⑥悪魔
第12章はこれで終了です。
生き返ることを選んだ半平ですが、何か問題があるようで……。
「……それに、まだホントのことも話してねぇし」
香苗に濡れ衣を着せた連中は、棺桶の前で号泣した。
クラスを代表し、お別れの挨拶など読んだ。いや、読めた。
とても香苗の死に責任を感じているとは思えない。
恐らく、自分たちのしたことを告白する気もないだろう。
今や、真実を語れるのは半平だけだ。
理不尽に命を奪った挙げ句、真相まで墓場に持ち込むなど、身勝手にもほどがある。
「……このまま死んだら、あいつらにトラウマ背負わせちまうしな」
半平は頭を掻き、三人組を見上げる。
沼津半平は自分の意思で、怪物に特攻した。
命を落としたとしても、誰かが気に病む話ではない。
だが怪物の前に半平を残し、その場を去った三人組は、確実に思い悩む。
自分たちが逃げなければ、半平が死ぬことはなかった、と。
助ける方法が必ずあったはずだ、と。
一生消えない後悔を、罪悪感を背負わせ、無邪気な笑みを奪う?
真っ平ごめんだ。
あの三人組には、生意気な笑顔が似合う。この期に及んで、子供たちから笑顔を奪うような真似までしたら、地獄にも門前払いを喰らってしまうだろう。
子供たちの笑顔を守り、香苗の母親に真相を伝える――。
最低限の義務を果たす方法は、一つしかない。
「どんなに支離滅裂だって、俺のために言ってくれたなら、返す言葉は決まってる」
踏ん切りを付けるため、大きく息を吸う。
不思議だ。
先程までタールそのものだった空気が、清々しい風味に変わっている。
肺へ掻っ込むほど爽快感が膨らみ、全身の細胞に活力が漲っていく。
もしや皆の笑顔に照らされている間に、浄化されたのだろうか。
いや、空気の味を変えたのは、自分自身の心持ちなのかも知れない。
「ありがとう」
半平はハイネを見つめ、彼女の手を握り返す。
これほど純粋な気持ちでお礼を言うのは、生まれて始めてかも知れない。
澄んだ想いを伝えられたハイネは、安堵の笑みを浮かべる――。
そう、それ以外の展開はあり得ない。
そのはずだった。
「……っ!」
ハイネは慌てて半平の手を握り締め、短く切った爪を食い込ませる。
まさか急がなければ、心変わりするとでも思っているのだろうか。
「そんなに焦らなくてもへーきだってば。確かに俺、優柔不断だけどさあ。ここまで来て、『やっぱやーめた』なんて言わねーって」
半平が戯けても、彼女の表情は和らがない。
むしろ苦々しそうに寄せた眉間は、どんどん深くなっていく。
「ハイ、ネ……?」
目で困惑を伝えても、彼女は答えない。
そもそも視線を合わせようともせずに、半平の手を握る力を強くしていく。
二つの手がよりきつく絡み合い、薔薇の蕾に似た姿を形作る。
瞬間、指と指の間から一つの光が膨らみ、半平の視界を青白く塗った。
千本、万本、いやそれ以上の日本刀を放射状に放ったように、冴えた輝きが広がっていく。刻一刻と闇は駆逐され、視界の奥に吸い込まれていった。恐らく天の岩屋戸が開いた刹那には、こんな光景が繰り広げられたのだろう。
「……私、最悪だ」
にわかに俯き、彼女は頑なに結んでいた唇を開く。
直後、半平の耳が拾ったのは、自分自身を呪うかのような低音だった。
「みすみす死なせて、騙して……」
一も二もなく、半平は確信する。
祝福の言葉や歓声を、自分が聞き違えたのだ。
長々と静かすぎる闇を漂っていたせいで、耳の調子がおかしくなってしまったのだろう。
でなければ、状況と発言の内容が噛み合わなすぎる。
今、この場面で、ハイネが自分を罵る理由はどこにもない。
絶対、カン違いだ……! カン違いに違いない……!
半平は無理矢理笑みを浮かべ、自分自身に言い聞かせる。
だが、胸のざわめきは収まらない。
「なぁーに下向いてんだよ。今更、男と手を繋ぐのが恥ずかしいわけないっしょ?」
祝福の笑顔を目にすれば、胸騒ぎも消えるに違いない……!
半平は自分に言い張り、ハイネの顔を覗き込む。
その瞬間、半平は絶句し、まばたきを忘れた。
軽口を叩いた状態で表情が固まり、ただただ目だけが見開いていく。
彼女の顔には、穏やかな笑みも、いじらしい涙もない。
それどころか、悪魔の彫像のように歪んでいる。
顔中に施しているのは、どす黒い「隈取り」。明るすぎる光によって生じた影が、シワの一本一本を克明に浮かび上がらせている。
色素の薄い肌に、強い輝きは苦痛だったのだろうか。
半平はそれらしい説明を付け、意識的に頷く。
だが、そうしている間にも冷たい汗が噴き出し、背中を濡らしていく。
頭の中には悲痛な警告が響き渡り、速やかな対処を求めていた。
手を放せ! こいつを突き飛ばせ!
一体、何に怯えている……?
半平は半ば叱り付けるように、本能とか直感とか呼ばれるものを詰問する。
禍々しく歪んだ顔に、怯んでしまうのは理解出来る。
だが現実に手を繋いでいる相手は、悪魔などではない。
目の前にいるのはハイネで、沼津半平を救おうとしてくれている。
そう、理性的な判断は出来ている。出来ているのだ。
ではなぜ、警告は止まらないのだろう。
今すぐ逃げろ!
一際激しい声が頭を叩き、半平の全身を震わせる。
半平は思わず仰け反り、毒蛇を見たように手を引いた。
だが、彼女の手は離れない。
細くしなやかな指は、まさしく毒蛇のように半平の手を締め上げている。
爪と言う毒牙は半平の肌に食い込み、三日月状の痕を刻んでいた。
「……ごめんなさい」
ハイネは半平から目を逸らし、喉を震わせる。
老婆のように嗄れた声は、半平の全身に悪寒を走らせた。
俺に何をする気なんだ!?
半平は可能な限り口を空け、怒鳴るために必要な息を吸い込む。
ダメだ。
間に合わない。
ただでさえ眩かった光が更に強まり、半平の輪郭を意識を掻き消していく。
疑い、戸惑い、躊躇――。
足枷であり、命綱であった感情が洗い流されると、奇妙な浮遊感が半平を包み込んだ。
針に掛かった魚のように顎が上がり、かかとが地面を離れる。矢継ぎ早に足が浮くと、半平の身体は遥か上空に釣り上げられていった。




