表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

93/132

⑧HON当に安全なのはガソリンスタンド

〈マスタード〉の唇は、強力な吸盤になっています。

 これはモチーフになったプレコも同様で、唇で水槽に貼り付いたりします。

 次回の番外編では、そんなプレコたちに付いて迫っていきます。

「やるっきゃねぇか!」

 やけっぱちに叫び、〈マスタード〉は歯をさらけ出す。

 刹那、頭に浮かぶ白黒の点描てんびょう

 イノシシのように頭を突き出しているのは、〈YU(ワイユー)〉だろうか。

 どうやら眉間に居座るお節介が、背後から迫る危機を伝えているらしい。


「どわわっ!」

 反射的に奇声を上げ、〈マスタード〉は右に跳ぶ。

 着地した途端、鼻一杯に広がる焦げ臭さ。

 今度は、バイザーが警戒を促しているらしい。


「ホント、しつけのなってねぇ化け物だな! 他人様ひとさまに用があるなら、順番に並べよ!」

〈マスタード〉は舌を鳴らし、臭いの元に視線を飛ばす。

 案の定、目に入ったのは〈YU(ワイユー)〉で、大きく開いた口は提灯ちょうちんを輝かせていた。


「吐かせるかよ!」

〈マスタード〉は迷わずクラウチングスタートを切り、手の平の口を開く。

 だがやはり、鋭敏になりすぎた感覚が邪魔をする。


 茶々を入れてきたのは、側線そくせんを模したセンサーだろうか。

 左右に分断された気流に、口笛を思わせるかざおん――。

 どうも目で見えないほど遠くから、〈YU(ワイユー)〉が降って来ているらしい。


「ああっ、もうっ!」

〈マスタード〉はブレーキを掛け、右後方のマンションまで跳ぶ。

 同時に圧縮空気を噴き出し、一旦、上空に待避する。


 白煙が地面に吹き付け、一階、二階、三階とベランダが視界を流れ落ちていく。程なく八階に辿り着くと、〈マスタード〉は全身の唇を外壁に押し当てた。


 すかさず内部の真空ポンプを起動させ、壁と唇の間にある空気を吸い出していく。一瞬だけ掃除機そっくりな音が鳴り響き、吸盤と化した唇が外壁に貼り付く。

 やっぱり説明書には、全文ひらがなでこう書かれていた。

 でんしゃどうしがひっぱりあっても、ぜったいとれないぞ!


「やっぱ、集中出来ねぇよ」

 情けなく弱音を吐くと、子供っぽいうなり声が後に続く。


 事前に危機を察知し、痛い思いをしないで済むのはありがたい。

 さすがは地震さえ予知する(らしい)ナマズくんだ。

 だがその敏感すぎる忠告のせいで、回避に追われてしまうのは大問題だ。


 攻撃は最大の防御。

 避けていたって、敵の数は減らない。いや、さては不老不死と言うアドバンテージを活かし、〈YU(ワイユー)〉が天寿をまっとううするのを待つつもりか。


 仮に直撃を受けたとしても、痛みはほとんどない。

 そもそも〈マスタード〉と半平は、延髄にある剣山状の端子で繋がっている。


 剣山を首に刺す……。

 説明書を読み進めるまでは、拷問にしか思えなかった。


 その実、カの口吻こうふん――血を吸う針をもとに開発された端子は、ほとんど痛みを感じさせない。何でも痛点をすり抜けるほど細く、構造にも工夫がほどこされているそうだ。


 ダメージは振動、触感、温度変化、圧力、電気……と幾つかに分解、計測された後、半平に伝えられる。

 とかく痛みと言うのは敬遠されがちだが、危険を知るためには重要な情報だ。銃撃を受けても、炎に焼かれても何も感じなかったら、重大なダメージを受けていることに死ぬまで気付かないかも知れない。


 装着者に伝えられる痛みは、動きを止めることのない程度にやわらげられている。現に光弾を喰らった時も、煮え立ったおでんのような熱さを一瞬味わっただけだった。


 それでも避けてしまうのは、生物のさがだろうか。

 いや、それ以上に慣れていないのかも知れない。

 自分が化け物になったことに。あるいは、〈PDF〉をまとっている現実に。


YU(ワイユー)〉の牙にしろ、爪にしろ、人間だった頃ならなすすべもなく引き裂かれていた代物だ。燃え盛る光弾こうだんもまた、今朝までは閻魔えんま大王だいおうとのホットラインだった。と言うか、生きたまま火葬されたせいで、トラウマになってしまったのかも知れない。


 ともかく、重大なミスを犯してからでは遅い。

 ここは一度、先輩にアドバイスを求めるべきだ。


「ハイネっ!」

〈マスタード〉は眼下に目を向け、鉛筆大の人影に呼び掛ける。

 頼みの綱のハイネは、逃げ遅れた人々をガソリンスタンドに集めていた。


 街が炎に包まれている時に、何を考えている?

 ガソリンが誘爆したらどうするんだ?


 そんな風に、一般の人々は彼女の正気を疑うかも知れない。

 だが消防団見習いの〈マスタード〉にしてみれば、模範解答だ。


 多数の〈YU(ワイユー)〉が跋扈ばっこしている以上、簡単に人々を逃がすことは出来ない。

 しかも彼女は、自力では動けない負傷者を抱えている。

 状況を考えるなら、安全な場所に人々を集めるしかない。

 そして街中で一番安全な場所は、何を隠そうガソリンスタンドだ。


 危険物を扱う建物は、消防しょうぼうほう建築けんちく基準きじゅんほうで厳しく規格が定められている。災害の際には絶対近寄ってはいけないように思えるが、実際は一般の住宅より遥かに安全だ。


 その上、周囲が防火壁ぼうかへきに囲まれているため、辺りが炎に包まれても延焼しにくい。実際、〈マスタード〉は一面の焼け野原に、ガソリンスタンドだけが建った写真を見たことがある。


 だい四種よんしゅ危険物きけんぶつのガソリンは、地下深くのタンクに溜められている。そのため、地表が炎に包まれた程度で、誘爆を起こすことはない。驚くべきことに、阪神はんしんだい震災しんさいが起きた時も、ガソリンスタンドは一棟も焼け落ちなかったと言う。


「なんつーかさ、情報量多すぎなんだけど!」

「情報量……センサーのことか」

 ハイネは〈3Z(サンズ)〉隊員を地面に横たえ、少し考え込む。

「必要最低限以外のセンサーを切っちゃいましょう!」


「えぇ!? 大丈夫なわけ!? 何も見えなくなっちゃったりしない!?」

 思わず声を裏返し、〈マスタード〉は〈YU(ワイユー)〉の大群をうかがう。

 目をつぶってあそこに行けと言われると、やけに爪や牙がまばく見えてくる。


「五感は残ります! 感覚が鈍ったせいで攻撃を受けたとしても、彼等の力では装甲を破壊出来ない! 私も何度か光弾こうだんの直撃を受けましたけど、へっちゃらでした!」

 声を張り上げた拍子に蹌踉よろめき、ハイネは防火壁に手を着く。

 顔色は大分よくなったが、満身創痍であることに変わりはないらしい。


「元々〈マスタード〉は、夜とか濁った水中とか、視界がかない状態での行動に特化した〈PDF〉です! センサー類の多さにしろ、独特な武装にしろ、初心者の半平さんが扱うにはトリッキー過ぎる!」

 ハイネは裾をめくり、額の汗を拭う。

 ちっちゃなおへそがあらわになると、立て続けに絶壁がちらつく。

 そう、下乳したちちと呼ぶのもおこがましい絶壁が。


「本当は〈シュネヴィ〉みたいなのから慣らしていくのがいいんですけど、今はそんなこと言ってられない!」

「だから余計な情報を遮断して、補助輪付けるわけね!」


「……ただ、〈マスタード〉と〈シュネヴィ〉では、装甲の厚みが違います」

 ハイネは唐突に項垂うなだれ、口惜しそうに眉を寄せる。

「……攻撃を受けても、絶対に安全だとは言い切れない」


「えぇ!? 今までは安全だったの!? 俺、結構、綱渡りだったんだけど!?」

 今度は意図的に声を裏返し、大袈裟に身体を揺らす。

「……こんなとこ来た時点で、安全なんて単語忘れてるわ」

 自然と彼女を見る目が細くなり、強面こわもての髑髏にしては柔らかい笑みが漏れる。


「……そうですよね、すみません」

 ハイネは苦笑し、〈マスタード〉の狙い通りに顔を上げた。

「センサーの切り方は判りますか?」


「カカオ中毒が付箋ふせんの場所ミスってなきゃね! 後はカンと実践! それがオレ流だわさ!」

〈マスタード〉はキラリと歯(仮面の)を見せ、景気付けに手を叩く。

 そう、手を叩き、吸盤代わりの口を壁から剥がしてしまった。


 ヤッベェ! と思っても、もう遅い。その瞬間、身体が急降下し、七階、六階とベランダが視野の上に流れ去っていく。


「ぬぉぉぉぉ!」

〈マスタード〉はじたばたし、じたばたし、コイキングのようにじたばたし、何とか四階の壁に吸い付く。あぶねぇあぶねぇ、後一歩で時計塔withジャッキーになるところだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ