転生前夜 ゼースとの出会い
ソレがやってきたのは、2017/08/05の午前4時だった。
いつものように眠りから目覚めたボクは、身じろぎ一つせず時計を睨み付けていたから、よく覚えている。
早朝に目が覚めると、夜が来るまで二度と眠る事ができない体質なのだ。
誰かを起こす事がないように、息をひそめながら時が過ぎるのを待つ。
そんな日課を送っている時、窓が細かく振動しているのに気が付いた。
カタカタとガラスが細かく揺れる耳障りな音に目を窓の方に向けると、ちょうど窓の一部が丸くくりぬかれて、床に落ちるところだった。
とたんに、突風がカーテンをもぎ取って壁にたたきつけた。
窓の向こうには街灯に照らされてもなおどす黒く、夜の闇を凝集させたような巨大なクモがいた。
脚の数、動き、形からそれがクモであることがわかったが、牙も口も見当たらない。あるのは顔らしき場所の半分以上を占めている大きな人間のような一つの瞳だった。
ソレは脚の一本を持ち上げて、ボクを貫き持ち上げた。
痛みはない。ぼんやりとしてくる意識の中、浮かされたボクの身体が安定をもとめてじたばたともがいた。
徐々に力が入らなくなり、あれほどうるさかった鼓動の音も、気づけば消えてなくなった。
――――ボクは死ぬんだ。その事実に近づく実感が湧くたびに、ボクの心は喜びに打ち震えるのだった。
*
気がつくとふかふかの布団の中に、横に寝かされていた。
いつものような激しい脈動もなければ、浅くなる呼吸の感じもない。
暖かいお湯につかった後のような心身共にリラックスできているような感じに、ちょっとした感動を覚えた。
身じろぎして横を見ると、そこが和室である事がわかった。
部屋の真ん中に置かれた小さなちゃぶ台と、ちゃぶ台で茶をすすってるらしい女の子の足が見えた。スカートで正座をしている為、柔らかそうな太ももに三角形に切り取られた白い下着が見えた。
がばっと起き上がってそちらを見ると、白い長髪をポニーテールにした同い年ぐらいの女の子がそこに居た。
「おう、起きたか」
西洋とのハーフらしい見た目とは裏腹に男らしい口調で言うと、女の子は茶をちゃぶ台にどんっと置いた。
「すまんな、君。送る場所を間違えたんだ」
言いながら女の子は立ち上がってこちらに来る。
英語でFucx This Shix, cum'on meと書かれた白いTシャツに赤いパーカー、短めのデニムのスカートといった服装の女の子はこちらまで来ると、美しい所作で正座をし、頭を下げた。
それから女の子は、自分が神である事、滅ぼすべき世界があり、そこに送るはずだった僕を誤ってボクの世界に送ってしまった事、君がその第一にして唯一の犠牲者である事を説明された。
「だからな」
女の子は、半身を起こしたボクの肩に手をぽんと置くと
「力が欲しいか、少年」
最高の笑顔でボクにそう囁くのであった。
*
女の子の名前は、ゼースと言うらしい。ゼースはボクの人生を見て、いたく同情したらしかった。
この上自分の間違いで死んでしまう等、あまりに哀れだ(彼女は本当にこう言った)と言うと、彼女は指先をボクの額に押し当てた。
「これから君を違う世界に飛ばしてあげよう。もちろん、君の大好きな小説のように転生と言う形でね」
あてられた指先から様々な知識が流れ込んでくるような感覚がする。
中世のヨーロッパのようなイメージの街、しかし灌漑されて美しい街並みや下水環境、魔法と言う不思議な力や邪悪な生き物である魔物が存在する事、そうした魔物を討伐する勇者を養成する学校があったり、勇者たちが集って仕事をするギルドがある事、様々な知識が流れ込んできた最後に見えたのは、優しそうな二人の夫婦だった。
あちらの世界ではどちらかと言えば晩婚らしく、20代後半の二人にようやっと産まれた男の子、それがボクだという事がわかった。
つわりに苦しみながらも、淡い期待に胸を膨らませる二人、徐々に大きくなるお腹、喜び、涙。
そこまで見せると、女の子はボクから指を離した。
「そんな名残惜しそうな顔をするな。もうすぐ、そこに君は行くのだ」
彼女は言うと、優しく頬を撫でてくれた。
「君には魔法の才能をやろう。そして力も。ただし驕ってはいけないよ。力は強さを求める者であれば誰でも持てるが、優しさはその者の在り方に深く関わり、根付いているものだ。傷つきうろたえ、悲しみを持っている君なら、きっと優しい強さをその身に宿す事ができると思うんだ」
小さい子に教え諭すように、優しい口調で女の子は言うと、ボクを抱きしめた。
「新しく生まれ変わる君は、親から愛され、その身に不自由を感じない心身を持っている。それに、かわいらしい顔をしている。なーに、君の生前の容姿のことはボクが忘れさせてあげるから、安心しなさい。生まれ変わった君の身体に違和感なんて少しも感じさせてやらないよ」
ミルクのような甘い香りにお日様のような暖かさ。さっき起きたばかりだというのに眠くなる。
ボクの方からも女の子を抱きしめると、つんのめった女の子が布団の方へ転げてしまった。
「ごめん!」
反射的に謝ると、女の子はボクの隣に横たわりながら、にぃーっと笑った。
「やるね、少年」
女の子の手がボクの首に回り、お日様のような温かさに身体中が包まれた。
おそらくお互いがお互いの温かさを心行くまで堪能してから、ボクはそっとTシャツに書かれた言葉の意味を分かる範囲で教えてあげた。彼女はカラカラと笑っていた。