④DIE SET DOWN
繰り返しになってしまいますが、〈マスタード〉のモチーフはプレコと言うナマズです。
なぜナマズ? と首をかしげる方もいるでしょうが、彼等は意外と優秀な捕食者なのです。
詳しくは、次回の本編で紹介します。お楽しみに。
「試食させてもらうぜ!」
四つん這いの状態から跳躍し、〈YU〉に飛び掛かる。
途端、磨き抜かれたスポーツカーに映ったのは、低空を駆け抜ける影。
雄大な夕焼けとのコラボは、日暮れの草原を疾走するジャガーのようだ。
ぐらあ!
〈YU〉は〈マスタード〉に背を向け、慌ただしく駆け出す。
逃がさない!
〈YU〉の脇腹に狙いを定め、半平は極限まで口を開く。
中の人に連動し、〈マスタード〉の仮面も口を開く。
その瞬間、鋭利な歯が輝き、ひゅっ、ひゅっと空気を裂く。同時に〈マスタード〉は足を伸ばし、靴底の口から圧縮空気を噴き出した。
地面と平行に白煙が伸び、〈マスタード〉を前方に撃ち出す。
間髪入れず、黄色い残像が走り、脇の下から〈YU〉を追い抜いた。
「アンコウ目のクセに赤身かよ」
〈マスタード〉は冷ややかに指摘し、仮面の口に含んだ物体を吐き捨てる。
べたっと地面にへばり付いたのは、活け作りのように蠢く肉塊。
すれ違った瞬間、〈YU〉の脇腹から食いちぎったものだ。
傷口は背骨の間際まで達し、黄緑の体液を迸らせている。
「さあ、そろそろ食卓に並ぶ時間だ!」
〈マスタード〉は腕で口元を擦り、べっとりと付いた体液を拭う。
それから両足で地面を蹴り飛ばし、〈YU〉の頭上に跳び上がった。
「どりゃあっ!」
高々と右腕を振り上げ、〈YU〉の脳天に叩き付ける。
刹那、籠手の爪が〈YU〉に食い込み、眉間から股間に縦線を引いた。
ぐ……らぁ……。
断末魔にしては小さな声を漏らし、〈YU〉は両腕を垂らす。
直後、黄緑の噴水が降り注ぎ、巨体が真っ二つに割れた。
やにわに亡骸が瞬き、日曜朝八時にはお約束の爆炎が上がる。
〈YU〉は跡形もなく吹き飛び、黒こげの肉片を降り注がせた。
「ほい、焼き魚の完成!」
〈マスタード〉はVサインを出し、モニター上のデジタル時計に目を向ける。
調理開始から二分弱。
酸辣湯よりずっと手間要らずだ。
「どーよ、俺もなかなかやるもんでしょ?」
努めて自慢げに言い、〈マスタード〉はハイネを見る。
「半平さん……!」
彼女は真剣な表情で駆け出すが、一歩目で膝を着く。
乱れた息が肩を揺すると、額の血が涙のように滴った。
「ほらほら、無理しない! 後は俺に任せなって! す~ぐに晩ご飯の準備してやっからさ! 今日はお魚尽くしのヘルシーメニューだよ!」
「でも、私、半平さんに酷いことした……!」
ハイネは辛そうに顔を歪め、腿に爪を立てる。
予想通り、〈マスタード〉の提案を受け入れることはなかった。
ただでさえ負い目を感じている彼女が、この上、戦いを委ねることなど考えられない。ここで素直に頷くくらいなら、最初から助力を求めていたはずだ。
「ひどいことぉ?」
〈マスタード〉は大袈裟に問い掛け、ポンッと手を叩く。
「ああ、着信拒否! 確かに鬼畜の所行だわ」
「そ、それは、その、お仕事が忙しくて」
ハイネは口ごもり、次第に俯いていく。
「あなたっていつもそう! お仕事お仕事って、私のことは二の次なの!」
〈マスタード〉はキーキー叫き散らし、ポンチョの裾を噛む。
「ごめんなさいです……」
ハイネは完全に地面と向き合い、いたたまれなさそうに手を揉む。
「怖かったんです。私、ずっと嘘ついてた。半平さん、怒って当たり前です。もう二度と一緒に買い食い出来ないって考えると、すっごく悲しくなった。気が付くと、電話の電源切ってた。半平さんに叱られるのも、電話に出てもらえないのも嫌だったから」
「嫌われるのが怖かった、ねえ……」
ハイネの発言を訳すと、〈マスタード〉はついにやけてしまう。
何と言う殺し文句だろう。
もしも威力を理解して言っているなら、キャバ嬢クラスの手練れだ。
「あのさあ、カワイコちゃんと自分からバイバイする男子なんて、この世にいると思う?」
〈マスタード〉は苦笑し、大胆に宣言する。
「ハイネちゃんが嫌って言っても、一生付き纏ってやるんだから!」
我ながら、何と悪質な発言だろう。
何かと嫌な事件も多い昨今、司法が動き出してもおかしくない。
にもかかわらず、ハイネは不安がるどころか、逆に表情を明るくしていく。
終いには歯を覗かせ、薄くえくぼを浮かべた。
だが、笑みは漏れない。
彼女は半分も開かない内に唇を結び、眉を寄せていく。
せっかく話を逸らしたのに、余計なことを思い出してしまったらしい。
「……電話に出なかったのも最悪です。でも、私、もっと最低なことをした」
ハイネは苦しげに目を伏せ、一回だけ〈マスタード〉を窺う。
「〈死外〉、っつーんだって?」
出来るだけ軽く問い掛け、〈マスタード〉は肩を叩く。
瞬間、彼女は大きく背中を揺らし、そのまま震え始めた。
いきなり核心に触れられたことが、よほどショックだったのだろか。
いや、〈マスタード〉の考えている以上に、彼女は罪の意識を感じているのかも知れない。
「いやまあ、一応考えてみたんだけどさ、俺、中卒じゃん? 永遠とか物理法則がどーとか、正直、わけわかめでさあ。んなことより、ハイネにくっらい顔されるほうが、ずっと辛いわ」
〈マスタード〉はハイネに横顔を向け、痒くもない頬を掻く。
本当に気持ちを伝えたいなら、彼女を見つめるべきなのだろう。
だがいくら何でも、面と向かって告げるのは難易度が高すぎる。
「俺が気に入ってるのは、笑顔のハイネなの」
「半平さん……」
ハイネは頬を紅色に染め、切なげに瞳を潤ませていく。
比例して〈マスタード〉の鼓動が速まり、天井知らずに体温を上げる。程なく脳内ステージに久保田利伸が立ち、「LA・LA・LA・LOVE SONG」を熱唱し始めた。
今のは告白か!?
告白だったのか!?
いやいやいや、へこんだ顔が見たくないと言っただけだ!
頭の中の久保田利伸に言いわけし、〈マスタード〉は逃げ遅れた人々に目を向ける。
「そ、そんなことより、避難誘導とかしてくんない!? お疲れのとこ悪いけど!」
「は、はい!」
〈マスタード〉はハイネを見ずにお願いし、ハイネは〈マスタード〉を見ずに頷く。どちらもそわそわと肩を動かすばかりで、全く目を合わせない。
中坊の初デートかよ。
反射的にツッコんでしまった〈マスタード〉は、自分自身に反論する。
絶対違う! ハイネのことなんか、ぜんっぜん好きじゃないんだからね!
……気のせいだろうか。
どこかから、「カチャッ」と言う音が聞こえた気がする。
そう、拳銃を構えたような音が。
仄かに漂う甘い香りは、チョコレートだろうか。
あり得ない。
彼女は今頃、事態の収拾に奔走している。
「腹立たしいラヴコメ」に鉛弾を喰らわせる余裕などない、たぶん。
「なるべく安全なトコ選んでくれよ」
〈マスタード〉は表情を引き締め、自身の全身を見回す。
「……コイツ、かなりヤバい」
感じる。
四肢の隅々にまで、原始的なエネルギーが漲っているのを。
全身の血液が、熔岩のように滾っているのを。
〈マスタード〉と言う〈PDF〉には、装着者の闘争本能をかき立てる機能があるのだろうか。
いや、単純に強大な力を手にしたことで、酔っているのかも知れない。
何にせよ、理性のタガを緩めることは出来ない。暴走を許した瞬間、このエネルギーは、熱さは、〈YU〉のみならず街全体を焼き尽くすだろう。
以前、ディゲルは〈PDF〉のことを、「核弾頭」と評した。
あの時は大袈裟にしか思えなかったが、成る程、的確な表現だ。
「はい……」
ハイネは頬を叩き、僅かに残っていた紅色を追い出す。
それからガードレールにしがみつき、重そうな腰を上げていった。




