表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かおす 第一楽章  作者: ひのとげ
15/78

15 であい

 暫く草の上に寝転がっていたリンは、次第に体力を取り戻して上半身を持ち上げた。若さの成せる業というべきだろうか、子供は疲れの取れが早い。そして水を吸った服を脱ぎ、思い切り絞る。


「さてとっ」


 体力のほうは、体を動かすのに十分回復した。しかしそれで勢いよく立ち上がったものの、脚は酷使のために震え、体重を支えきれない。そのまま後ろへよろめき、リンは再び湖の中に転落してしまった。


 必死にもがいたが、脚が言うことを聞かない。リンはだんだんと、そして確実に水に呑まれていく。


(たすけて……だれか……)


 助けを求めようにも、口を開けばただ水がなだれ込むだけで声も出せない。


(苦しい……死んじゃう……)


 水面の向こうに(かす)かに見える空へ向かって、リンは無意識のうちに手を伸ばす。視界の端が暗い。その影が次第に押し寄せる。


(いやだ……死にたくない!)


 今にも視界が闇に呑まれようかというその時、頭上から無数の水の泡が起こった。上から噴き出し、瞬時に空気を求めるかのように水面へと引き返す。その光景がゆっくりとリンの頭に流れてきた。


 その銀白に輝く泡の中には、同じく銀色の何か――それは、手の形をしていた。リンのそれとあまり変わらない大きさの銀色に輝く誰かの手。それが唯一残された、リンの希望だ。最後の力を振り絞り、リンは頭上を漂う自分の腕をそれに向かって思い切り伸ばした。


 銀色の手はリンの腕をしかと掴んだ。その手の小ささからは想像もつかないほど強い力。リンの体はいとも簡単に、地上へ向かって引き上げられていった。




 青い空、まばゆい光、そして生の(かて)となる空気が、リンの元へと舞い戻った。リンは摂り損ねていた酸素を、目一杯に取り戻そうと呼吸する。


 落ち着きを取り戻して初めて、少し離れて佇む命の恩人の存在に気付いた。しかし恩人の手は銀色ではなく、赤い。見ればその手だけではない。裾から出た細い両の脚、そして顔の右半分までもが、痛々しく焼け(ただ)れていた。


(この子、夕べの……橋の上の……)


 昨夜の恐怖がリンの頭を再び満たし、感謝の気持ちの入る隙も無い。どこから出したのか当人にも分からないような、言葉にならない声をリンは発した。


 いつ襲い掛かってくるか分からない。彼が恩人だということを完全に忘れて、リンはありもしない身の危険に(さいな)まれていた。


 逃げようにも、脚が動かない。それどころか、身動き一つ取れなかった。しかし目は大きく見開いたまま、少年の瞳に釘付けになっている。


 少年も動かず、ただリンの瞳を覗き見ていた。少年の瞳は灰色だった。しかし、ただの灰色ではない。暗い灰色。まるで豪火に焼き尽くされた後の塵灰(じんかい)のよう。そこには何も映っておらず、本人がその目を使っているのかさえもが疑わしい。そしてなにより、深い憂いに満ちていた。


 一瞬腰が軽くなったのを、リンは見逃さなかった。


 そのまま身体をひねり、リンは疲れていたのも忘れて地面を蹴った。ヘルメスのようにはいくまいが、いつもよりずっと速く脚は進んだ。自分の小屋を目指して。


 少年は、リンが脱ぎ捨てていったビショ濡れのシャツを拾い上げ、その持ち主が走っていった森の先をぼんやりと見ていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ