76 さよなら
地に足を着けばそこは森の中。開けたところにある地面の巨大なクレーター。その中には魚の死骸が光を失った鱗を晒し、地に生える水草は干からびていた。中央部には白い石がごろごろと転がり、ところどころに水溜りを残している。
三年間――そろそろ見飽きたと思っていた矢先、湖はカリンの意を汲んでその姿を激変させていた。枯れた湖。「銀色の子供」はここへ来たようだ。ヘルメスの小屋へと行ってはみたが、そこは更地になっていた。ムゲンの姿はない。そして「銀色の子供」もそこにはいなかった。すでに次の目標を捕捉して背中のハネを羽ばたかせたのだろう。うなだれて湖があったところまで戻ると、そこにはいつしか行方をくらませていたミライが佇んでいた。先端だけを残した白い石橋の上に。
「ミラぁあ!」
縋るような声でカリンが呼びかけると、彼の顎がかすかに動いた。気づいたのだと悟ると、カリンもミライのいる足場へ向かう。しかし背中を目前にしてもなお、ミライは振り向かなかった。
「ミラ?どうし……」
カリンは言葉をとめた。ミライの体に、信じられないことが起こっているのに気づいたのだ。袖のない剥き出しの肩から下、短いズボンの裾から出る太ももから下、そして顔の右半分までも、その皮膚が銀色に鈍く輝いていたのだ。その瞳は光をまるで受け付けず、豪火に焼き尽くされた後の塵灰のような暗い灰色で、触るとザラザラとした触感が得られそうなほど。以前に見たそれよりその翳りが数倍増している。そして、彼の背中を破り生え出した二本の「ハネ」。
カリンは唖然とした。
――銀色の子供……
「まさか、ミラが……みんなを?」
ミライは口を開かない。その代わりに背中の「ハネ」が鞭のように撓り、カリンを目掛けて飛んできた。あまりに突然の、そしてありえないはずの出来事だった。だからこそ、カリンは何の備えも無く、その攻撃をまともに受けてしまった。
カリンは足場を囲うクレーターを越え、その向こうにある樹木の一本に背中から叩きつけられた。およそ友人と呼べる間柄の人間に与えるようなダメージではない。背骨を強かに打たれたカリンは呼吸困難に声も無く喘いだ。凹凸のある木の根本。そこで悶えるカリンをミライはその灰褐色の瞳に映しこむ。その目はもはや、カリンを「友達」とは見ていなかった。ミライの目にはただそれが、自分の命を脅かす「脅威」、自分が滅ぼすべき「敵」としてしか、映っていない。
(シニタクナイ)
「ワタシは死なない。ワタシは生きる」
まるで念仏を唱えるかのように、まるで自分に言い聞かせているかのように、ミライは呟き続ける。ミライのその言葉は背中の「ハネ」に伝わり、それは応えてその姿を変えてゆく。丸みを帯びていた先端が徐々に平たくなり、その一方は研ぎ澄まされたナイフのように怪しくきらめく。そのナイフを使って何を切ろうというのだろうか。林檎の皮を剥くには大きすぎる二本のナイフを翳したミライの目には、いまだカリンの姿が主体となって写り込んでいる。その絵に題名を付けるとすれば、「湖畔の森に悶絶する少年」といったところか。センスの良い者であればもう少し捻りの利いた題が付くだろうが、明るいイメージに傾くことはまず無いだろう。
ともなんとも言ってはいられない。今、ミライの持つ二つの矛先は確実にカリンを狙っているのだ。カリン自身は先ほどから動ける状態ではない。照準を定めた対象が動かぬものとあれば、それを仕留めるのは造作も無いだろう。矢は一本で充分。それが二本もあるのだから鬼に金棒――いや、ミライに二つの「ハネ」だ。その分カリンの命は危うくなったということは、言うまでもない。
「全部解ったんだ。知らなければ、こんなことにはならなかった。君を傷つけずに済んだ。だけど、知ってしまった。君は火だ。火は、ミンナを殺す。ワタシを殺す。火は……キライだ。君は――リンはワタシを友達だと言ってくれた。リンは私の友達になってくれた。そんな君が大好きだった。例え火が君でも……ワタシは火がキライだ」
(さよなら。大好きなリン)