第一幕 花咲く頃 Ⅱ誰もいない町
前回のつづきになります
Ⅱ誰もいない町
「眩しい。」煌めく光が瞳に飛び込み、私の脳を貫く。私はゆっくりと瞼を開いた。見慣れた街、見慣れた空、どこを切り取ってみても私の街に見える。しかしすぐに私の暮らす街とは違う異質な点が見て取れた。町全体ほぼすべての家屋の一階分がすべて水没している。また水没した道路には、倒壊した建物の破片が無造作に水面から顔を出している。街の形こそ私の知る面影が残っているが、どうやらその様子は私の知る街ではないらしい。私の世界と聞いていたからどんなものかと少し期待していたが、ここまで寂しく空虚な世界だとは思っても見なかったので、私は酷く辟易してしまった。
「ここが本当に私の世界…? 水没して瓦解し何もないのこの世界が…?」
私にはどうもこの現実を信じることはできなかった。すると首に提げた真紅の琥珀は突然熱を持ち光始めた。
『ここが上林七華の世界だ。これからお前を出口へと案内する。しっかり聞いて動いてくれよ。』
どうやら琥珀から音が聞こえているらしい。だが私はもうそんなことでは驚かなかった。それよりも自分の世界が一体どうなっているのかに興味を惹かれていた。私の世界である以上、そこには私自身の方程式が存在する筈だ。そのことが私の心を掴んで離さない。
「ねえ。」
私は無意識に琥珀の先にいる男へと話を掛けていた。
「なんで私の世界はこんなにも酷い有様なの? 一体何があったの?」
『それは教えられない。私の使命は迷い人を導くことだけだ。それ以上それ未満の仕事はしない。』その口調に焦りや怒りなどは感じられない。やはりあの平坦な口調で私の質問に答えていた。
「なら、この私の世界を見て回ってもいい? なんで私の世界がこんな状態になっているのか知らなきゃ寝つきが悪いの。」
助けて貰っている身と言うのに、この上なく我儘な御願いである自分でも思う。だがこんなものを見せられて何にも思わないというのは無理なことであろう。
『…。』琥珀から伝わる男の声は沈黙していた。しかし何か熟考していることだけは容易に察することが出来た。ほんの数十秒の沈黙だっただろうが、その沈黙は私にとっては永遠に近い時間に感じた。喉が無性に渇き、何度も唾を飲み込む。すると男の声がゆるりと沈黙を破った。
『いいいだろう。だがそれをすることでお前が不利益を被ることになるかもしれない。それはお前の自己責任ということでいいなら許可しよう。それと何があっても最後には必ず元の世界に帰るんだぞ。』
その声は今まで聞いたことない強く念を押すような声だった。彼は私にとって何か重大な事を知っている。でも私の身を案じそれを伝えないようにしてくれている。その心遣いを踏みにじり我儘を通そうとする辺り、やはり私は愚か者で罪深いのかもしれない。
「わかった。約束する。」
私はそう静かに言った。たとえ気付かなかった頃に戻れなくなっても、私は私であり続けることが今の私に唯一残った希望だ。失うことはなにも怖くない。何も知らずに失われることが怖い。太陽の光が水面に反射し銀の錦を躍らせているのを見つめ、私はゆっくりと街へ歩き出した。
街を沈めた水の際に立ち、その水に触れてみる。水はその冷たさを伝えながら、私の手のひらを滑り落ちていく。どうやらこれらの水は本物のようだ。「どうしよう。」私はこの状況に非常に困惑していた。街に行きたいと言ったものの、その街の道路や歩道はすでに水没していて歩ける場所と言えば、水面を飛び出た瓦礫の上を飛び跳ねるくらいしか存在しない。ここで引き下がる訳にはいかないが手段という手段がない。そんな私を見かねたのか琥珀から声が飛んでくる。
『ここはお前の世界だと先ほど言っただろ? ここでは自身の心象を外部に拡張できる。つまりここはすべて自分次第で決められる世界なのだ。あとはわかるだろ?』
私は「はっ」とした。そうだ、ここは自分の世界なんだ。そんな単純なことを忘れていた私自身が恥ずかしい。私は目を閉じ、心に「水面を歩ける世界」をゆっくりとイメージする。そのままゆっくりと水面に片足を乗せる。足の裏にはまるで砂の上を歩いているような感覚が撫でる。もう一方の片足も前に出してみる。歩ける。私は閉じた目を開け足元へ目を向ける。どうやら本当に私は水面に立てているようで、その現実味のない光景に喜びと興奮を覚えた。
『ところでこの街に行く当てがあるのか? 今のお前には記憶に制限が掛けられているだろう。とりあえずその記憶の欠片を探してみてはどうだ?』
琥珀から彼の声がした。確かにその通りだ。私は自分が何者かなのかは解かるが、それ以上のことは全く分からない。交友関係、生活風景などを思い出そうとしても、何かが私の邪魔をして思い出させようとしてくれない。私は彼の言うことに素直に従うことにした。
「私の記憶の欠片は一体どこにあるの。知っているなら教えて。」
彼は深い溜息を洩らした。
『止めたところでお前は探すことを辞めないだろうから、すべて教えてやろう。お前が失った記憶は全部で5つの欠片に保存されている。一つ目は友の記憶、二つ目は世俗の記憶、三つめは約束の記憶、四つ目は絶望の記憶だ。』
「最後の五つ目の記憶はなに?」
『五つ目は運命の記憶だ。まずは友の記憶から探すか。この記憶はお前が通った高校にある。』
彼はあまり乗り気ではない様子ではあったが協力してくれるようだ。私は目的地を目指して走り始めた。
ななせPと言う者が思いつきで書き始めた作品です。
内容としては短編小説をいっぺんに書くのは技量と時間的に無理があるので、三分割にして投稿していくつもりです。
それぞれの幕で主人公が変わりますが、全部で何幕になるかは謎です。