15 であい
暫く草の上に寝転がっていたリンは、次第に体力を取り戻して上半身を持ち上げた。若さの成せる業というべきだろうか、子供は疲れの取れが早い。そして水を吸った服を脱ぎ、思い切り絞る。
「さてとっ」
体力のほうは、体を動かすのに十分回復した。しかしそれで勢いよく立ち上がったものの、脚は酷使のために震え、体重を支えきれない。そのまま後ろへよろめき、リンは再び湖の中に転落してしまった。
必死にもがいたが、脚が言うことを聞かない。リンはだんだんと、そして確実に水に呑まれていく。
(たすけて……だれか……)
助けを求めようにも、口を開けばただ水がなだれ込むだけで声も出せない。
(苦しい……死んじゃう……)
水面の向こうに幽かに見える空へ向かって、リンは無意識のうちに手を伸ばす。視界の端が暗い。その影が次第に押し寄せる。
(いやだ……死にたくない!)
今にも視界が闇に呑まれようかというその時、頭上から無数の水の泡が起こった。上から噴き出し、瞬時に空気を求めるかのように水面へと引き返す。その光景がゆっくりとリンの頭に流れてきた。
その銀白に輝く泡の中には、同じく銀色の何か――それは、手の形をしていた。リンのそれとあまり変わらない大きさの銀色に輝く誰かの手。それが唯一残された、リンの希望だ。最後の力を振り絞り、リンは頭上を漂う自分の腕をそれに向かって思い切り伸ばした。
銀色の手はリンの腕をしかと掴んだ。その手の小ささからは想像もつかないほど強い力。リンの体はいとも簡単に、地上へ向かって引き上げられていった。
青い空、まばゆい光、そして生の糧となる空気が、リンの元へと舞い戻った。リンは摂り損ねていた酸素を、目一杯に取り戻そうと呼吸する。
落ち着きを取り戻して初めて、少し離れて佇む命の恩人の存在に気付いた。しかし恩人の手は銀色ではなく、赤い。見ればその手だけではない。裾から出た細い両の脚、そして顔の右半分までもが、痛々しく焼け爛れていた。
(この子、夕べの……橋の上の……)
昨夜の恐怖がリンの頭を再び満たし、感謝の気持ちの入る隙も無い。どこから出したのか当人にも分からないような、言葉にならない声をリンは発した。
いつ襲い掛かってくるか分からない。彼が恩人だということを完全に忘れて、リンはありもしない身の危険に苛まれていた。
逃げようにも、脚が動かない。それどころか、身動き一つ取れなかった。しかし目は大きく見開いたまま、少年の瞳に釘付けになっている。
少年も動かず、ただリンの瞳を覗き見ていた。少年の瞳は灰色だった。しかし、ただの灰色ではない。暗い灰色。まるで豪火に焼き尽くされた後の塵灰のよう。そこには何も映っておらず、本人がその目を使っているのかさえもが疑わしい。そしてなにより、深い憂いに満ちていた。
一瞬腰が軽くなったのを、リンは見逃さなかった。
そのまま身体をひねり、リンは疲れていたのも忘れて地面を蹴った。ヘルメスのようにはいくまいが、いつもよりずっと速く脚は進んだ。自分の小屋を目指して。
少年は、リンが脱ぎ捨てていったビショ濡れのシャツを拾い上げ、その持ち主が走っていった森の先をぼんやりと見ていた。