表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/132

⑤蔓延する盲信

「また泣き言か。ほとほと辛気臭い男だな」

 ディゲルは舌を鳴らし、五個(まと)めてチョコレートボンボンをあおる。

 それから膝の上に置いていた袱紗ふくさを取り、半平の前に放り投げた。

 放物線が水溜まりに飛び込み、濁った飛沫しぶきが噴き上がる。


「開けたまえ」

 ディゲルに命じられた半平は、ただ首を左右に振る。

 唇を開くどころか、顔を上げることも出来ない。


「開けろと言っている!」

 猛々しく怒鳴り、ディゲルは地面を踏み抜かんばかりに立ち上がる。

 一息に半平の胸ぐらを掴み、彼女は懐から拳銃を取り出した。


「意気が返らないなら、貴様はただの屍だ! なまじ生きているフリをさらし、ハイネさまを苦しませ続けるなら、この場で私が始末を付けてやる!」

 ディゲルは半平の口に銃口をねじ込み、苛烈にまくし立てる。途端、チョコレートボンボンの食べかすが半平の顔面に吹き付け、ブランデーの香りが鼻を包み込んだ。


「……クソ」

 最後に小さく毒突き、ディゲルは大きく息を吐く。

 続いて半平の口から拳銃を引き抜き、代わりに拳を突き出した。


 強烈な衝撃が頬をね飛ばし、風見かざみどりのように身体が回る。

 瞬間、半平は血の混じった唾を吹き出し、顔面から地面に倒れ込んだ。


「効くだろう? 貴様の力は〈黄金律おうごんりつ〉の計算ミスによるもの。肉体は人間と同じだからな」

「ぐっ……ああ……」

 口の中に血の味が充満し、頬の皮膚が、骨が、燃えるようにうずきだす。

 たまらずぬかるみを転げ回ると、背中が袱紗ふくさに乗り上げた。


 その拍子に結び目がほどけ、袱紗ふくさの中身が覗く。

 思いがけない再会は、頬の痛みを急速に引かせていった。


「使えないんだろ……?」

 投げやりに確認し、半平は袱紗ふくさ蹴飛けとばす。


「確かに、人間に〈詐術さじゅつ〉は使えない」

 ディゲルは顔を紅潮させたまま、にんまり笑う。

「だが、その話が化け物の君に、どう関係ある?」


「俺に……それが使える」

 髑髏どくろのレリーフと目を合わせると、無意識に笑みが漏れる。

 だが半平は即座に表情を引き締め、袱紗ふくさから顔を背けた。


「だとしても、俺にハイネの真似をする資格なんて」

「うじうじ思い悩み、ぐだぐだ迷い、えんえん自分を信じられないからか?」

 見事に本心を代弁された半平は、口をつぐむ以外になかった。


 ことあるごとに迷う化け物が、力を得る?


 正直、ヤジロベエにカミソリを装備させるようなものだ。

 危なっかしくて、とても見ていられない。


 ヤジロベエは少し突っつかれただけで、あっちへふらふら、こっちへふらふら右往左往する。

 どこに刃を向け、何に切り付けるかは、本人にも予測出来ない。無分別に凶器を振り回し、近付く人間を傷付けるだけ傷付けて、最後には自分自身も墜落する。


「それだ。だからこそ、私は君に力を託せる。いや、託したいのだよ」

 力強く言い切り、ディゲルは半平の顔を指す。

 知らんぷりをしているような澄まし顔で、彼女は半平の手を見つめている。

 そう、袱紗ふくさの方向に伸ばしたまま、どうしても引っ込められない手を。


「自分を縛るための信念も、他者に指図する大義名分に使えば、エゴでしかない。第三者に規定されるべき正義も、自分の物差しではかるようになれば独善だ」

 高らかに宣誓し、ディゲルは深々と頷く。


「自らの信じる教義のみを至高と考え、異なる神を崇める人々を攻撃する狂信者。我が子の、いや、自分の遺伝子の価値を信じ込み、無理難題を要求するモンスターペアレント。紛争地帯から学舎まなびやまで、争いを起こすのは決まって自分を信じる連中だ。そう、古今、世界を焼く問題の裏には、自分を信じるやからが潜んでいる」

 ディゲルはつやっぽく失笑し、くすくすとこそばゆい音色を漏らす。


「と言うかな、自分の考えを絶対視していない人間は、争いなど起こさないんだ。何せ、他人の言葉に耳を傾けられるからな」

 薄く覗いていた八重歯やえばを引っ込め、ディゲルは表情を引き締めていく。


「世の中には、『自分を信じろ』などと言うスローガンが蔓延している。耳を貸しているとな、手前てめぇを信じるのが限りなく困難なことに思えてくる。笑わせるな。大衆から政治屋からテロリストまで、世間は自分を信じている連中だらけだ。本当は自分を信じることなんて、息を吸うより容易たやすいのさ」


 ディゲルはチロルチョコを口に投げ入れ、しばらく間を置く。言葉に熱がこもるに従い、早口になっていたペースを整えようとしたのかも知れない。


「本当の困難は自分を疑うこと。疑い続けることだ。一度ひとたび、己を信じることをやめれば、自分は正しいことをしているのかと、絶えず不安にさいなまれる羽目になる。時には自分の誤りを受け入れたせいで、えがたい痛みを味わうこともあるだろう。自分を信じていた頃には何気なく過ぎていった日々が、拷問にしか思えなくなるかも知れない」

 苦い風邪薬を服用したように、ディゲルの顔がシワを刻んでいく。


 そう言えば、半平には聞き覚えがある。

 チョコは当初、薬だった。

 カカオの産地である南米では、ドリンク剤や解熱剤として使われていたと言う。


「それでも安直な答えにすがらず、よりよい方法を追求し続ける。本当は君も判っているのだろう? ぐだぐだ迷っているのは、ハイネさまも一緒だ。あのお方の進む道に、『揺るがぬ信念』などと言うお手軽な道しるべはない。ハイネさまが歩むのは、迷いと言うつたに覆われ、疑いと言う棘を掻き分けなければ進めない、いばらの道だ」

 

 ディゲルは半平に顔を寄せ、睨むように瞳を覗き込む。

 加えて赤茶の髪を振り乱し、懸命に訴え掛けた。


「安易に自分を信じず、常に自身の行動を疑い続ける。疑いを持つ負い目に思い悩みながらも、それに潰されずにつるぎを振るう。そういうものこそが、力を持たなければならない。でなければ、誰が盲信から人々を守るのだ」


「迷いがあっても、戦っていい……」

 悔しさや恥ずかしさでぐちゃぐちゃだった頭が、公式を解いた時のように澄み渡っていく。

 ごく自然に袱紗ふくさを眺めると、しつこく滲んでいた涙がピタリと止まった。


「これ以上、言葉は必要ないようだな」

 ディゲルは袱紗ふくさを拾い上げ、半平の前に置く。

 直後、彼女の懐から着うたが漏れ出し、辺りに女性の歌声が響き渡った。小躍こおどりするようでどこか物悲しいメロディは、「チョコレートは明治めいじ」に他ならない。


「ああ、そうか。判った」

 ディゲルはスマホを出し、手短に会話を済ませる。相づちの役目を舌打ちがになっていたところを見ると、状況はかんばしくないようだ。


「悪いが、状況が状況だ。これで失礼させてもらうよ」

 ディゲルは断りを入れ、半平に背中を向ける。

 にもかかわらず、一歩目を出した側から足を止め、半平に語り掛けた。


「ああ、そうそう、死者蘇生が不可能な理由を教えてなかったな」

 時間が惜しいのか、ディゲルは少し喋るスピードを上げる。


「生物と言う生物は、〈たましい〉を宿している」

「タマシイ……?」

 思わずオウム返しし、半平はまばたきを繰り返す。

詐術さじゅつ〉絡みにしては、珍しくオカルト臭い単語だ。


「判りやすく言えば、〈黄金律おうごんりつ〉に『生きている』と直訴するための装置だ。この訴えにお墨付きをもらっているからこそ、全生物は生きていられる。万が一にも訴えを棄却されたなら、その瞬間にお陀仏だぶつだ」

 ディゲルは滑稽なほど神妙な表情を作り、両手を合わせる。


「生物が医学的な死を迎えると、〈たましい〉もまた肉体を離れる。死後の〈たましい〉には、いかなる方法をもってしても干渉出来ない。何しろ肉体を離れた瞬間、跡形もなくなってしまうのでな。命のかなめとなる〈たましい〉を呼び戻せない以上、死者蘇生も不可能と言うわけだ」


「死ぬと〈たましい〉が消える? 〈操骸術そうがいじゅつ〉は死人の〈たましい〉に、〈発言力はつげんりょく〉を送り込むんじゃ……」


「よしよし、きちんと講義を拝聴していたようだな」

 嬉しそうに答え、ディゲルは何度も顎を沈める。


「君の言う通り、死人の身体に〈たましい〉は遺らない。正確には〈たましい〉を遺した亡骸なきがらを、〈詐術師さじゅつし〉は死人と定義しない。それでもごく稀に――そう、五〇〇年間死体の山を這いずり回っても、二〇人と巡り逢わないような確率で、〈たましい〉を遺したままの屍がある」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ