④この世の全ては星の欠片
本編で詳しく説明していますが、この世の物質の大半は、元々、星の一部です。
もちろん、人間も例外じゃありません。
これを読んでいるあなたの身体も、遠い遠い昔には宇宙で輝いていたはずです。
ちなみに超新星爆発の概要は、第七章で詳しく解説しています。
興味がある方は、目を通してみて下さい。
「私、怖かった。指一本動かせなくなった」
彼女は青くなるほど手首を握り締め、肌に爪を立てる。
まるで自分を罰するかのように。
「たった独りの肉親だった。働かないし、日記読むし、育てられたって言うより育てたって感じだった。でも、お金がなくて、毎日おもちゃ売場に通ってた私に、〈シュネヴィ〉を作ってくれた。人間さんにも〈詐術師〉にも、同じように手を差し伸べる人だった。悲しみ以外は感じちゃいけなかった」
彼女は堪えきれなくなったように呻き、胸と膝の間に顔を沈める。
今、頭の中に浮かぶ人に、顔向け出来なくなったのかも知れない。
「なのに、私は私を守りたいって考えた。あんな時なのに、力を使えばどうなるかに頭が回ったんです」
彼女は目元を拭い、大きく鼻を啜る。
それから長く息を吐き、やけに軽やかに顔を上げた。
「最低ですよね」
彼女はあっけらかんと言い放ち、同意を求めるように笑う。
勿論、人殺しの顔に笑みが浮かぶことはなかった。
「困っている人に手を伸ばしているのは、私に嫌な思いをさせないため。涙、悲鳴、消さないとあの夜が頭の中に出て来る。そこには肉親を平気で死に追いやった私がいて、堪らなく吐きそうになる。こんな私が生きていていいのか、不安になるんです」
彼女は自分の胸に両手を当て、目を閉じる。
邪魔者の視覚を遮断し、深く鼓動を味わっているのだろう。
「でも涙を笑顔にすれば、『ありがとう』って言ってもらえる。その瞬間だけは、『ああ、生きてていいんだ』って思える。そう、不安が和らぐんです。もう判ったでしょう? 誰かに手を伸ばしているのは、全部、私が安心するためなんです」
彼女は目を開き、この闇の中ではありもしない空を眺める。
「やめようって、何度も思った。本物の気遣いもなく手を伸ばすなんて、愚弄です。自分の痛みを紛らわすことが目的なら、私は誰かの泣き顔を見る度に喜んでるのかも知れない。たぶん、迷いは永遠に消えません。誰かの身代わりになったとしても、私は私を信じられない」
冷淡に吐き捨て、彼女は首を左右に振る。
「でも、でもね、私、思った。思ったんです。ううん、思うんです」
突如、彼女の声に力がこもり、密着した背中が体温を上げていく。
勢い余って前後する頭は、度々、人殺しの後頭部を小突いた。
「後ろめたさを感じたくないからって、手を伸ばすのをやめたところで、結局、私に嫌な思いをさせないためでしかない。根っこの部分は、手を伸ばした場合と何も違わないんです」
彼女は正面に腕を伸ばし、その目に映っているだろう手を掴み取る。
「ううん、そんなことはどうでもいい。動機が不純だからって手を引っ込めてしまったら、誰も笑顔に出来ない。笑顔に出来ないんです。手を伸ばしていたら止まっていたかも知れない涙が、流れたままになってしまう」
派手に飛び散っていた唾を呑み、彼女は力強く顎を沈める。
「だったら、偽善のほうがずっといい。私は誰も助けられない正しさより、誰かを笑顔に出来る間違いを選ぶ。私の本心がどうでも、笑顔が生まれたのだけは絶対に変わらないから」
「笑顔が……生まれた」
不思議な力が瞼を上げ、いじけたように細くなっていた目を開いていく。
見る見る視界が開け、今まで見えなかった景色が瞳に飛び込んでくる。
目の前の九九㌫は、やはり暗闇に占領されている。
だが残る一㌫には、暈けた星が寄り集まっていた。
みんなの笑顔だ。
長い間隔で点滅する光は、何度となく視界から消える。
だが、決して潰えることはない。
長々消える度にしぶとく姿を現し、必ず人殺しの視界に入る。
輝き自体はとても弱いが、目を旅させても飽きは来ない。
頭を押され、無理矢理お辞儀させられているのは、半ズボンの男の子。母親を捜している間中、ずっと泣きっぱなしだった目は、赤く腫れ上がっている。
涙の痕と鼻水は顎まで達し、顔を縞模様にしていた。
でも今浮かべているのは笑顔で、その表情は母親にもお裾分けされている。
歩道橋を渡りきった場所には、買い物袋を提げたおばあさん。
いい、いいと何度断っても、人殺しの手にアメ玉を押し込もうとする。
シワに沿って折り畳んだような笑顔は、拝みたくなるほど穏やかだった。
エリ、博士、太の三人は、花丸の付いた観察日記を見せ付けてくる。
ドヤ顔で笑う三人組に、ゴーストライターの人殺しはツッコミを入れずにはいられない。
お前らの手柄じゃねーだろ。
駄菓子屋のヨシばぁ。
魚安の大将。
消防団の仲間。
森先生。
計り知れない数の笑顔。
そのどれもが、人殺しが自分を守るために作り上げた代物だ。
けれど、彼等の顔を観測していても、不思議と腹は立たない。
いや、眺めれば眺めるだけ顔が綻び、胸に優しい温もりが広がっていく。
思っていた以上に、笑顔の伝染力は強いようだ。
……俺が手を伸ばさなければ、あの輝きはなかったのか。
ふと安らかな笑みが漏れ、恩着せがましい言葉が脳裏を過ぎる。
久々に自分を肯定出来たことが関係しているのだろうか。
チリ状に磨り減り、闇を徘徊していた肉体が、人殺しの身体に戻っていく。実体の希薄だった身体は、見る見る厚みと輪郭を取り戻していった。
目目森博物館で講義を受けてから、人殺しは少し天文の世界を調べてみた。
勿論、名ナレーターのおかげで、今まで知らなかった分野に興味を持ったこともある。
そしてそれ以上に、調べても調べても全貌を見せない星々は、眠れなくなった夜を潰すのにも都合がよかった。少なくとも、別のことに頭を使っている間は、彼女との関係に思い悩まずに済む。
際限なく突き付けられる新事実は、宇宙のこと以上に自分がどれだけ無知だったかを教えてくれた。「知らない」の多さに、人殺しは不安を覚えたほどだ。
確かに超新星爆発は、地球より遥かに巨大な星を粉々にする。おまけに質量が太陽の二〇倍を超える星からは、放射線の一種、ガンマ線のビームが放たれると考えられているそうだ。
万が一、このビームが地球を直撃すれば、生命と言う生命が絶滅に追いやられると言う。
それでも、超新星爆発はただの終わりではない。
原初の宇宙は、ほぼ一〇〇㌫、水素とヘリウムで占められていた。
三番以降の元素を量産したのは、恒星の核融合に他ならない。
しかし、ただ生産されただけでは、星の外に出られない。
重い元素は自分より軽く、恒星の主成分である水素に沈んでしまう。
では、何が星のしまい込んでいた元素を、外へ運び出したのか?
答えは、超新星爆発だ。
三番以降の元素の大半は、星が吹き飛んだことで外界に配られた。
実のところ、隕石は何ら特別な代物ではない。
人間も草木も地面に転がった石ころさえも、元を辿れば恒星の欠片だ。
また超新星爆発は、新たな元素の製造にも貢献した。
恒星の核融合では、鉄までしか作り出せない。
それ以降のコバルトやニッケルなどなどは、爆発時のエネルギーによって生み落とされた元素だ。星の死がなければ、金や銀が人々の目を楽しませることもなかっただろう。
そして、超新星爆発は誕生でもある。
飛散した残骸は引力によって結集し、新たな星の材料になる。
更に星の爆発と共に放たれる衝撃波は、星の材料に激しく打ち付ける。
これが刺激となることで始めて、星の形成が始まるそうだ。
死と共に宇宙へ放たれた部品が、新しい生命の原料になる――。
それこそ「天文学的」な歳月を経て、新たな星の原料になる――。
宇宙規模で見るなら、輪廻転生はオカルトでも何でもない。
笑顔が――いや、命が星のように輝くなら、人間もまた簡単には終われないのだろう。例え木っ端微塵になろうと、しぶとく図々しく甦る。




