72 ほのお
カリンは床の中央にある紋様の上に立つ。ミライはあの紋様には見覚えがあった。どこでだったかは覚えていないが、確かにあの歪んだ十字架は記憶の片隅に刻まれていた。
こちらを向き「見てて」といいながらカリンはゆっくりと目を閉じた。室内の張り詰めた空気が痛みとなってミライの身体を締め付ける。じっと耐えながらカリンの閉じられた瞳を見つめる。体中から汗が噴き出した。それが緊張による冷や汗なのか、痛みによるあぶら汗なのか、それとも室内の温度によるものなのか――自分でも判らない。
次の瞬間、室内の空気が急に変わった。ミライは顔を顰める。急に大きくなった痛みが鼓動と共に全身を打ち据えたのだ。目の前にはどこから発生したのか、紅蓮の炎。カリンを中心に円を描く炎のゆらゆらと揺らめく様は、ゆっくりとしているのに力強い。それはミライの視界を埋め尽くし、灼いた。
目だけでなく頭の中まで真っ赤に染まったとき、ミライの中で何かが蠢いた。鼓動の打つ調子に合わせて蠢く小さなそれは突如として無色の閃光を放ち、ミライの目の前は赤から白へと取って代わった。その白く眩い光の中で、何かを見、何かを聞いた。それは走馬灯の如くミライの中を駆け巡る。
空を舞う鉄の塊。そこかしこから聞こえてくる爆撃音は鼓膜を激しく叩き、何かの焦げるにおいが鼻を刺す。
崖の上。ついさっきまで街だった火の海を背に、戦意に荒れ狂う波を湛えた大海原の淵を望む。目には涙。右手には絶望に暮れる母親の手。左手には焼け焦げた馴染みの人形。右手から温もりが消えたと思うと、そのまま大地を打つ荒波に呑まれてゆく。
周りから聞こえてくるのは悲鳴と断末魔のうめき声。知らない言語を話す男が持っていた筒から炎が噴き出し、逃げ惑う人間を射抜く。声も無く地に倒れたのはよく見知った友達の顔。
――『おい、まだ子供じゃないか』
――『もう、どうしようもないんだ。ほら。お母さんが先行って待ってるから、すぐについてきてねえ』
――『き、きみは外から来たの?』
――『いやだ!殺さないであっ……』
――『おれはこれからミライのこと、ミラって呼ぶね!』
――『どうしたその傷は。一体何があった?』
――『やっぱ持つべきものは友達だね!』
――『おれの名はヘルメス。お前は?』
――『これは国の偉い人が決めた事だ。仕方ないんだよ。じゃあな、暫くの間お別れだ』
家の戸を開き、別れを告げる男の背中。
(イヤダ)
――『ここは学園都市とは違うんだよ。ここは死して口無き死霊の地。私の狩場。お前は私に狩られる運命なのさ』
女の掌から噴き出したのは巨大な火柱。
(イヤダ)
――『オトウサンモシンジャッタ オカアサンモシンジャッタ ミンナ ミンナシンジャッタ ワタシモシヌノ? イヤ イヤダヨ シニタクナイヨ』
(ヒ)
(アツイ)
(シヌ)
(イヤダ)
ミライは矢継ぎ早に流れ込む無数の情報、感情、感覚、そして痛みに悲鳴を上げた。