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「──まーったくにゃー、こーんにゃ可愛くて綺麗なニャンコに毛むくじゃらとか、毛が落ちるとか、耳を触らせろとか、毛に蟲が湧いてそうとか、尻尾触らせろとか、毛が落ちるとか、ふじゃけんにゃー!」
ボクは何杯目かの火酒の杯を干して、どんっと円卓の上に置いた。
原料が何なのか知らないけど、とにかく強い酒を頼んだら、この薄茶色の蒸留酒が出てきた。確かに強くて舌がひりひりして味がよくわからないけど、これくらいの酒でないと汁かけ麺を食べ損ねた憂さは晴らせない。
この酒場は東門の外の歓楽街の一番外れたところにあるけど、料理の旨さと冒険者御用達という割り切りのよさで評判を呼び、建て増しを繰り返して百人は入れる広さになっている。六人掛けの円卓の席を詰めて七つ目の椅子を置いたり、四人掛けでも五人座らせている結果の百人なので、ちょっと窮屈だしヒトの熱気で蒸しているのだけど。
増築を重ねてしまって戦時に取り壊す決まりとの兼ね合いがどうなのかというと、歓楽街の奥まで街の役人が来ることはないから問題ないのだとか。
ゴツい戦士や目つきの悪い魔道士がうようよいる店だから、まず旅の商人や巡礼のようなシロウトさんも入って来ない。だから遠慮なく冒険者以外の他人の悪口を言っていられるのだ。
同じ円卓を囲む冒険者仲間が笑って、
「荒れてるわねえ、今夜のフェルにゃんは」
ロレイシアが言い、ユーヴェルドが、
「嫌なことは酒で呑み下すに限るさ。そしてよく眠って忘れることだね」
ロレイシアは、すらりとした長身を真紅の甲冑に包んでいる。髪も真紅で肩までの長さで切り揃え、兜は着けない主義である。酒場に来ても身に着けたままの甲冑は、とある大魔道士が錬成した魔法合金製で薄くて軽いけど強靭であり、魔法攻撃への耐性まで備える。
よく稀少な品物を「同じ重量の黄金より高い」と表現するけど、そもそも軽量な魔法合金は黄金とは比較にならないほど高価なのだ。この甲冑を手に入れるため、これまでの冒険の稼ぎのほとんどを注ぎ込み借金も作ってしまい、これから先の冒険でバリバリ稼いでモトをとるつもりだとか。
ユーヴェルドは長い金髪に整えられた髭、引き締まった体躯を革の軽装鎧に包んだ見るからに冒険者らしい冒険者だ。左右の手の甲に刻んだ《韻紋》は物理的な攻撃と魔法攻撃に対する障壁を形成するもので、籠手は着けずに素手である。性格は温厚で沈着冷静、冒険者にとって頼れる仲間、女冒険者からは彼氏にしたい第一候補と目されている。
まあ女の子にモテる理由は近くで見ていてよくわかるよ、うん。《獣人》であるボクの好みとは少し違うけど。それはともかく。
エシュネがボクの肩に腕を回してきた。
「フェルにゃん、今夜は飲みましょう。とことん飲みましょう、お会計はフェルにゃん持ちで」
「ふじゃけんにゃー!」
ボクがその腕を振り払うとエシュネは、ぺろりと舌を出して悪びれた風もなく笑う。
銀に近い金髪を透き通るような白の薄衣で包み、ゆるやかな白い法衣を纏った彼女は、一見すれば清楚な巫女姿の美少女、その実は死霊術と召喚術に長けた黒魔道士という詐欺のようなヤツだ。
得意技は無数に蟲を湧かせること。といっても雑嚢に突っ込んだまま忘れた食糧から湧かせるという意味ではなく(それもよくやらかすけど)、召喚術の話である。
本来、召喚術で呼び出せるのは霊体か無機物であり生きた動物は対象外だけど、エシュネが師匠である祖母から伝授されたという術は生きた蟲の召喚を可能たらしめる。蟲自体が生物でありながら無機物に近い存在なのだそうだけど、理屈はともかく使いようによって面白い術なので、ボクもエシュネに教えてもらって右の内腿に《韻紋》を刻んでいる。そんなに大事な術というわけでもないけど《装龍紋》を刻んだおへその下以外では、左右の内腿しか空いている場所がなかったのだ。
エシュネ自身は巫女の姿に似合わないからと肌身に《韻紋》は一切刻まず、もっぱら早口で呪文を唱える鍛錬に励んでいる。
トポルザンが火酒の杯をちびちびと舐めながら、ぽつりと言った。
「そんなクソガキども、焼き尽くしてやればよかったんだ」
「いやいやいや、そりゃあダメでしょうよ、旦那」
「衛兵さーんっ、このヒトでーっす」
デイスとアルクトがツッコミを入れる。
トポルザンは褐色の肌をした南方人種の男で、ハダカの上半身にいくつも《韻紋》を刻んでいる。頭髪を全て剃りながら黒々とした髭を蓄えているという独特の風貌だけど、褐色の肌の《韻紋遣い》というだけで、ボクと並ぶと親子か兄妹か彼氏彼女のように思われてしまう。こっちは銀髪にケモノ耳と尻尾のある《獣人》だというのに。
だからボクはあまりトポルザンの近くに寄らないようにしているけど、本来は冒険者仲間として悪いヤツじゃない。酒が入ると眼が据わって物騒なことを言い出すけど。
デイスとアルクトは傭兵から冒険者に揃って転じた新参だ。とはいえ傭兵としての経験は豊富で戦闘勘が鋭く、冒険者仲間からも一目置かれている。真新しい革の軽装鎧は二人揃って《双塔の街》であつらえたとか。
傭兵には戦争を専業として傭兵団に身を置く者と、交易商人に雇われて隊商の護衛を務める者とがいるけど、デイスとアルクトは後者の出身である。旅の道中を襲う魔物や盗賊ばかりでなく、交易の商売敵が放った刺客との戦いも経験したそうで、殺した人間の数では戦争専業の傭兵に負けないというのが自慢にならない自慢とか。
むしろ戦争屋の傭兵団は契約次第で味方についたり敵に回るのが当たり前で、いつ味方になるかもしれない相手と怨みが残るほど本気では戦わないから、死んだり殺したりはそれほど多く起こらないのが皮肉なところだ。
以上の六人が、いま同じ円卓を囲んでいるのだけど、冒険稼業ではボクは彼らと常に一緒に行動しているわけではない。
《蜥蜴人》の居留地を訪ねたときはボクひとりだったし(途中まで一緒だったアイツが裏切るのはわかってた)、盗賊や魔物退治のような仕事も誰かの手を借りる必要はほとんどない。
でも古代遺跡などの探索系の仕事はタチの悪い古代魔法の罠があったりして単独行は危険なので、信頼できる冒険者仲間と組むことにしている。
そしてボクにとって信頼できる仲間はこの円卓に着いている六人だけとは限らず、いま同じ酒場にいる中にも一緒に組んで仕事をしたことのある知った顔が、ちらほら見える。
それはきっと仲間たちも同じで、たとえばエシュネは巫女の格好をしながらも宗教絡みの仕事は受けない主義だ。普段はユーヴェルドやロレイシアと一緒に旅をしているけど、巡礼の護衛のような仕事が入ったときは別行動をとる。
他人の信じる神様が自分たちと違うからといって異教や邪教や異端と決めつけ排除したがる自称「信仰熱心」は悪意がないだけ最悪で、そんな連中のお守りはしていられないというのがエシュネの言い分だ。
ほかの者にもそれぞれのこだわりで受ける仕事と受けない仕事があり、ときには違う相手と組むことになる。
そういう事情なので、ボクがこの《双塔の街》でユーヴェルドたちと再会したのは偶然といえば偶然だった。あらかじめ約束をして、ここで顔を合わせたわけではない。
ただし《双塔の街》は鍛冶や革細工の腕のいい職人が多いことで有名で、この地方を旅する冒険者の多くが立ち寄るから、ユーヴェルドたちではなくとも知った顔の誰かしらと出会うことは必然だったのである。
ボクは円卓の真ん中に置かれた大皿に手を伸ばし、素揚げにした鶏の腿肉をつかんで頬張った。美味い。
でも、アイバフおじさんの牛焼肉の削ぎ落としも美味しかった。
くそおっ。汁かけ麺の怨みは深いぞ。あれ絶対、めちゃくちゃ美味しかったはずなんだ。
エシュネが、またボクの肩に腕を回してきた。
「その何とか麺があきらめきれないのでしたらフェルにゃん、《大帝都》まで食べに行きましょう? わたくしもおつき合いいたしますよ、諸経費はフェルにゃんにお持ち頂いて」
「おことわりだね」
ボクはエシュネの腕を払って、
「経費はボク持ちって、どうせ立ち寄る街や村ごとに、あれ食べたいこれ食べたいと言って散財させる気だろ」
「はい、ごちそうさまでした。いまからお礼を申し上げておきます、こちらのお店の払いも含めて」
悪びれた様子もなく言ってのけるエシュネに、ボクはあきれるほかはない。
ロレイシアが反対側からボクの肩を抱いてきて、
「まあまあ、フェルにゃん、飲もう飲もう。すいませーん、火酒の強いやつ、おかわりねー」
手を上げて従業員に呼びかけるけど、混み合った店内で気づいてもらえた様子はない。
ユーヴェルドが苦笑いで席を立ち、
「仕方がない、厨房に直接頼んで来よう。皆は何を飲む? それぞれ、いまと同じものでいいか?」
「その気配りがモテる秘訣かあ、さすが彼氏にしたい冒険者の筆頭だなあ」
デイスが冷やかし、アルクトが指笛を吹いて、
「いよーっ、オレも抱いてくれーっ」
「火酒のもっと強いやつを頼む」
相変わらず眼が据わっているトポルザンが言って、どんっと荒っぽく空になった杯を円卓に置いた。
デイスが笑い、
「大丈夫かねえ、この旦那」
「お酒が入ると、いつもこんな感じよ。これ以上、ヒドくもマシにもならないから気にしないで」
ロレイシアが言い、ユーヴェルドに、
「あたしもフェルにゃんと同じお酒で」
「了解」
ユーヴェルドは親指を立て、厨房のほうへ去って行った。
この酒場の厨房は、アイバフさんの東方料理の店と同じように腰ほどの高さの仕切り壁の向こうにある。
大きな竈が二つに、石窯が一つ。料理人は店主のキーヴァンさんに奥さんと息子さんの三人で、百人分の客の調理をまかなっている。冒険者の客たちは食べるよりも飲むほうに熱心だから、それで回っているのだろう。
ほかに給仕として息子さんのお嫁さんと、キーヴァンさんの甥っ子、姪っ子が忙しそうに立ち働いている。出来上がった料理を客のもとに運ぶほか、樽や壜から酒を注ぐのも給仕の仕事だ。
デイスがユーヴェルドの指を立てた仕草を真似してみせた。
「これもんだぜえ、これもん。ユーヴェルドの大将にしかキメらんねえや」
「いちいちカッコいーんだよな、あの大将」
アルクトが笑う。
そのとき、
「この席にユーヴェルドがおらんかったか?」
「おったであろう」
「うむ、おった」
声を掛けてきたのは、ボクも何度か組んだことのあるルスタルシュト、エンノ、トンノという三人の冒険者だった。
ルスタルシュトは髭面で、腕がぶっとく胸板が厚く、得物は戦斧。その腕には《韻紋》がいくつか刻まれている。この道に入って四十年近いという達人だ。
エンノとトンノはルスタルシュトと同年輩の双子の魔道士で、ふたり揃って灰色の法衣を纏い、おでこが同じように禿げ上がっている。エンノは攻撃魔法、トンノは防御や回復など支援魔法という得意分野の違いはあるけど、見た目だけでは長年一緒に旅をしているルスタルシュトさえ区別がつかないとか。
彼らは見覚えのない男を連れていたけど、ボクが知らないだけで戦士としての経験は相応にあるようだ。長らく着込んで身体に馴染んだ革の軽装鎧を着けている。日に焼けた顔の中で白っぽい金色の眉が溶け込んだように目立たず、ちょっとばかり悪党面である。
その男の背を叩いて、ルスタルシュトが言った。
「こいつはワシの甥っ子のノアルドだよ、ニャンコの嬢ちゃん。おっかない眼で睨まないでやっとくれ」
「おっかない眼だの」
「うむ、おっかない」
エンノとトンノにまで言われてしまい、ボクは「え?」と眼をぱちくりさせて、ルスタルシュトの顔を見上げる。
髭面の達人冒険者は、にやりと笑い、
「ずっと北のほうで冒険者をやっとったんで、この地方が地盤のおまえさんたちとは面識がなくて当然だろうがな」
「ボク、そんなに怖い眼つきだった?」
たずねるボクに、ロレイシアは微笑み、
「トポルザンそっくりだった」
「そっくりだったの」
「うむ、そっくりだ」
エンノとトンノも同意する。
「うっそ!」
慌ててボクは、眼を大きく見開いた。
ロレイシアが「あはっ」と笑って、
「もう、フェルにゃん、いちいち可愛いんだから。いまさら眼を見開いても手遅れだし」
ボクの頭を三角耳ごと、くしゃくしゃっと撫で回した。
「にゃ~~~!?」
やめれー! 耳は敏感なんにゃー!
そこにユーヴェルドが戻って来た。
「やあ、ルスタルシュト。《旋律の森》の《女王蟲》退治の噂は聞いたよ」
「あれはいい稼ぎになったが、その自慢話じゃあない」
ルスタルシュトは、にやりとして言ってから、表情を引き締め声を抑えて、
「《帝国》の諸侯に動員令が下った。《唯一神》の威光をもって異教の国《大帝領》を討伐するという名目だが、そんなお題目をまともに受けとるヤツはおらん」
「ほう……」
ぴりりと空気が張り詰めた。
ユーヴェルドもロレイシアもエシュネも、デイスとアルクトも真顔でルスタルシュトを注視する。トポルザンだけ空になった杯をじっと見つめているけど、茶化していられる空気ではない。
ルスタルシュトは、言った。
「喧嘩を売る相手は《共和国》、そして最初に狙われるのは、この《双塔の街》だろうよ」