⑦GO華で過剰なビャクGO
今回のタイトルになった「ビャクゴウ」とは、大仏の額にくっついているホクロのことです。
実はあれ、毛らしいです。
「おへそを中心に、おなかを絞るイメージをして下さい! 慣れてきたら、その感覚を少しずつ上にスライドさせて! そして、〈発言力〉を吸収する延髄に留めるんです!」
〈YU〉の下敷きになった〈マスタード〉を見ても、ハイネが焦ることはない。
〈PDF〉の性能を熟知する彼女は、確信しているのだろう。
あの程度でダメージを受けるはずがない、と。
もう一度、丹田の位置を言わせたい……!
実に健気な漢の本能が、〈マスタード〉に訴え掛ける。
ダメだ!
〈マスタード〉は血の涙を呑み、自分に言い聞かせる。その意見には二〇〇㌫同意だが、これ以上は法廷に持ち込まれるおそれがある。
「へそ、ね……!」
〈マスタード〉はアドバイスに従い、おちん……ゴホン、へその下に力をこめる。
腹筋がきゅっと窄まる感覚を、一歩、また一歩と注意深く上昇させていく。
やがて延髄にそれを重ねると、拳大だった穴が蛇口程度まで縮まった。同時に延髄から溢れ出ていた「何か」が、せせらぎのように細く穏やかになっていく。
「穴が縮まった気がしたら、イメージして下さい! 延髄から湧いた小川が、全身を循環する様子を!」
「小川が全身を循環するイメージ……」
ハイネの指示通り、〈マスタード〉は想像を巡らせてみる。
しかし、腹筋を窄めた時と違って、何となく思い描きづらい。
何しろ延髄から湧き水の出た経験も、全身が水路になった経験もない。
「……このままじゃラチが開かねぇか」
ハイネには悪いが、ここは血液と重ねてみることにしよう。
実際に全身を循環する血流なら、うまくいくに違いない。
〈マスタード〉は意識を集中し、血管の傍らに燃料パイプを思い描く。
イメージが鮮明になるに従い、喧しく響いていたサイレンが小さくなっていく。
程なく音が鳴り止むと、真っ赤だったモニターが総天然色に戻った。画面中央で呻いていたナマズさんも、すっかり満面の笑みを浮かべている。
一瞬にして寒気が治まり、延髄から上っていた黒煙が途絶える。
エネルギー流動路もまた急激に輝きを弱め、卵黄のような色に落ち着いた。
行ける!
腹這いだった〈マスタード〉は、〈YU〉の乗った背中をぐぐっ……! と浮かせていく。そうして五㌧の重さを持ち上げると、豪快に腕を振り上げた。
幾つかのボールを密着させ、右端を叩く実験がある。激突の衝撃は隣へ隣へと伝わり、何と最後には左端のボールが飛び出してしまう。
すし詰めだった〈YU〉にも、同様の原理が働いたのだろう。
碁石の山を振り払ったような手応えと共に、頂上の一体が吹き飛ぶ。刹那、外側から順に〈YU〉が弾け飛び、ぱらぱらと宙を舞った。
あれがチャーハンだったら、さぞ食欲を誘うことだろう。
チョコの溶けかけた胃を押さえ、〈マスタード〉は溜息を漏らす。
久方ぶりに味わうシャバは、感覚のごった煮だった。動力炉が正常になったことで、〈PDF〉の機能が真っ当に働き始めたのだろう。
頻繁に吹き荒れる爆風は、一秒ごとに気流を変える。
その度に空気が細かく痙攣し、砂塵のように肌を擦る。
全身がヒリヒリする感覚は、日焼けし過ぎた時に他ならない。
山に登った時のような耳鳴りは、気圧の変化によるものだろうか。
ごおっと耳の中にこもる重低音は、三半規管を鈍く軋ませている。
それ以上に顔を歪ませるのが、四方八方から漂う〈YU〉の臭いだ。青臭さとアンモニアが入り交じった臭いは、自然と胃液を遡上させる。
唯一何も感じないのは舌だが、先ほどまではドブと重油をミックスしたような味に満たされていた。舌先が痺れているところを見ると、有毒な成分のせいで味覚が麻痺してしまったらしい。
モチーフのナマズ同様、〈マスタード〉は全身に感覚器を仕込まれている。
例えば「側線」を参考に作られた装置は、気圧や気流の変化を敏感に察知する。
「側線」とは魚類の側面に備わる器官で、見た目は点線に似ている。主に水流や水圧の変化を感じ取る役目を持ち、他にも音を聞く働きがあると言う。
サングラス型のバイザーも、味や臭いを感じ取るセンサーだ。
ピンと立った見た目通り、ナマズのヒゲを手本に開発されたらしい。
〈PDF〉共通の仕様としては、〈ビャクゴォーシグナル〉が挙げられる。
眉間に備わったそれは、装着者に背後の状況を報せる機能を持つ。
〈ビャクゴォーシグナル〉は常に、後頭部のカメラで背後を映している。
この映像は微弱な電気に変換され、額の電極から装着者に流される。結果、装着者は視覚ではなく、「触覚への刺激」として背後を見ることが出来るそうだ。
つまり、でんきのぺんをつかって、おでこにけしきをかくんだ。
――と、説明書には全文ひらがなの注釈が添えられていた。
対象年齢三歳的な文体は若干気になるが、ありがたかったのは間違いない。
何しろ漢字の説明を読んでいる間は、原因不明の頭痛が治まらなかった。
爪楊枝で作った風景画を、額に押し当てられている――。
微細に浮き沈みする皮膚が、描かれている内容を伝えてくれる――。
感覚としては、そんなところか。
慣れれば目と同時に「見られる」ようになり、三六〇度の視野が得られるそうだ。
とは言え、〈ビャクゴォーシグナル〉で捉えられるのは、物体の輪郭や漠然とした動き、距離感程度だ。色や質感は判らない。反射的に前後の区別が付くように、わざと性能を落としているらしい。
「ないよりはいいんだろうけどさ……」
思わずボヤき、〈マスタード〉は側頭部を叩く。
耳に水が入った時の対処法だが、当然、耳鳴りは消えない。
無数のセンサーは、開発者の切なる願いを代弁している。
何としてでも装着者を守りたい、と。
しかし日本には、「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う格言がある。
他人より優れた感覚が、持ち主を幸せにするとは限らない。
実際、絶対音感を持つ人は、細かい音が気になって仕方がないと言う。
それ以上に、脳の処理出来る情報量には限界がある。
特に〈マスタード〉の脳は、音ゲーの「♪」にも対処しきれないポンコツだ。
視覚が煩雑になっただけで混乱する出来損ないに、新しい感覚まで管理出来るはずがない。
ぐらあ!
耳鳴りに〈YU〉の鳴き声が交じり、目が剥き出しになった牙を捉える。やはりと言うか、当然と言うか、感覚の処理に慣れるまで待ってはくれないようだ。
「クソっ!」
〈マスタード〉は半ば転がるように、半歩下がる。
瞬間、視界を〈YU〉の顔面が埋め尽くし、目と鼻の先を噛み砕いた。
仮面の残像が〈YU〉の口の中に消え、突風が顔面に吹き付ける。たちまち縁石に乗り上げたように頭が震え、三半規管の疼きを酷くしていく。




