭兵を募り始めたそうだ。先ほどニキオリス殿から伝えられた」

 

 アルスタスに言われて、ライセルノが男のひとりを見た。ボクもそちらを見た。

 長身で痩せていて、額が広くて眉は薄い。鼻は高くも低くもなく、眼は小さくて、顔全体的が凹凸に乏しい。黒い外套の仕立ては良さそうだけど、アルスタスのように宝飾品で身を飾ることはしていない。

 言ってしまえば容貌も身なりも地味のひとことで片付く。口元に控えめな笑みを浮かべて、その男はボクに会釈した。

 

「マイコロニス・ニキオリスです。《共和国》からこの街に派遣された特命全権使節です」

「……どうも」

 

 ボクは会釈を返したけど、ぎこちなくなってしまったのが自分でもわかる。

 見た目にだまされるわけにいけなかった。眼につくところに《韻紋》は刻んでいないけど、どうやら彼は他人に心を読ませない魔法の術を心得ているようだ。何を考えているか、さっぱりわからない。

 ボクはこの部屋に入ったときに彼の姿を目にしたはずだけど、特段の注意を払わなかった。アルスタスが話題に上げなければ、彼については何も印象が残らないまま、ボクはこの場を立ち去っていたはずたった。

 街の商人と職人の代表が集まる中に紛れて、彼は全く自分を目立たせないことに成功していたのだった。それもまた何かの魔法の術なのかもしれなかった。

 ボクは感情を読み解く《韻紋》を刻んでいるけど、複数のヒトがいる場所では特に意識しなければ、ひとりひとりの感情をはっきり区別して感じとれるわけではない。

 この部屋にいた七人の中で、彼に意識を向けてみて初めて、その感情が読み取れないと気づいたのである。

 これはちょっと厄介な相手だぞ。

 

「《帝国》への抗戦で意思統一をはかるために、リット卿の背信は昨夜の時点で必要な情報ではありませんでした」

 

 マイコロニスが控えめな笑みのまま言った。

 

「味方の街からさえ何もかも奪おうとする《帝国》の傭兵どもの前に門を開けばどうなるか、わかりきったことから眼を背けたい方たちがおられたものですから」

「わからず屋だったおかげで生命いのち拾いすることになりそうだけどね連中は」

 

 職人代表の女が皮肉たっぷりに言う。

 

「運良く皆が生き残ったあとにアイツらが帰って来ても、どこにも居場所を与えるつもりはないよ」

「だけど、おかげで話がまとまりやすくなったじゃねえか。アルスタスあんたが最初からそっちの理事長をしてりゃよかったんだ」

 

 やはり職人代表らしい男が言った。彼は冒険者から鍛冶屋に転職したらしく左右の手の甲に《韻紋》を刻んでいるけど、右手の《紋》は火傷で潰れて「死んで」いる。青い瞳が片方白く濁っているのも鍛冶屋の職業病だ。しかし袖のない軽装鎧姿がよく似合い、剥き出しの逞しい腕にもいくつか《韻紋》が刻まれている。

 アルスタスが苦い顔で首を振った。

 

「いまの状況でそちらもこちらもない。この場にいる者でできることをするだけだ」

「われわれ職工組合が持ち回りで理事長を務めているのと違い、商業組合には様々なしがらみがあるのだ。アルスタスの立場も考えてものを言ってやってくれ」

 

 三人目の職人代表である男が言った。丸顔で団子鼻、おでこから頭頂まで見事に禿げ上がった愛嬌のある風貌だ。手にところどころ火傷の痕があるのは元冒険者の鍛冶屋と似ているけど、さすがに《韻紋》は刻んでいない。硝子細工か煉瓦製造、どちらかの職人だろう。

 老騎士が、くっくっと笑いを噛み殺してアルスタスに、

 

「商人の世界も、おそろしく政治的であるのだな。この戦いが無事に終われば、貴殿もあらゆるしがらみを捨てて我が輩のように冒険遍歴に出てみてはいかがかな」

「…………」

 

 アルスタスは仏頂面で咳払いする。言下に拒絶しないのは、その提案が少しは魅力的に感じられたのだろうか。

 さて。

 

「そちらはそれで話がまとまったとして、ボクたち冒険者の立場はどうなるのかな」

 

 ボクは、にっこりとして小首をかしげた。

 

「リット卿の寝返りが周知のことなら、ホノセルナンのオタンコナスの護衛に冒険者をふたりも回すんじゃなかったよ」

「オタンコナス?」

 

 あきれた顔をするアルスタスに、ボクは言ってやる。

 

「《双塔の街》に深いつき合いの商人仲間はいない、街が《帝国》領になれば我がホノセルナン商会の支店を置かせてもらおうと言ってたよ」

「いやいやこれはこれは」

 

 机を囲んでいた七人目の人物である商人代表らしい男が吹き出した。背は低いけど胴回りの太い樽みたいな体型で、眉毛がくっきりと濃くて太い。なかなか個性的な容姿だけど、にこにこ笑っていて憎めない雰囲気がある。

 

「そのようなオタンコナスのために歓迎の宴など開いてやるのではありませんでしたな。懐を痛めたのはパラットニオ殿ですが」

「パラットニオってのが商業組合の理事長? いまの話からすると何か口実を見つけて街を離れているようだけど?」

 

 ボクはライセルノを振り返り、彼は肩をすくめる。

 

「早急な援軍の派遣を求める使節として《市会》の議長である彼が自ら《共和国》へ向かったんだ。随員ずいいんとして商業組合の理事数名を従えて、日の出の前に船で出発した」

「ああ、なるほど」

 

 ボクはうなずき返してから、にっこりとマイコロニスに笑いかけた。

 

「つまり意思統一の妨げになる現議長とその取り巻きを街から厄介払いしたんだね。うまいことやったね《共和国》も」

「この街の実情を本国に知らしめる必要があったのです。そのためにも使節の派遣は必要でした」

 

 マイコロニスは相変わらず控えめな笑みのまま答えて言った。

 

「《帝国》軍が迫る状況で、この街の住民がどれほど恐怖を味わい、緊張を強いられているか。《帝国》軍に門を開くことさえ考えるほど追い詰められた実情を、本国に危機感をもって受け止めてもらう必要があったのです。そうでなければ、この街に留まる私自身にも危険が及びますから」

「厄介払いの意味もあることは否定しなかったね? それで、リット卿の一件のほかに隠していることは?」

 

 ボクも笑顔のままでたずねる。

 

「《金獅子》のユーヴェルドや《巨巌》のルスタルシュトを怒らせるのは得策じゃないと思うよ。《共和国》だって魔物や盗賊退治にいちいち傭兵団を動員しないでしょ? 腕利きの冒険者を五人でも雇えばその十倍の数の盗賊団が容易に片付くし、報酬は成功したときだけの払いで済む。失敗すれば銅貨一枚払わなくていいんだから街にとって何も損はない。そんな便利な冒険者にそっぽを向かれたら、どれだけ面倒くさいことになるか」

「避難民の護衛の支障になるようなことは何もありません」

 

 マイコロニスは答えて、ボクはうなずいた。

 

「ここで嘘をついて《共和国》の得になることはないね。信用することにするよ」

「ではよろしいかな? いま大事な会議中なのだ」

 

 アルスタスが言って、ボクは、ぺこりと頭を下げた。

 

「お邪魔しました。ボクが持って来たのが、あまり役立つ情報ではなかったのが残念です。あとは自分の用事を済ませて帰ります。では失礼します」

 

 それでボクは、すたすたと部屋を出ようとする。

 自分の用事を済ませて行く、つまりマレアちゃんやルシーナさんに会いに行くことを《市会》の幹部連中の前で宣言したのである。これであとはライセルノやほかの誰かに止められそうになっても《市会》には伝えてあると言って押し切ろうと思ったのだ。

 ところがマイコロニスがボクを呼び止めた。

 

「お待ち頂けますか、フェルシェット=フェルシャ殿」

 

 ん? なんだ? ボクの意図に気づいて寄り道しないで帰れとか言うつもりか。余計なこと言うんじゃないぞ、この貧相オヤジ。

 ボクは、にっこりと作り笑顔で振り向く。

 

「なんでしょうか特使殿。《金獅子》のユーヴェルドへの伝言でしたら承ります。彼からも早急な援軍の派遣を街が求めていると貴国の当局者に伝えてもらいましょうか」

「いえ、あなたへの依頼です。腕利きの《韻紋遣い》であるあなたに、私がこの街に滞在している間の護衛をお願いしたいのです」

 

 マイコロニスが言って、ボクは、深々と首をかしげた。

 

「……はい?」

 

 

 


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