7 つれてってやる
目を開けると、リンは自室のベッドの中にいた。頭を左に向けると老人がひとり、椅子に座っている。
「目を覚ましたか」
「長老……」
起き上がろうとするリンを手で遮り、そして長老はゆっくりと口を開いた。
「リン。お前は昨日、何処へ行こうとしていたのだ?」
「どこって……別に?ただシンバルド先生から逃げて走っていたら、道がわからなくなって……」
「本当か?」
「え?」
「本当に道が分からなくなっただけか?」
「本当だよ。何で?どうして長老もシンバルド先生みたいなこと言うの?」
長老は何も言わず、リンの目をじっと見つめた。
しばらくの沈黙の末、長老はほっと息をつく。
「本当のようだな」
(あんな長老の目、初めて見た……)
リンは問わずにはいられなかった。どうしてそんなに真剣になるのか。長老は、意を察したように、話し始めた。
「お前がいたところを先に進むと、“扉”があるのだ」
「とびら?」
「そう。“扉”だ。お前がいつも言っておろう?外の世界へ出て行ってやると。その外の世界の入り口、学園都市の唯一の出口。それが扉だ。許された者以外は、決して扉に近づいてはならん」
リンは目を見開いた。
「うそ……」
「本当に知らなかったのだな。よかった」
「だって、あそこで子供たちが遊んでいたよ!」
「何を可笑しなことを」
「おれ、そこからずっと真っ直ぐに走ったんだ!本当だよ!だってそこで女の子がドア蹴り破ったの、覚えてるもん。シンバルド先生に聞いてみてよ!」
「シンバルドが壊れた扉とお前を見たのは、ヘルメス様がお前を見つけられた場所とは全く違う方向だぞ」
「うそ……」
リンはまたしても、きょとんとしてしまった。確かにリンはひたすら真っ直ぐに走り続けた。真っ直ぐ走った――はずだった。
「迷ったな」
長老は一言そう言い、話を続けた。
「不思議なことにな、“正名”を持つものでなければ、扉にたどり着く事ができないようだ。“正名”はおろか、“キ”を読むこともできないリンでは、結局外へは出られないということだな」
リンは少しむっとして、長老の意地の悪い顔をねめつけた。
「だから、別に外へ行くつもりはなかったってば。それより、“正名”って何さ?」
「“正名”とは、文字通り正式な名のことだ。具体的に言えば、“稚号”、つまり『リン』という名のように、生まれてきた時に付けられる名前に、“属称”を付けたものだ。“属称”とは……」
長老の話が難しくなってきたところで、リンは聞くのを止め、右腕を軽く挙げる。
「もういい。どうせ聞いたって難しくて解からないや。結局のところ、おれが『リン』だからヘルメスはおれを子供だって言ったんでしょ?で、子供のおれは外に出ちゃいけないんだ」
「ほう、珍しくものわかりが良いな。もしかして知恵熱かの?ほほ……」
笑いながら茶化す長老に、リンはそっぽを向いた。
「でもなリン。人の話を最後まで聞くことだ。肝要だぞ」
リンの返答がないことを咎めることはしない。諦めたのかと言えばそれもあったが、それ以上に、まだ話すべき事が長老にはあったのだ。長老は一つ咳払いをして、扉の方を向いた。
「じゃあもう一つの話に入ろうかの……入ってくだされ」
長老が部屋の外に声を掛けると、扉が開いた。リンはそちらを見る。言われて入ってきたのは、一人の男だった。波打つ髪に、青色の瞳。
「ヘルメス?どうして……」
「俺のところへ来い、リン。連れてってやる」