1 おちこぼれ
世は力を捨て 人は力を得た
人は力を“イニス”と名付け 人は自身を“インスト”と呼ぶ
人は“イニス”を以ち 世は太平を得た
しかしてそれは 崩れ去る
無上の和に飽く “インスト”自身の手によって
人は“イニス”に溺れ 世は修羅に満ちた
弱きを潰し 強きを示し
“イニス”は力 その身に余りし巨大な力
人は戦い 世を巻き込みて 手を取り滅びへ その歩を進めた
「――そこに」
高い壁に囲われた、学園都市と呼ばれる広大な地、子供らが集まって勉学に勤しむ学舎の一室。そこで老人は言葉を止め、溜息を一つ落とした。傍らでは、一人の少年がすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。
「リン。起きなさい」
授業中に居眠りをしていた少年は、それでも一向に目覚める気配を見せない。それを見た老人は大仰に息を吸って止め、呼気と共にありったけの声で怒鳴りつけた。
「リン、これ起きんかっ!」
さすがの居眠り小僧も、今まで聞いた事のないほどの大声に飛び上がった。
「び、びっくりしたぁ……」
「当たり前だ。いい加減こうでもしなければお前は起きんだろう。まったく、大事な講義の途中に居眠りとは、お前の神経の太さにこちらが恐れ入る」
「あ、長老。途中じゃなくて、初めからだよ」
「ますます悪い!」
反論したリンに、長老と呼ばれた老人はリンの頭を小突いた。リンが頭を抑えながら見上げた顔には、 怒りよりも呆れの色のほうが強い。
「リン。お前はどうしてそうなんだ」
「そんなこと言われても……知らないよ。大体どうして講義なんて面倒臭いものがあるんだよ。勉強なんか嫌いだ。こんな事やるんだったら 実技のほうがずっとましだよ」
「こんな事とは何だ!講義はこの世の、そしてお前自身のことを知るために大切なものなのだ。大体お前、聞くところ実技も全くできていないそうじゃないか」
言葉に詰まったリンに、長老はなおも続ける。
「講義でこの世の摂理を知り、理屈をきちんと理解した上で、実技にて体でそれを実感し身につけるのだ。実技だけでもだめ、講義だけでもだめ。どちらか一方では意味がないんだ。リン。このままではいつまで経っても夢は叶わ……」
「いいよ、もう! 学園都市でこんな訳の分かんない事していても、外じゃ全然役になんか立たないよ!こんなところ、今すぐにでも出てってやる!」
リンの夢――それは、“外の世界”へ出てゆく事。つまり、この学園都市を囲っている壁を越え、その外へ出て行くことだ。それを夢見る者は少なくないが、その為の努力に対し疑問を持つ者はなかなかいない。
勉強をしなければ外へ出られないと教師たちは口を揃えて言うが、リンにはそれがどうにも信じ難かった。疑問を教師に投げかけて、答えが返ってきたためしがないのも、その理由の一つだった。それで結局、勉強もせずに暮らしてきたリンは皆に取り残されてしまった。かつて友人と呼べるものは少なからずいたが、彼らもまた、ずいぶん前に勉学をものにして外へと羽ばたいた。
それだけではない。リンはその調子で年下のものにまで追い抜かれ、もはや知り合いはリンの出来の悪さに呆れ果てた教師たちと、ここにいる長老のみ。教師たちの言い分に抗い、好き放題をやってきた代償に、リンは孤独を味わう事になったのだった。
「またそうやって……」
いつもどおりのリンの捨て台詞に対して、長老もいつもどおりの言葉を返そうとしたが、それの終わる前にリンは自身の言葉の通り、勢いよく扉を開けて部屋を飛び出してしまった。
一人残った長老は、開け放たれた扉の向こうを見、そしてまた一つ溜息を落とした。