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船着き場にいた漁師から舟を譲ってもらうことにした。《獣人》で《韻紋遣い》であるボクに警戒心いっぱいだった漁師たちも、金貨の詰まった財布を見せたらすぐに態度を和らげた。
使い込んだ舟でよければ金額次第で譲ってもいいと漁師のひとりが言ってくれた。確かに古いけど帆がついているのがありがたい。
「新しい舟を手に入れるとすれば、いくらかかるの?」
ボクがたずねると、漁師は頭の中で損得勘定を巡らせる様子で、
「金貨六……いや七十ってところだが、舟大工に注文して一ヶ月は待たされる。その間、こっちは漁に出られなくなっちまわあ」
「わかった。休業補償込みで金貨百枚で譲ってくれるかな」
「こいつがそんな大金を一度に手にしたら、女房にも渡さず三日で飲み尽くしちまいますぜ」
仲間が茶々を入れ、漁師たちは、どっと笑う。温暖なこの地方の住民は基本的に気のいいヒトたちなのである。
金貨百枚を奥さんのところに持ち帰るよう見届けることは漁師仲間が請け負ってくれて、ボクは無事に舟を手に入れた。もっと値切ることもできたろうけどお金の問題ではない。追い剥ぎの討伐依頼などさっさと片付けて《双塔の街》へ向かいたいのである。
風の魔法で帆をふくらませ、海からの探索に乗り出す。
しかし海に面した崖下の洞窟というのが思っていたより数が多い。ほとんど水に浸かっているように思えても、中に入ってみるとヒトが寝泊まりできる程度に一段高くなっている場所があったりする。
ひとつひとつ奥まで確かめるのは面倒なので、途中からは洞窟の中に向かって光の魔法を放り込むようにした。びっくりした蝙蝠たちが飛び出して来るけど、ヒトの反応がなければ追い剥ぎどもはいないと思うことにする。
もしかすると奥で息を潜めているのかもしれないけど、そこまで慎重なヤツらであれば商人一行を襲っておいて一部を取り逃がすこともないだろう。おかげで自分たちの姿を見られてしまい、冒険者が討伐に来ることになったのだから。
そうして十何ヶ所かの洞窟を探ったあと、これはという場所を発見した。洞窟の入口が水面よりも上にあって、そこに小舟が引き上げてあったのだ。奥で焚き火をしているのか、ちらちらと赤い光が洞窟の壁面を照らしている。明らかに誰かが中にいる。
しかしボクがそこに近づこうとすると、前方の岩場の向こうを回って別の舟が姿を現した。帆柱のない手漕ぎの舟で六人が乗っている。女がひとり、男が五人で男のひとりは鈑金鎧姿、ほかは女も含めて革の軽装鎧姿である。
冒険者であった。ボクも見知った顔で、女の名はメイリャ、鈑金鎧姿の男の名はタレルという。
メイリャは声をかけてくる代わりに洞窟を指差す仕草をしてみせた。ボクが黙ってうなずくと、にっこりと笑ってみせたけど、ほかの男たちは仏頂面で、タレルは舌打ちまでしそうな顔つきだ。
ボクは素知らぬ顔で、しかし風の魔法を少し強めてタレルたちよりも先に洞窟の下の岩場に舟を寄せた。
せっかく金貨百枚で手に入れたばかりの舟は乗り捨てることにする。洞窟の中にいるのが追い剥ぎだとすれば舟を岩場に引き上げる物音を聞かれたくないからだ。相手が本当に《韻紋遣い》なら(実のところボクはその可能性は低いと思っているのだけど)、反撃の余地を与えず不意討ちにしたい。
帰りは悪党どもの舟を奪ってやればいいのである。中にいるのは悪者ではない赤の他人かも知れないけど、そのときはそのときだ。
《獣人》はニンゲン様より身軽である。ひょいひょいと岩肌をよじ登って洞窟の入口にたどり着く。弧を描いた長い洞窟で奥まで見通せないけど、やはり焚き火が岩壁を照らしている。
そこでタレルが信じられない行動に出た。
「出て来い! 追い剥ぎども!」
洞窟の下からこちらに向かって怒鳴ったのだ。あのクソ野郎!
奥で何者かの反応があった。男と女の罵るような叫び声。
そして火焔魔法がボクに向かって放たれた。でも大した威力じゃない。防御魔法で無効化してやると、今度は剣を振りかざし髪も振り乱した全裸の大男が突進して来た。
素っ裸かよ!
しかし思った通り《韻紋遣い》でも何でもなかった。身体に刻まれているのは、ただの入れ墨だ。悪魔崇拝を気どっているのか《神》への罵りの言葉を全身に刻み、ところどころ綴りを間違えている。
しかし左胸に一つだけ本物の《韻紋》があった。それを発動させてボクの眼の前で火焔魔法を炸裂させた。
あっさり無効化。でもその隙に《獣人》の女が大男の後ろを駆け抜けて洞窟の外へ飛び出した。
ボクは大男に雷撃魔法を叩きつけた。大男は吹っ飛び、ごづっと鈍い音をさせて洞窟の壁面に頭を激しく打ちつけた。頭の右半分が陥没した。
だけど頑丈そうなヤツである。とどめにもう一発、雷撃を喰らわせてやると、びくんと大きく身体が弾んで口や耳や鼻の穴から白い煙を吹いた。身体の中が焦げたのだろう。これでさすがに生きてはいまい。
ボクは急いで《獣人》の女を追いかけようとしたけど、行く手を塞ぐようにメイリャが洞窟の入口に現れた。いや、ボクへの悪意は感じられない。ただ違う理由で彼女も急いでいる。
「オンナは?」
ボクがたずねると、メイリャは叫ぶ。
「タレルたちが取り押さえたわ。それより捕まってるヒトたちが奥にいるはず!」
メイリャは洞窟の奥へ走り出し、ボクもあとに続いた。
一番奥まで見通せるところで、メイリャは足を止めた。ボクも隣で立ち止まった。
焚き火に照らされているのは凄惨な光景だった。
上半身の皮膚を剥がされた男が血溜まりの中にうつ伏せに倒れていた。すね毛の濃い筋肉質の脚が無傷だったのでニンゲンの男とわかったけど、そうじゃなければ男女の区別もニンゲンか《獣人》か《蜥蜴人》かの判別もつかなかったかもしれない。
その横には、頭髪を剃り落とされた裸の若い娘が座り込んで、正気を喪った様子で小さく笑い声を上げていた。おそらく眼の前で男が生皮を剥がされる様子を見せつけられたのだ。
「……ひどい……」
メイリャは娘に駆け寄り、肩を揺すって声をかけるけど、娘は笑い続けるばかりだ。
ボクは男に歩み寄った。もう死んでいて、血はほとんど乾いていた。しかし岩を染めた血の量が尋常ではなく、この男より前に何人もここで同じように殺されたのだろう。
「彼女を眠らせて、記憶を封じる」
ボクは告げて、メイリャは「ええ。お願い」とうなずく。
《獣人》の姿は見たくないかもしれないので、ボクは後ろから娘に近づき、記憶操作の魔法と眠りの魔法を続けてかけた。
くたっと娘の全身から力が抜けて、メイリャは彼女を寝かせてやった。
すると今度は別の女の激しくうめく声が聞こえてきた。
《獣人》の女がタレルたちに生け捕りにされ、こちらへ連れて来られたのだ。ボロ布で猿轡を噛まされて、両腕は縄で縛られている。
大男と同様、服は着ていない。きっとそういう関係だったのだろう。ニンゲンと《獣人》の間でたまにある話だ。しかし裸のまま捕まるとはみじめである。《獣人》だって自分がヒトだという自負があるから普通は服を着るのである。
そして、よほど酷く殴られたのか鼻が曲がって血を垂らしていたけど、もともとはむしろ整った容貌と思われた。小麦色の毛並みだって綺麗である。でも《獣人》であるがゆえに、この女は世の中から呪われ、世の中を呪い返したのだ。
女はボクを見て驚いたように眼を見開き、すぐにその眼に憎悪を込めて猛獣さながらに唸った。同じ《獣人》のくせにニンゲンの味方をしているボクが赦せないのだろう。
「こいつらに捕まってた連中は?」
見ればわかることをタレルがたずねて、メイリャは首を振る。
男のほうは手遅れだったし、娘が正気に戻るかどうかもわからない。記憶を消したところで壊れた心は修復できない場合もあるのだ。
「このクソ外道のケモノモドキが!」
タレルは短剣を抜き、《獣人》の女の片方の耳をつまんで、そのつけ根に切りつけた。
猿轡をされた女はくぐもった悲鳴を上げて身をよじる。メイリャが「ひっ」と息を呑み、
「ちょっと! 何してるの!」
「こいつが自分でしてきたことを、我が身に味わわせてやってるのさ」
タレルは答えて言い、《獣人》女の片耳を切り落とした。女は激しく頭を振って、泣き叫ぶようにうめく。
ほかの男たちは止める様子もない。ふたりが《獣人》の女を押さえ込み、あとのふたりは薄笑いを浮かべて見守っている。
ボクは肩をすくめて言った。
「《獣人》のボクに見せつけるように、わざわざ耳を削いだのかい?」
「テメエも気に入らねえんだ、フェルシェット。抜け駆けしようとしやがって」
タレルがボクを睨みつけてきたので、ボクは、にっこりと笑みを返す。
「先に洞窟に潜入して偵察しようと思っただけなんだけどなあ。それよりも危険を知らせてくれてありがとう。ボクにじゃなくて敵に向かってだけど」
「調子に乗るなよケモノモドキ」
タレルの言葉に、やれやれとボクは首を振った。
冒険者の間では《獣人》だからというだけで不利な扱いを受けることは、あまりない。基本的に実力の世界だし、冒険を求めて村や街や国を巡って歩く冒険者は異教徒や異人種への偏見も少ない。
それでもやはり、タレルのようなヤツはいるのである。
「そっちこそ調子に乗らないでほしいなあ、三流剣士が。誰に向かってモノを言ってるのさ?」
がちゃがちゃっと間の抜けた音を立てて、タレルが身に着けていた鈑金鎧が分解して地面に転がった。
「な……なっ!」
下着姿になったタレルは愕然として、足元に転がった鎧の残骸とボクの顔とを見比べる。
うん。ボクが魔法でやりました。くすくすと笑って、
「これだけ全身《韻紋》だらけの相手に、よくそこまで強気に出られるね? それともこっちが手加減する前提で喧嘩を売ってるの? 冒険者同士だから? そっちはボクのこと仲間と思ってないくせに、ずいぶん甘えてくれるもんだね?」
「やめて、フェルシェット!」
メイリャが叫んだけど、ボクは言う。
「やめない」
ぼふ! と、奇妙な音がして《獣人》の女の頭が仰け反った。
眼球を大きく剥いて、耳の穴から白い煙が漂い出し、猿轡として噛ませていたボロ布が見る間に赤く血に染まる。焦げたイヤなニオイが鼻をつき、女を押さえつけていたタレルの仲間たちが「うわ!」と声を上げて手を放す。
ぐったりと力の抜けた《獣人》の女の身体がその場に転がった。もう死んでいた。ボクが火焔魔法を《獣人》の女の頭の中で発動させたのだ。
生け捕りになった《獣人》の女が領主もしくは討伐の依頼主の商業組合に引き渡されれば凄惨な報復を受けるだろう。そのこと自体は女の自業自得だけど、それが公開処刑のかたちになれば《獣人》への憎悪を余計に煽る結果になりかねない。
悪行を重ねた追い剥ぎの男女が冒険者によって討伐された。それで充分だとボクは思うのだ。
「屍体を持ち帰るか首だけ切り落とすかはお好きなように。ボクは先を急ぐ旅なんで、賞金は君たちに譲るよ」
ボクが言うと、メイリャは首を振る。
「そんなの受け取れるわけないじゃない。あなたが全部とどめを刺したんだから」
「だったら、その生き残りの娘さんの家族に賞金を渡してあげてほしい。魔法医に治療を頼むのもお金がかかるだろう」
「ふざけんな……ふざけんなよケモノモドキ!」
タレルがわめいたけど、ボクは鼻で笑ってやる。
「三流冒険者さんがボクに勝てるところは自分がニンゲンだというその一点だけなんだね? 情けないヤツ」
「あなたもちょっと言い過ぎよ、フェルシェット」
ボクを睨んだメイリャに、にっこり笑顔で小首をかしげてみせる。
「ボクが《獣人》であるというだけで普段から向けられている悪意は、こんな程度じゃないんだよ?」
「…………」
メイリャは何も言えなくなったようだ。
本当のことを言うと、ボクはかなりニンゲンに近い容姿なので嫌悪や侮蔑よりは好奇の眼で見られるし、おまけに《韻紋遣い》でもあるので普通は悪意をぶつけられるよりも周りが勝手に避けてくれるのだけど。
それでも、あからさまに喧嘩を売ってくるバカもいないわけじゃないのだ。タレルのように。
ボクは、にっこりと笑って一同に告げた。
「それでは皆さんごきげんよう。気の毒な娘さんを家族のもとに送り届けてくれるなら、本当にボクは賞金はいらないからね」
洞窟の外に出ると、金貨百枚で手に入れた舟がまだ近くを漂っていたので、風の魔法を操って岩場に戻した。
ボクは舟に乗り込み、その場をあとにした。




