⑪K報
人間を怪人に変える栞からは、五・七・五・七・七の電子音声が流れます。
早い話、短歌です。
変身ポーズを考えるのもメンド臭いですが、こっちを考えるのもかなり億劫です。
なぜ短歌? と言うと、栞が長方形だからです。
ほら、短歌を書く短冊も長方形ですよね?
「……生き物って、こんなに情報をまき散らしてんのかよ」
〈マスタード〉は自然と口を空け、驚嘆の声を漏らす。
暗闇に棲む生き物が、目を退化させる理由が判った。
単純に必要ないのだ。
ぐらぁ!? ぐらぁ!?
ひっきりなしに混乱した鳴き声が上がり、蒸気が大きく渦巻く。
恐らく獲物を見失った〈YU〉が、頻りに辺りを見回しているのだろう。
臭覚や味覚の発達したナマズとは異なり、彼等は視覚に頼る部分が大きいらしい。
ともかく、敵が思うように動けないなら、絶好のチャンスに違いない。
〈マスタード〉はすうっと蒸気に紛れ込み、〈YU〉の背後に忍び寄る。
続けて音もなく腕を伸ばし、〈YU〉の首を掴んだ。
ぐらっ!?
〈YU〉は跳び上がり、慌てて振り返る。
だが、もう遅い。
〈マスタード〉は手の平の口で〈YU〉に噛み付き、一気に腕を振り抜く。
途端、ぶちっ! と鈍い音が轟き、〈YU〉の頭が胴体から離れた。
ぐらぁぁ!?
生首が絶叫し、胴体と同時に体液を噴き出す。
瞬間、濛々《もうもう》と立ちこめる蒸気に、ぽつぽつと点る灯り。
ともすれば、夜霧の向こうに灯台が見えているようにも思えるが、正体は〈YU〉の提灯だ。どうやら仲間の断末魔を頼りに、敵の位置を特定したらしい。
「やべっ!」
〈マスタード〉は〈YU〉の生首を拾い上げ、提灯の方向に投げ付けた。
たちまち光弾と生首が衝突し、一瞬、蒸気が紅蓮に染まる。爆風が仮面に吹き付けると、頭上から「なめろう」そっくりの肉片が降り注いだ。普通、「なめろう」と言えば青魚の「たたき」だが、赤身の〈YU〉でも作れるらしい。
「こりゃ、さっさとズラかったほうがよさそーだな」
〈マスタード〉はそそくさと後退し、蒸気に身を隠す。
次の道標は、バシャバシャと水溜まりを踏む音だ。
〈マスタード〉はトカゲのように這い進み、素早く間合いを詰めていく。
そして〈YU〉の足下に辿り着くと、一息に背中の岩石を振り上げた。
「どりゃっ!」
岩石が〈YU〉の股間にめり込み、重く硬い――そう、冷凍のマグロにノコギリを挽いたような手応えが走る。瞬く間に巨体を切創が縦断し、股間から額まで歪な線を引いた。
〈YU〉が真っ二つに割れ、返り血が〈マスタード〉を黄緑に染める。
続く爆発は蒸気を吹き飛ばし、真っ白だった視界を晴らした。
「暴走する確率は九八.九九㌫。勝率は八七.五㌫か。重畳だ」
キモは電卓を投げ捨て、乗用車のボンネットから飛び降りる。
それから胸元に手を遣り、ツナギのファスナーを下げた。
栞。
蒸気のせいで汗ばんだ谷間に、栞大の金属片が刺さっている。
「目には目を。歯には歯を。魚には魚を、か。らしくもなく洒落の利いた話だ」
キモは栞の先端に手を伸ばし、紐のように垂れた鎖を引く。
〝エントリイ 暗夜に灯る アンコウや〟
半分ほど栞が抜け、五・七・五調の電子音声が鳴り響く。
卒塔婆同様、彼女の栞もスピーカーを内蔵しているらしい。
すぐさま栞から上下に光が走り、右半身と左半身の間に線を引く。
同時に光線から文字が滲み出し、キモの全身を黒く塗り潰した。歯にまで文字を書く徹底ぶりには、耳なし芳一も平伏することだろう。
「フンッ!」
キモは鼻から息を引き出し、力の限り鎖を引く。
途端、彼女の胸から栞が飛び出し、七・七調の電子音声を響かせた。
〝麗しきかな 死への誘い〟
光線に分割された右半身と左半身が観音開きに開き、背中で「綴じる」。間髪入れず、キモの体内から透明な「何か」が飛び出し、顔面を淡く発光させた。
開いた瞬間、中から立体が現れる――。
今まで知らなかったが、ヒトの身体は飛び出す絵本だったらしい。
「……成るほど、それが〈筆鬼〉ってヤツか」
〈マスタード〉は本能的に半歩下がり、固い唾を呑む。
確か名前は、〈発光筆鬼アンテラ〉だったか。
袱紗に入っていた資料には、発熱細菌に注意するように書かれていた。
文字通り〈YU〉を一蹴した〈シュネヴィ〉も、彼女には手を焼いたと言う。
化け物との戦いには大分慣れてきたが、警戒するに越したことはない。
てらぁ……!
キモ改め〈アンテラ〉は不気味に唸り、妊婦のような腹を震わせる。
反物状の腕は頻繁に地面を撫で、砂埃を巻き上げていた。
背丈や横幅は、ヒトだった時の二倍近くに膨れ上がっただろうか。
美しく透き通った上半身に、茶色く濁った下半身。
整合性のなさと言い、尾ビレのように癒着した足と言い、まるで人魚のミイラだ。
二種類の動物を組み合わせたような姿を眺めていると、ついつい疑ってしまう。あの怪人は、ゲルショッカー製ではないか。
「来い」
〈アンテラ〉は無感情に命じ、顔面中央の発光体を点滅させる。
途端、一匹の〈YU〉が跳び上がり、〈アンテラ〉の目の前に降り立った。
まさか〈YU〉には、人間の言葉が通じるのだろうか。
いや、発光体の点滅が、何らかの信号だったに違いない。
ぐらぁ!
何をトチ狂ったのか。
〈YU〉は思い切り口を開き、〈アンテラ〉の腕に噛み付いた。
すぐさまどす黒い液体が染みだし、〈YU〉の牙をお歯黒に変える。
呼応して、〈YU〉の額に黄緑の血管が浮き上がり、全身に広がっていった。
ぐらぁ……!
てらぁ……!
二つの鳴き声がハモった拍子に、〈YU〉の歯茎から〈アンテラ〉の腕へ血管が伝染していく。見る間に透明な身体は侵食され、マスクメロンに似た網目模様を刻み込んだ。
透明な身体に突き立てた牙。
〈アンテラ〉の腕を掴む手。
密着した部分から、〈YU〉が〈アンテラ〉と融合していく。
明らかに〈YU〉が吸収されているが、拒む様子は微塵もない。
むしろ自分から頭を振り、〈アンテラ〉の身体に潜り込んでいく。
最後には踝まで呑み込まれ、完全に〈アンテラ〉の一部になってしまった。尾ビレのように揃えた足だけが、〈アンテラ〉の肩口から突き出ている。
「アンタ、何を……!?」
ぐらぁ! ぐらぁ!
我が目を疑う〈マスタード〉を余所に、無数の〈YU〉が〈アンテラ〉に群がる。
乱痴気騒ぎに加わるのは、周辺の個体だけではない。
視界の奥や地平線からも、影、影、影。
〈YU〉たちは飛び石のように屋根を渡り、続々と〈アンテラ〉の下へ降り立つ。
狂ったように身体を揺すり、集団で獲物に食い付く姿は、血の臭いを嗅ぎ付けたサメそのものだ。
後から後から沸き立つ土煙を眺めていると、いやに鮮明に幻聴が聞こえる。
そう、海面が激しく泡立っているような幻聴が。
ぐらぁ! ぐらぁ!
主菜の〈アンテラ〉にありつけなかった〈YU〉は、目の前の仲間に食い付いている。
共食いに次ぐ共食い。
絶叫に次ぐ絶叫。
見る見る黄緑の血煙が立ちこめ、夕日を霞ませていく。
地獄絵図。
陳腐な表現だが、それ以上に適切な形容詞が思い付かない。




