⑥For球の秘密
今回はミツバチの必殺技、「蜂球」の紹介がメインです。
作者は意識の高い作品を目指しています(笑)
その結果が「酢酸イソアミル」です。
何か違うんだよなあ……。
「何だ、何だ、これ……?」
不意にモニターが赤く染まり、仮面の内側にサイレンが鳴り響く。
続いて画面中央にナマズのイラストが表示され、ぐで~っと舌を出した。
徐々に首筋が汗ばみ、全身に金属質の寒気が広がっていく。
原因は、「穴」だ。
〈マスタード〉のイメージ通りなら、延髄に拳大の穴が空いている。
ポンプ車のように噴き出しているのは、体温だろうか、血流だろうか。
いや、もっと根源的な――そう、命の燃料のようなものかも知れない。
やがて簡略化された〈PDF〉がモニターに現れ、異常を示すように激しく点滅する。特に全身のエネルギー流動路と延髄の走馬燈には、大きな×が付いていた。
説明書通りなら、走馬燈は〈PDF〉の動力炉で、〈発言力〉の吸収や管理も担っている。「生きていると訴える声」に不具合が生じているとすれば、寒気くらい感じてもおかしくない。
ともあれ、簡略化された図では状況が判りにくい。
〈マスタード〉は重い頭を回し、カーブミラーに視線を送る。
案の定、延髄からはサンマを焦がしたような煙が上がっていた。
エネルギー流動路は強烈過ぎるほどに輝き、身体の節々を掻き消している。
均一だった色も、何だかムラっぽい。
「丹田に力を込めて!」
ハイネは叫び、怪我人の治療を中断する。
「〈PDF〉に〈発言力〉を送り込みすぎなんです! 〈スーツリアクター〉の、動力炉の許容量をオーバーしてる! 半平さんの側で調整してあげないと、〈マスタード〉も半平さんも消耗する一方です!」
「なるへそ!」
〈マスタード〉は膝を打ち、早速両手を握り締めた。
「う゛う゛う゛……!」
宿便をひり出すように息み、丹田に力を込める。
そう、丹田に……って、た、たんでん?
「丹田って何!? 台湾リーグからの助っ人外国人!? タン・デン的な!?」
「〈発言力〉の放出量を調節する時、イメージに使うツボです!」
「どこ!? どこにあるの!?」
「おちんちんの上です!」
「『おちん』って……」
〈マスタード〉は絶句し、すぐさま顔を真っ赤にする。
言うに事欠いてお、おちんちんとは、けしからんにもほどがある!
「女の子がそういうこと言っちゃいけません!」
正論だ。
――が、死闘の最中にすべき注意ではなかった。
ぐらあ!
突如、背後から咆哮が轟き、〈マスタード〉の視線を呼ぶ。
一瞬、ぐつぐつと煮え立つ提灯が見えると、目の前が真っ白く染まった。
ぐらあぁ!
〈YU〉の口から光弾が飛び出し、〈マスタード〉を直撃する。
瞬く間に火柱がそそり立ち、黒煙が空を覆い尽くした。
横断歩道がクレーター状に抉れ、砕けたアスファルトが乱れ飛ぶ。
爆風は〈マスタード〉を揉みしだき、次の信号まで吹き飛ばした。
「あちちっ! あちちちっ!」
〈マスタード〉は小刻みに飛び跳ね、火の点いたポンチョを必死に叩く。
何とか消火に成功すると、途端に尻が地面へ着いた。
光弾と爆炎のおかげで大分温まったはずだが、寒気は全く引かない。
ぐらぁ! ぐらぁ!
競い合うように〈YU〉が跳躍し、カラスよろしく夕日の前を横切っていく。
逆光を浴び、影と化した編隊は、次々と〈マスタード〉の頭上に降り注いだ。
一匹目が〈マスタード〉の背中に着地し、二匹目が一匹目の背中に着地する。三匹目、四匹目と〈YU〉は際限なく積み重なり、ついには〈マスタード〉を覆い尽くした。
身を捩ることも出来ない過密ぶりは、「蜂球」としか言いようがない。事実、闇に閉ざされた視界には、うっすらと湯気が漂っている。
凶暴なオオスズメバチは、時に同じハチであるミツバチの巣さえ襲撃する。
特に冬を控え、他の獲物が減る秋、ミツバチのひしめき合う巣は貴重な食糧庫だ。
主な狙いは幼虫やサナギだが、巣を守ろうとする成虫にも容赦はしない。発達した顎で次々と噛み殺し、最終的にはミツバチの巣を壊滅させてしまう。
捕らえられた獲物は、オオスズメバチの顎で念入りに切り刻まれる。
そうして肉団子に加工され、彼等の巣へ持ち帰られてしまう。
オオスズメバチの全長は三㌢ほどで、スズメバチ科の中でも最大の大きさを誇る。
対するニホンミツバチは全長一㌢程度で、前者とは親子ほども体格差がある。その上、オオスズメバチの外骨格は分厚く、ミツバチの毒針では貫けない。
正々堂々とタイマンを張っている限り、ミツバチに勝ち目はない。
そこで、彼等は集団戦法を採る。
襲撃を受けたミツバチは、酢酸イソアミルと言うフェロモンを分泌する。このフェロモンは一種の警報で、仲間に団結を促す作用があると言う。
合図を受けた仲間たちは、我先にスズメバチへ飛び掛かっていく。そして三〇〇匹から五〇〇匹前後で敵を覆い尽くし、直径五㌢ほどの球体を形作る。
この球体のことを、「蜂球」と呼ぶ。
蜂球を作ったミツバチたちは、胸を盛んに振動させる。使うのは飛ぶのに用いる筋肉で、蜂球内部の温度を五〇度近くまで上昇させると言う。
蜂球に閉じ込められたオオスズメバチは、四五度くらいまでしか耐えられない。たった一〇分熱されただけで、蒸し殺されてしまうと言う。
一方、ミツバチは五〇度前後まで耐えることが出来る。そのため、蜂球の熱で命を落とすことはない。
勿論、最初に飛び掛かる数匹は、スズメバチの返り討ちに遭うだろう。
だが抵抗しなければ巣が壊滅していたことを考えるなら、安い犠牲と言える。
また最近では、蜂球内の二酸化炭素濃度に注目が集まっている。
人間同様、ミツバチも酸素を吸い、代わりに二酸化炭素を吐き出している。
特に胸の筋肉を震わせている間、彼等は激しく呼吸を行う。
これにより蜂球内部の酸素は急速に消費され、代わりに二酸化炭素が供給される。最終的に内部の二酸化炭素濃度は、大気中の一〇〇倍前後にも達すると言う。
実を言うと、単純に五〇度近くまで温めても、オオスズメバチは死なない。
ところが、二酸化炭素の濃度が上がるにつれて、耐えられる温度は下がっていく。普通なら五〇度近くまで耐える彼等だが、蜂球と同じ環境では四五度前後で息絶えてしまう。
不可解なことに、この法則はニホンミツバチには当てはまらない。蜂球と同じ状態にしても、彼等の耐える温度は変わらないそうだ。
一口に「ミツバチ」と言っても、日本には二種類のミツバチが棲息している。
一つが在来種のニホンミツバチで、もう一つが養蜂のために移入されたセイヨウミツバチだ。
蜂球を作る習性を持つのは、ニホンミツバチだけだ。
スズメバチの少ない地域から来たセイヨウミツバチは、決定的な対抗策を持たない。襲撃を受けた場合は、三時間程度で巣を壊滅させられてしまう。
――と、一昔前までは考えられていた。
その実、彼等は彼等で、「窒息スクラム」と言う必殺技を持っている。
巣を襲われたセイヨウミツバチは、ニホンミツバチ同様、集団でスズメバチに飛び掛かる。それからスクラムを組むように、スズメバチの腹を覆ってしまう。
頭部で息をする人間とは異なり、昆虫の呼吸器は腹部にある。彼等にとっての鼻や口を覆われたスズメバチは、一時間程度で窒息死してしまうそうだ。
ただし、窒息スクラムは小型から中型のスズメバチにしか通用しない。
スズメバチ科最大のオオスズメバチには、飛び掛かる側から噛み殺されてしまう。
ニホンミツバチの蜂球もまた、有効なのはオオスズメバチの数が少ない場合に限られる。敵が集団で襲って来た場合は、覆い尽くす暇もなく惨殺されてしまうと言う。
〈マスタード〉の上に乗った〈YU〉は、ただ体重を掛けているだけだろう。現に昆虫の神経構造を参考にした三つ子コンピューターは、熱や二酸化炭素による被害を訴えていない。
とは言え、〈マスタード〉への加重を示すメーターは、もうすぐ五㌧に達しようとしている。
セダンにして、およそ三台分。
普通の人間だったら、間違いなくヒラメになるだろう。
しかし、半平は化け物だ。
しかも〈PDF〉には、パワーを増幅させる人工筋肉が搭載されている。
身体に感じる負荷は、四歳の甥に飛び付かれた程度。
湯気を漂わせるほどの暑さも、黒いボディースーツが完全に遮断している。
空調で温度の保たれたスーツ内は、快適そのものだ。〈発言力〉の過剰な流出さえなければ、汗一滴流さなかっただろう。




