③ジャックランタン
「みんなが俺と同じ目に遭う……?」
火達磨になる人々を想像すると、心底胸が冷える。
瓦礫の残り火に手を翳しても、一向に震えが止まらない。
何をすればいいのか。
何をすべきなのか。
見当も付かない?
嘘だ。
頭に掛かったモヤが、取るべき行動を見えにくくしているのは間違いない。
しかし、それは本当に薄く、半分答えを透かしている。
だからこそ、半平は正答を見定めようとしてしまう。
正解があると判っている分、下手に動き、間違うのが怖い。
正直、棒切れ一本手渡され、火を起こせと言われた気分だ。
ここはひとまず、自分の置かれた状況を整理してみるべきかも知れない。
沼津半平は、もう人間ではない――。
そこに関しては、もう嫌と言うほど思い知った。
中身が腐っているのに、人間の姿をしているほうがおかしかった――。
外見まで化け物にならなかっただけでも、儲けものではないか――。
体内に耳を傾けると、自分の現状を冷笑する声が聞こえる。相応の罰を与えてくれたことに感謝こそすれ、ハイネへの恨み辛みは湧き上がらない。
だが、それは虚勢だ。
事実、いくら自分に命令しても、腰は上がらない。
尻に張った根は、きっと校門脇のソメイヨシノより太い。
息で校舎を吹き飛ばすのではないか?
心臓の音で、地面を砕くのではないか?
無人の校庭に座っているだけで、このザマだ。
次々と杞憂が、いや現実的な危惧がこみ上げ、身体と言う凶器を縮めていく。
ましてや助けを求める人々の下へ赴くなど、考えただけで血の気が引く。
レンガを砕くこの腕は、怪物はおろか人々にも危害を及ぼすかも知れない。
互いの無事を祈り、抱き付いてきた人々は、もれなく肉塊に変わることだろう。
他人を殺せば、また香苗の時のような苦しみを味わう。
布団を頭から被り、長い夜が明けるのを待つことになるのだ。
不老不死――。
化け物になったこととは打って変わって抽象的で、未だに現実味を感じられない。そして世紀を幾つ越えようとも、感想が変わることはないだろう。
何しろ永遠の命を実感するには、無限に生きる必要がある。
しかし、現実にはどれほど長生きしようが、無限に辿り着くことはない。
「これも芦尾を見捨てた罰なのか……?」
生前の行いが原因で、永遠に地上を徘徊する――。
ゲーム脳の半平が思い描いたのは、カボチャ頭の妖精だった。
彼の名前は、「ジャック」。
日本では、「ジャックランタン」と言ったほうが有名かも知れない。
ジャックはスコットランドに出没する亡霊で、人魂として姿を現す。
ハロウィンに飾るカボチャは、彼の持つ提灯を模したものだ。
生前、放蕩を繰り返したジャックは、天国に行くことが出来なかった。
かと言って、地獄に落ちることも出来ない。狡猾な彼は悪魔を騙し、約束させてしまっていた。死後、地獄には落ちない、と。
あの世に受け入れてもらえない以上、残された道は一つしかない。
ジャックは有無を言わさず、この世を彷徨うことになった。
既に亡者であるジャックに、死と言う終点はない。
喉が干上がろうが、足に血に滲もうが、永遠に旅は続く。
邪悪で知られる神の敵も、さすがに気の毒に思ったのだろう。
悪魔はせめて夜道を照らせるようにと、ジャックに石炭を与えた。
燃え盛る石炭は赤く輝き、人魂として目撃されるのだと言う。
「無限に生き続ける……」
考えようによっては、一瞬の苦痛で何も感じなくなる死刑より、遥かに重い罰かも知れない。
だが、半平の身体はもはや、何気なく彷徨うだけで誰かの命を奪う代物だ。自分自身は罰のつもりで採った選択が、多くの犠牲者を出す可能性は極めて高い。
それ以前に圧倒的な力を持つ怪物が、いつまで人間の心を持っていられるだろう?
普通の人ならともかく、沼津半平は人でなしだ。人一人殺しておいて、平然と生きていられた屑が、自制心を保ち続けられるとは思えない。
その上、人は慣れる生き物だ。
それは恐らく、殺人も変わらない。
血塗れの手が目に付くのは、面積が少ないからに他ならない。
もっと多くの血を浴び、全身が真っ赤になれば、臭いや熱ささえ気にならなくなる。香苗一人の時ははっきり覚えていた死に顔も、血の量が増えるにつれて希釈されていくことだろう。
ゾウとアリほども力の差がある人間を、命を奪ったと気付くことさえなく殺戮していく――。
そうはならないと、誰に言える?
客観的根拠がない。
半平は沼津半平を信じられない。
恐ろしい予想が現実になった時、ハイネや「彼等」は殺してくれるのだろうか。タガの外れた化け物を。
水溜まりに映る沼津半平は、依然、人間と同じ風貌をしている。
なぜ角も牙も生えていないのか、半平は呪わずにいられない。
一目で化け物と判る姿なら、人々に逃げてもらえたはずだ。
今のままでは無警戒に近寄らせて、みすみす傷を負わせてしまう。
ヒョウモンダコは黄色い体色、青い斑紋と言う警告色で、テトロドトキシンを有していることを教える。ウミウシが色鮮やかなのも、毒を持っている証だ。
無害な人間に戻れないなら、せめて姿だけでも彼等と同じにしてもらえないだろうか。
「俺は生きてるべきじゃない……」
結論を口にし、半平は水溜まりに映った顔を睨み付けた。
近い将来、自分はまた人を殺める。
それならいっそ、今の内に自分で命を絶つべきではないか。
今の力をもってすれば、首くらい簡単にへし折れる。
わざわざ心まで化け物になるのを待ち、ハイネに手を汚させることもない。
半平は強い義務感に従い、両手で首を絞める。
所詮、自分の行動は、現実逃避に過ぎないのだろう。
だが教科書通り逆境に立ち向かい、誰かを傷付けるよりはいい。
見る見る水溜まりの顔が青ざめ、すうっと脳内の温度が下がっていく。
結露したように視界が霞むと、不意にハイネの声が聞こえた。
私、半平さんに死んで欲しくなかった――。
極度の酸欠は、著しく頭の中を霞ませている。
視界は濃霧のように混濁し、自分の名前さえまともに思い出すことが出来ない。
なのになぜ、彼女の泣き顔だけは鮮明に見えるのだろう。
急激に全身の力が抜け、両手が首から滑り落ちる。
反射的に空気を呷ると、辺りの黒煙が軒並み口に流れ込んだ。
「何やってんだよ……!」
自分を叱責し、半平は首に手を戻す。
だが、もう力は入らない。
自分が命を絶ったことを知れば、ハイネは我を忘れて泣き崩れるだろう。それどころか、嘘を吐き、化け物にしたことを永遠に責め続けるかも知れない。
確かに、人を殺すことが決まり切った化け物を、野放しにしておくことは出来ない。だが同時に、これ以上、彼女を悲しませることは許せなかった。
「どうすればいいんだよ、俺は……!」
立ち上がる気概、ない。
首をへし折る思い切り、ない。
出来るのは、メソメソと運命を呪うことだけ。
なぜこうも、自分は情けないのだろう。
下唇を噛み締めても、悔し涙を堪えられない。




