⑩JETな要石
ナマズと言えば、地震を起こす魚として有名です。
あまりに傍迷惑な彼等は、「要石」と言う石で拘束されています。
「要石」って何? と思った方は、本文をお読み下さい。
「さあ、準備完了だ!」
〈マスタード〉は再びアイコンを表示し、荒波のそれに視点を合わせた。
ぎち……ぎちと背中に生えた岩石が軋みだし、硬いバネのように縮んでいく。同時に全身の口がタコのように窄まり、一心不乱に息を吸い始めた。
口と言う口に殺到する空気が、〈マスタード〉を激しく揺さ振る。
渦潮のように轟々と唸り、聴覚を占拠する呼吸音。
海坊主の深呼吸だって、こうはいかない。
ぐぐ……ぐぐぐ……。
普段の二分の一まで縮んだ岩石が、今にも爆ぜんばかりに鳴動する。
それでも、岩石は止まらない。
更に縮み、もっと縮み、打ち震える間隔を果てしなく短くしていく。
結局、普段の五分の一程度になるまで、岩石が動きを止めることはなかった。
再び視界が赤く染まり、仮面の内側に警告音が鳴り響く。
モニター中央には、デカデカと竜巻のアイコンが表示されている。
「……吹っ飛べ」
〈マスタード〉は静かに言い放ち、竜巻のアイコンに視点を合わせた。
瞬間、背中の岩石が、〈カナメイシリンダー〉が跳ね上がり、盛大に天を突く。同時に圧縮されていた空気が解放され、全身の口から一気に噴き出した。
茨城県の鹿島神宮と千葉県の香取神宮には、祭神の建甕槌が置いたとされる石がある。
要石と呼ばれるそれは、暴れる度に地震を起こすオオナマズを封じていると言う。何でも建甕槌は、二つの要石をそれぞれ尾と頭に乗せることで、怪魚を押さえ付けたそうだ。
壮大な伝説とは裏腹、実際の要石は小振りだ。
少なくとも地上に見えている部分は、年季の入った漬け物石にしか見えない。
だが嘘か誠か、地下に埋まった部分は恐ろしく巨大で、水戸光圀が七日七晩掘らせても掘り起こせなかったと言う。さすがに伝説のオオナマズを封じているだけのことはあるが、今日はちょっと緩んだらしい。
〈マスタード〉の全身から暴風が吹き荒れ、破壊的な風音が、オオナマズの雄叫びとしか言いようのない轟音が木霊する。途端、黒煙が炎が空の彼方に吹き飛び、腰が抜けたように夕日が震えた。
水平だった地平線が右に左に傾き、ビル群が踊り狂う。
同時に電線と言う電線が激しく撓り、電柱と言う電柱が倒れていく。
車道では、ブレイクダンスが流行中。
軽自動車も4WDも無茶苦茶に地面を転がり、視界の奥に吸い込まれていく。
横倒しになったミキサー車は、車体ごと生コンを攪拌していた。
全身の口が開いていた時間は、恐らく五秒にも満たないだろう。
だがたった五秒間の突風は、〈YU〉の装いを劇的に変えてしまった。
鉛色の皮膚を纏っていた巨体が、見事に筋繊維をさらけ出している。
なまじ踏ん張ったせいで、皮だけを剥ぎ取られてしまったのだろう。大人しく吹き飛ばされていれば、世界の果てに運ばれる程度で済んでいたはずだ。
全身の皮を剥がれた以上、発狂ものの痛みを味わっているのは間違いない。にもかかわらず、彼等は呻き声一つ上げることなく、呆然と立ち尽くしている。
正直、気の毒で仕方ない。
この程度で硬直していたら、この先、身が保たないだろう。
「本番はこっからだ……!」
〈マスタード〉はほくそ笑み、再び全身で息を吸う。
途端、勢いよく空気が流れ込み、口と言う口から小型の竜巻を生やした。
無秩序に空中を漂っていた残骸が、一転して口に吸われていく。
呼応して、またも背中の岩石が震えだし、バネのように縮み始めた。
緑色の草。
赤いポスト。
灰色のコンクリ片。
色とりどりの瓦礫が混じり合い、竜巻を真っ黒く濁らせていく。
煎餅を咀嚼するような音を発しているのは、ガラス片を掻っ込む籠手。
かたやレガースの口は、ねじ曲がった標識をポッキーのように囓っている。
手負いの〈YU〉にありついたのは、胸当て代わりのビッグマウスだ。
ヤスリ状の歯は、〈YU〉の頭を落花生のように磨り潰している。
何でも説明書によれば、高速振動、そして振動に伴う摩擦熱で、切れ味を上げているらしい。事実、胸の口からは、細々と白煙が棚引いている。
「ごちそうさん!」
〈マスタード〉はいつものように手を合わせ、全身の口を閉じる。のべつまくなしに瓦礫を詰め込んだ口たちは、ハムスターの頬のように膨れ上がっていた。特に一番大きな胸の口は、本体の倍以上に肥えている。
「うわ、お相撲さんみたい」
率直な感想を漏らし、〈マスタード〉は胸を叩いた。
ポン! とタヌキ的な音が鳴り、ふと足下がふらつく。
どうも急激に太ったせいで、うまくバランスを取ることが出来ない。
ぐらあ!
隙ありとばかりに咆哮が轟き、〈YU〉の大群が〈マスタード〉に迫る。
どうやら、今度こそ攻撃が終わったと思ったらしい。実に甘い。
「そうだ、来い! もっと近くに来いよ!」
〈マスタード〉は引き寄せ、引き寄せ、鼻先まで大群を引き寄せる。
やがて先頭の〈YU〉が爪を振り下ろし、〈マスタード〉の頬を光が掠める。
瞬間、〈マスタード〉の背中から岩石が飛び出し、全身の口が開く。
「地上最強のゲロを堪能しな!」
〈マスタード〉の全身から湯気が噴き出し、欲張って詰め込んでいた瓦礫が乱れ飛ぶ。
高熱の歯によって磨り潰されたゲロは、もうマグマ。
標識もコンクリ片も赤々と煮立ち、絶え間なく気泡を弾けさせている。
腐った卵のような臭いと言ったら、まさに火口そのものだ。
ぐら……!?
見る見る赤熱した濁流が広がり、〈YU〉の大群を呑み込んでいく。
沿道の並木が続々と燃え上がり、イルミネーションの季節以上に光輝く。
氾濫した大河のような水音は、軽々と大空を震わせた。
〈マスタード〉が誇るマップ兵器「ポロロッカ」。
アマゾン川の逆流から頂戴したその名は、伊達ではない。
ぐらぁ……。
助けを求めるように手を伸ばした〈YU〉が、次々と真っ赤な水面に沈んでいく。
マスタードの脳内有線に掛かっているのは、「ダダンダンダン♪ ダダンダンダン♪」。
「ターミネーター2」のテーマだ。
どうも真っ赤な水面が熔鉱炉と、〈YU〉がシュワちゃんと重なったらしい。
「ふぃ~、スッキリ!」
〈マスタード〉がゲロを吐ききると、辺りは焼け野原と化していた。
突発的な大水は、ほぼ下水道に流れていっただろうか。
だが所々に水溜まりが残り、温泉のように湯気を踊らせている。
縦列の木炭になった並木。
焼け焦げ、フレームだけになった乗用車。
融解し、赤く光る塀。
何から何まで鈍色の煙を上げているせいで、視界は最悪だ。
余熱や蒸気のせいで、サーモグラフィもうまく働かない。
「しゃーない。バイザーでも使ってみるか」
〈PDF〉にも大分慣れてきた。
ダメージを受けないことも実感したし、やたらと攻撃に反応してしまうこともないだろう。
善は急げとモニターにアイコンを表示し、バイザーの機能をオンにする。
真っ先に鼻を突いたのは、下水道の汚泥が煮える臭い。
花火で縁石を焙ったような焦げ臭さは、燻ぶるコンクリ片だろうか。
エイやサメのようなアンモニア臭……。
一箇所だけではない。
街角の到る場所に点在している。
間違いない。
〈YU〉だ。
ゼリー以上に水っぽい味は、相変わらず舌をピリピリさせる。
より意識を集中すると、本当に幽かに琴を低くしたような音が聞こえた。
たぶん、〈YU〉たちの筋繊維が収縮しているのだろう。




