②世界のバグ
「一度死んだら二度と生き返らない――それが〈黄金律〉の定めたルールです」
やにわに口を開き、ハイネは淡々と言い放つ。
抑揚のない声を聞いた半平は、確信する。
予め用意していた原稿を、棒読みしているのだ。
あれだけ豊かだった感情を、どこにやってしまったのだろう。
いやそもそも、語っている内容への関心が全く感じられない。
「なのに、あなたは生きている。〈黄金律〉にしてみれば、起き得ないはずのバグです。そのせいで物理現象を起こすための計算が混乱して、正常な結果を導き出せない。だから、軽く体重を掛けただけで、レンガを砕いてしまう」
自分がどれだけ残酷な宣告をしているのか、聡明な彼女に理解出来ないはずがない。
にもかかわらず、このフランケンシュタイン博士は自分の作品を見ようともしない。熱心に見つめる地面では、よほど得がたい現象が起こっているようだ。
「死んでいるから、歳も取らない。何より、生物は一度しか死にません。一度死んだあなたに、二度と自然な死が訪れることはない。死ぬ方法は自分で命を絶つか、殺されるかの二択です」
「それじゃ……化け物じゃねぇかよ」
呆然と呟き、半平は地面に両膝を着く。
受け入れがたい現実が、永遠に逃れられない現実が、夕日を闇に染めていく。
一欠片の光明さえ見えない景色は、死後に見た闇より明らかに暗い。
「こうなるって、知ってたのか……?」
半平の質問に、ハイネは答えない。
だが、自白など必要ない。
生き返る直前に遭遇した悪魔が、真実を物語っている。
あの顔、知ってたな……? 知ってて、黙ってたな……!
何で教えなかった!? いや、騙した!?
信頼を裏切られた怒りが、熱病のように体温を上げていく。
化け物にされた憎しみが、細々と燻ぶっていた夕日を燃え盛らせていく。
視界が真っ赤に染まった瞬間、半平はハイネの肩に掴み掛かった。
ハイネの身体が大きく揺れ、白髪頭が前後する。
瞬間、透明なしずくが舞い散り、半平の目の前を横切った。
涙だ。
「私を憎んで下さい……」
震える声で訴え掛け、ハイネは額を地面に擦り付けた。
「私が判断を誤ったせいで、あなたを死なせた。私がきちんと止められていたら、あなたは人間のままだった。〈死外〉になんかならなかった」
何度も何度も近くの瓦礫を殴り付け、ハイネは自分を責め続ける。
痛ましく声が嗄れ、拳に血が滲んでも、彼女が自分を許すことはない。
これが、これが本当に、あの冷血なフランケンシュタイン博士なのだろうが。
「私、どうなるか知ってた。知ってて、言わなかった。怖かった。本当のこと言ったら、首を縦に振ってもらえないんじゃないかって」
聞き取るのもやっとの声で懺悔し、ハイネは顔を上げる。
ぬかるんだ地面に擦り付けていた顔は、服もろとも泥だらけになっていた。
白髪は濁った茶色に染まり、長い睫にはふやけた燃えかすが乗っている。
後から後からこぼれる涙に洗われる瞳だけが、生来の清らかさを保っていた。
「私、絶対嫌だった……」
ハイネは一際大きな嗚咽を漏らし、半平を見つめる。
「私、半平さんに死んで欲しくなかった」
半平はようやく理解した。
ハイネの言動に、感情が見えなかった理由を。
そしてそれ以上に、自分の愚かさを。
ハイネは冷血なわけでも、沼津半平に興味がなかったわけでもない。
ただただ必死に、感情を殺していたのだ。
彼女はきっと、確信していたのだろう。
僅かにでも感情を逃がせば、自分を責めることに終始してしまう、と。
後悔の言葉を溢れさせるばかりで、伝えなければいけないことが伝えられなくなる、と。
やめてくれ……。
もう、泣かないでくれ……。
泣き崩れる姿を眺めていると、半平の手は彼女に伸びていく。
ハイネを許すことが出来るのか、それは自分にも判らない。
だが、じっとしていることは出来なかった。
不意に爆発音が木霊し、啜り泣きを掻き消す。
すぐさま地平線を掃くように炎が走り、無数のコンクリ片が宙を舞った。
「行かなきゃ……」
ハイネは涙を拭い、爆炎の方向に目を遣る。
それから眼球が震えるほど歯を食いしばり、よろよろと立ち上がった。
激しく笑う膝は、酔っ払いのように彼女をふらつかせる。
だが、ハイネは倒れない。
彼女は自分より大きな瓦礫に寄り掛かり、今にも崩れ落ちそうな身体を支える。そして卒塔婆で首を掻き切り、骨製の首輪を実体化させた。
「へん……しん」
弱々しく宣言し、ハイネは卒塔婆を首輪に填める。
返って来たのは、無音。
待てど暮らせど、お馴染みの読経は鳴り響かない。
予想外の事態に、彼女は呆然と目を見開く。
その瞬間、アイラインの底に残っていた涙が垂れ、彼女の頬を伝った。
「もう〈返信〉するだけの〈発言力〉が残って……」
悔しそうに唇を噛み、ハイネは胸元の卒塔婆を握り締める。
だがすぐに指の力を抜き、首輪から卒塔婆を引き抜く。
静かに湛えた笑みは、憑き物が落ちたと言うか、開き直ったように清々しい。
「……そんなの、判ってたじゃない」
ハイネは労うように卒塔婆を撫で、ポケットにしまう。
続いて半平に視線を向け、深々と頭を下げた。
「全部終わったら、何をしてもいい。だから今は、今だけは見逃して下さい」
ハイネは半平に背を向け、校庭にある裏門へ急ぐ。
苦しげに足を引きずる彼女は、三歩ごとに膝を着いた。
一〇歩目の時はぬかるみに足を取られ、顔面から転んだ。
なのに、鼻血を拭い、泥水を吐き、ハイネは立つ。
起き上がれなければ地面に爪を立て、這う。
頼むから、もう止まってくれ……。
半平はハイネの背中を見つめ、心から願う。
だが彼女が校庭を出るまで、想いが届くことはなかった。
独り残された半平は、漫然とその場に座り込む。
断続的に響き渡り、水溜まりに波紋を走らせる爆発音。
たぶん、あの怪物だ。
閃光が視界を塗る度に、生きたまま焼かれた身体が鳥肌を立たせる。他人は納得させられないかも知れないが、自分を頷かせるにはこれ以上ない証拠だ。
黒煙の昇る場所が飛び飛びなのを見ると、一匹ではない。
と言うか、街中に怪物が蔓延っている。
「あの化け物が、街中に……」
忌まわしい事実を呟くと、家族が、三人組が、死後の闇を照らしてくれた人々が頭に浮かぶ。
顔ぶれこそ同じだが、表情は温かな笑顔ではない。
誰もが痛みと恐怖に顔を歪め、助けを求めるように手を伸ばしている。
獰猛な怪物に対し、市井の人々はあまりに無力だ。
力を持つ何者かが駆け付けない限り、半平と同じ運命を辿るだろう。




