①Armour Zone
第14章、そして第3話の始まりです。
プレコって何ぞや? と言う方は、今後の「箸休め」をご覧下さい。
登場人物
沼津半平:16歳のニート。魚屋でバイトしていたため、魚介類に詳しい。一度は怪物に殺されるが、ハイネ・ローゼンクロイツの手によって復活する。
ハイネ・ローゼンクロイツ:亡霊葬稿〈シュネヴィ〉に変身する少女。肉体の年齢は15歳。一度は死んだ半平を、〈操骸術〉によって甦らせる。
キモ:秘密結社〈国際殺人機構〉のエージェント。街中に怪物をばらまき、未曾有の混乱を引き起こした張本人。
沈みかけの夕日は、地平線を真っ赤に染めていた。
足下を紅に塗られた街並みは、血の海に沈没しかけているかのようだ。
大通りにはススや灰が立ちこめ、視界を黒く霞ませている。
普段と同じように空気を吸うと、瓦礫や金属の焼ける臭いが鼻を突く。皆が晩ご飯の準備に勤しむ時間帯だと言うのに、揚げ物の香ばしさも、焼き鳥の香りも漂っていない。
信号は赤や青に変わることなく、ひたすら黄色を点滅させていた。
交差点の中央では、バスを含む五台の車両が衝突し、道を塞いでしまっている。
火達磨になったベンツは、盗難防止装置を鳴り響かせていた。
けたたましいアラームは、否応なく緊迫感を募らせていく。
「助けてぇ……、助けてぇ……」
「誰か、誰か……来てくれ……」
歩道も車道も関係なく人が倒れ、苦痛に喘いでいる。
だが、救いの手はどこにもない。
パトカーはコンビニに突っ込み、救急車は倒れた電柱の下敷き。
ガラス片の上に俯せているのは、〈3Z〉の隊員だろうか。
原色の制服は血に染まり、ハエを模したヘルメットは無惨に割られている。
ぐらぁ……!
怪物〈YU〉の大群は、六つの車線を端から端まで埋め尽くしている。
長蛇の列は、視界の最奥まで続いていた。
ぐらあ! と合唱する声は、もはや地響き。
鼓膜はおろか全身を、いや沿道の建物をがたつかせている。
「はぁ……はぁ……」
勇敢なハイネは、人々と〈YU〉の間に膝を着いていた。
目は強い光を宿しているが、状況は最悪だ。
青アザの出来た顔は、雨のように脂汗を滴らせている。
おまけに息は荒く、細い肩を深々と上下させていた。
血に濡れたTシャツは、背中の部分が裂けている。
熊手で引っ掻いたような切り口から見て、〈YU〉の牙にやられたのだろう。
「理解不能だな」
〈YU〉に囲まれたセダンから、ツナギを着た女性が言い放つ。
ざっと目を通した資料によれば、キモとか言ったか。
秘密結社〈国際殺人機構〉のエージェントで、今回の事件の首謀者だ。
「戦力差は明らか。しかも君はなぜか消耗し、〈返信〉すらままならない」
キモは淡々と首を振り、手にしていた電卓をしまう。
「これでは計算するまでもないな。君の勝率は〇《ゼロ》㌫だ」
「違う……」
反論した矢先、ハイネは咳き込み、血の混じった唾を散らす。
それでも、倒れない。
彼女は地面に拳を突き立て、重そうな腰を押し上げていく。
「勝率は一〇〇㌫です。私、諦めませんから、絶対」
「精神論か。随分とこの国に毒されたものだ。想いだの気合いだので、絶望的な戦局がひっくり返る? まさかそんな夢物語を信じているほど、若くはないだろう?」
「……失礼しちゃいますねえ。私、まだぴっちぴちですよ。こないだも若いって言われたんですから。ほんの五××歳です」
グッドタイミングで爆音が鳴り響き、問題発言を掻き消す。
グッドジョブだ爆音。おかげでデリケートな部分を聞かずに済んだ。
「四七位の精神状態がどうあれ、我々の数は変わらない。何度立ち上がろうが、君は独り……」
「じゃねーよ」
演説の邪魔をされたキモは、一瞬硬直し、声の方向に視線を飛ばす。
途端、彼女は夕日を直視し、反射的に目を細める。
勿論、太陽は口を利かない。
野次を飛ばしたのは、夕日を背にした半平だ。
「何者だ、君は?」
「通りすがりの正義の味方」
半平は不敵に笑い、ピースを出す。
自分的には決めたつもりだったが、カーブミラーに映る鏡像はなかなかステキだ。
清々しいまでのドヤ顔は、乾いた泥とかさぶたでパリパリになっている。
眼鏡はひび割れ、折れたつるのせいで間抜けに傾いていた。
焼け焦げたパーカーは、六つに割れた腹筋を披露している始末。
いささか先鋭的過ぎるファッションには、ガガも首を捻ることだろう。
「俺ってホント、決まらねーなあ……」
とりあえず眼鏡を外すと、ぼやけるはずの視界が晴れ渡る。
化け物になった影響で、視力が回復したのだろうか。
「半平さん……」
ハイネはか細く呟き、躊躇いがちに半平を窺う。
限界まで寄せた眉に、白くなるほど噛み締めた唇。
もはや、疑う余地はない。
今、彼女の胸中は、自分を責める声で溢れかえっている。
「私、半平さんに死んで欲しくなかった」
ハイネの声を真似し、半平は彼女を見つめる。裏声を駆使した声帯模写も、よくて少年合唱団の落ちこぼれ。現実にはオネエ系だ。
ハイネは呆気に取られ、目を丸くしている。
狙い通り、自分を責めることを忘れてくれたようだ。
「女子にああまで言わせて、すっこんでられねーんだよ、男の子は」
左手の袱紗から「主役」を取り出し、それ以外投げ捨てる。
瞬間、テーブルクロスのように袱紗が広がり、説明書や資料が宙を舞った。
「〈ブックドレッダー〉!?」
ハイネとキモの声がハモり、驚きを湛えた視線が半平に集まる。
そう、半平が手にした黄色い卒塔婆に。
「半平さん、どうしてそれを!?」
「ショーウィンドー越しに見てたら、親切なカカオ中毒が買ってくれた」
減らず口を叩き、半平は〈DXマスタードレッダー〉と見つめ合う。
デカデカとあしらわれたタラコ唇に、ヒゲっぽい磨製石器。
クリスマスの翌日、これが靴下に入っていたら?
半平は間違いなく、サンタを追う。釘バットを振り上げながら。
「……なぁ~に笑ってんだよ」
半平はタラコ唇の中央に目を遣り、髑髏のレリーフを睨み付ける。
目々森博物館では叫び声を上げていた彼だが、今日は陰気に微笑んでいる……気がする。
三十路を過ぎた不倫相手のような顔は、タチ悪く告げていた。
別れようたって、別れられないんだからね。
「結局、僕と君は離れられない運命なのね」
半平は溜息交じりに苦笑し、額に卒塔婆を当てた。
潜水するように息を吸い、目を閉じる。
集中の天敵と言えば、何と言っても視覚だ。部屋の片付けを試みた時も、一夜漬けを敢行した時も、漫画やネットを視界に入れ、計画を破綻させた。
……ならさ、力を貸せよ。
心の中で呼び掛け、半平は卒塔婆に意識を集めていく。
途端、瞼の裏に光輝く文字が浮かび上がり、目の前を塗り潰した。
何と言う混雑ぶりだろう。
満員電車。
真夏のプール。
歳末のアメ横。
半平は今までも、数々のイモ洗いを目撃してきた。だが文字のひしめき合う様子と言ったら、年末のビッグサイトでさえ比較にならない。
しかも、それらは個々の姿が判別出来ないほど密集し、巨大な円盤を描き出している。
無数の光が寄り集まり、一つの輝きを形作る光景に、半平は見覚えがあった。
銀河だ。
星々の役目を果たしているのは、漢字や平仮名だけではない。
アルファベットは勿論、アラビア風の文字も交じっている。
何らかの理論を示しているのかも知れないが、中卒の半平には解読出来ない。
しかし、おつむが役立たずでも、感覚が教えてくれる。
どうすれば使えるのか、大体判る。




