②Bone Bone Urabone
変身する登場人物の名前には、変身後のモチーフが隠されています。
例えば半平の沼津と言う名字は、「なまず」をもじったものです。
〈シュネヴィ〉のモチーフは薔薇で、ハイネの名字は「ローゼンクロイツ」。
亡霊葬稿〈ダイホーン〉に登場する梅宮「改」の名前は、某ガタックの人から頂戴しました。
「……さあ、行くぜ」
卒塔婆に、そして自分に語り掛け、半平はゆっくりと目を開く。
それから卒塔婆の切っ先を自分に向け、首を掻き切るように横線を引いた。
〝墓怨・墓怨・恨墓怨〟
卒塔婆背面のスピーカー〈オカルトーン〉から、盆踊りと読経が鳴り響く。同時に喉元の横線から黄色い光が滲み出し、骨製の首輪〈ソーサイジョー〉を実体化させた。
「せりゃっ!」
半平はヘソの前から卒塔婆を跳ね上げ、首輪に差し込む。
喉元から消えようとしていた光と、卒塔婆の残像――。
縦と横の線が交差し、一瞬、黄色い十字を描く。続いて卒塔婆からチーン! が鳴り響き、目盛りに付いた横棒が一段上がった。
すかさず首輪の手が内側に閉じ、胸元に卒塔婆を固定する。
その瞬間、卒塔婆は奇天烈なネクタイに、横棒はタイピンに変わった。
〝怨罵阿明愚 伽悪屠怖遺終〟
剣山型の端子が延髄に繋がり、半平の〈発言力〉が首輪に流れ込む。
途端、延髄から突き出た走馬燈が光を灯し、半平の周りを黄色く照らした。
延髄から首輪の溝、首輪の溝から卒塔婆へと光が流れ込み、地割れ状の模様を照らし出していく。呼応して、盆踊りが鳴り止み、代わりに〈返信〉待機音の木魚が響き渡る。
命を張り、怪物とやり合う――。
滅私奉公な美談でもなければ、ハイネのためでもない。
手を打てるのに見過ごして、後々まで思い悩みたくないだけ。
いいや、選択の瞬間にいた自分を、延々恨み続けたくないだけだ。
あまつさえ、半平は厭らしく期待している。
皆の盾になり、ボロボロになる姿を見せれば、胸の中の香苗が許してくれるのではないか、と。
万が一、許すと言ったところで、彼女は香苗本人ではない。
本人とロクに喋ったこともない半平が、好き勝手に想像した芦尾香苗だ。
人柱になってこの場の全員を救ったとしても、香苗が甦ることはない。選んだ行動が香苗本人に評価してもらえるものだったとしても、許すと言う言葉は絶対に聞けない。
いや、今の自分を見ても、香苗は軽蔑するだけに違いない。
必死になって怪物と殴り合う姿は、彼女に吐き捨てさせるだろう。
そこまでして恩赦が欲しいのか。
半平自身、本心では自分の行動を冷笑している。
自分に生きていていいとお墨付きを与えるために、特撮の真似事までするのか、と。
実際に怪物と戦った瞬間、冷笑は偽善への憤りに変わる。
自分から自分に向けられる罵声は、一層厳しくなるだろう。
「それでも……」
半平は固く拳を握り、胸に閉じ込めておけなくなった気持ちを吐き出す。
途端に目が動き出し、負傷した人々を巡り始めた。
マンションの植え込みに倒れているのは、スーツ姿の男性。
白髪の目立ち始めた髪や、ホモサピエンスより類人猿に近い顔立ちは、父親によく似ている。
スーパーの店頭にしゃがみ込む女性は、幼稚園の制服を着た姉弟を抱き締めている。
半平の母親もよく娘と息子をチャリに乗せ、スーパーを行脚していた。
塀に激突したワゴンでは、若い夫婦と子供が身を寄せ合っている。
上の姉同様、母親のお腹には二人目が宿っているようだ。
電気の供給が不安定なのか、点いては消える街並みの灯り。
その一つ一つの中に、沼津家と何ら変わらない食卓がある。
世間から見たらたわいがないかも知れないが、そこにしか咲かない笑顔がある。
それが今、不躾に奪われようとしている。
香苗、香苗……。
絶え間ない悲鳴に耳を傾けると、香苗の葬儀が頭を過ぎる。
彼女の母親は棺桶の前に立ち尽くし、分厚く瞼を腫らしていた。
もう二度と、誰かのあんな顔は見たくない。見ない。させない。
胸に誓い、半平は呪われた拳と見つめ合う。
嫌だ嫌だと泣き叫んでも、どんなに自分の境遇を恨んでも、時間は戻らない。
沼津半平は何気なく触れただけで、家族を、ハイネを、闇を照らしてくれた人々を傷付ける。
沼津半平の未来には、永遠の苦しみが待ち受けている。
沼津半平はもう、人間ではない。
でも、今、この手は動く。
そして化け物になったからこそ、多くの笑顔に手が届く。
人間だった頃なら、消されるのを見ているしかなかった笑顔に。
「俺は……笑顔を選ぶ」
静かにしかし強く宣言し、半平は両腕を頭上に振り上げた。
勢いよく左右の拳をぶつけ、輪を作る。
「ここだけは読め!」と記された付箋をワープし、斜め読みした説明書に書いてあった。
心から自然に湧き上がる波形を、身体で描け。そうすることで、〈PDF〉の性能を左右する適合率が、〈返信〉と同時に跳ね上がる。
「はぁぁ……!」
半平は気合いを入れながら、両手を腰の脇に下げていく。
続いて両手を正面に突き出し、「前へならえ」のように腕を伸ばした。
すかさず肘を曲げ、拳と拳を胸の前で叩き付ける。
鈍い音を伴う衝突は、右手を斜め上、左手を斜め下に弾き飛ばした。
「〈返信〉……!」
半平は両手の爪を立て、左手を右上、右手を左下に突き出した。
〝離墓怨 魔星土〟
読経に続いてチーン! が鳴り、卒塔婆の横棒が「E」から「R」に一段上がる。同時に延髄の走馬燈が回り出し、岩を背負ったナマズを照らし出した。
〝圏圏 鎧圏 遺影浪圏〟
神妙な木魚が鳴り止み、一転、軽快なサンバが響き渡る。
リオでカーニバルな合図は、卒塔婆の溝彫りを不気味に輝かせた。
地面から骸骨が噴き、噴き、噴き出し、半平に、そして背にした夕日に飛び掛かる。間欠泉のように噴き上がる大群は、見る間に日の光を遮っていった。
茜色だった道路を闇が侵食し、〈YU〉の軍団を覆い尽くす。
けたけたと歯を鳴らす影は、早くも奴等の全身を甘噛みしている。
主人の前につまみ食いとは、見掛け通り、上品な連中ではないようだ。
やがて骨のサナギが組み上がり、半平の視界を象牙色に塗る。
街の焼ける臭いが遮断されると、チョークに似た香りが半平を包み込んだ。
すかさずコンタクト型モニターが実体化し、一瞬、視界にノイズが走る。
すると、それまで骸骨一色だった視界が、元通りの街並みに戻った。
説明書によれば、今見ているのは合成された映像らしい。何でも監視カメラや人工衛星で捉えた映像を組み合わせ、サナギがない場合の視界を再現しているそうだ。
ずず……ずずず……。
感心している内に弱い揺れが始まり、生温い霧が地表を這う。続いて古木の軋むような音が鳴り出すと、霧の底から黄色い位牌が浮かび上がった。
「位牌」と言っても、肝心の戒名はどこにも記されていない。
描かれているのは、ナマズの化石のみだ。
すぐさまサナギの土台から手が伸び、位牌のバケツリレーが始まる。
上へ上へと運ばれると共に、位牌はサングラスへと作り替えられていった。
「W」を鋭くしたようなデザインは、ピンと伸びた口ひげにそっくりだ。
程なくサナギの頂上から骸骨が這い出し、サングラスを受け取る。
次の瞬間、骸骨はサナギに突っ込み、半平の顔面にサングラスを叩き付けた。
小気味よい粉砕音が轟き、骨のサナギが弾け飛ぶ。同時に骨片が乱れ飛び、ビルの外壁に吹き付けた。晴れ舞台を彩る紙吹雪としては、申し分ない。




