1 - 1
第一章 ふさふさしっぽはご自慢なのだ(だってニャンコだもの)
《韻紋》を刻むことで呪文の詠唱を省略できるというのは、正確にいうと《韻紋》によって呪文の詠唱を完成した状態を作り出しているのである。
弓でいえば、矢を番えて引き絞った状態だ。あるいは矢を装填した弩にたとえたほうが、よりふさわしいだろう。いつでも放てるように矢を保持するのは弩の機構であって、射手の腕力ではない。
《韻紋遣い》だって、ごはんを食べたりお酒を飲んだり眠くなったら寝床に入る日常生活の間、おのれの肌身に刻んだ《韻紋》の存在はさほど意識しない。
(《韻紋》のおかげでハダカに近い格好でいなければならないことにも、そのうち慣れる)
ずっと弓を引き絞ったままでいるなんて疲れてしまう。その役割は《韻紋》が果たしてくれるのだ。
そして《韻紋》を弩とするならば、そこに装填された矢に相当するのが魔法の術である。いつでも放てるというのは、充分な魔力が込められていることを意味する。
だから《韻紋》は通常は魔力を帯びて、焔のような煌めきを放っている。そうした《韻紋》は「生きて」いると表現される。
ところが二流、三流の《韻紋遣い》が自身の魔力と見合わない分不相応な《韻紋》を刻んだ場合、それは決して煌めくことはなく「死んだ」ものとなる。
半裸が基本の《韻紋遣い》が不自然に部分的に肌を隠しているときは、死んだ《紋》を刻んでしまったことを疑っていい。それとも何らかの事情で傷を負い《紋》が損なわれたのかもしれないけど、いずれにしろ、みじめなものである。
それはともかく。
《韻紋》が弩と異なるのは、一発を放ったあと、次の矢が瞬時に装填されることだ。本物の弩ならば煩わしい装填という動作を、射手である《韻紋遣い》が意識する必要はない。
我が身に刻んだ《韻紋》で呪文の詠唱は常に完成しているのである。魔力が続く限り、立て続けに魔法の術を放つことができる。
やがて魔力が尽きれば、使った術に対応する《韻紋》の煌めきが一時的に喪われて「仮死状態」になるけど、ほかの《韻紋》がまだ「生きて」いれば、その発動は妨げない。
つまり《韻紋》は、すぐにも使える状態で魔法の術を蓄積する仕組みであるともいえるのだ。