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「理科室の天井、焦げてるだろ?」

「実験中に事故って、女子が死んだんでしょ?」

「七不思議の一つだよ~。夜になると、泣き声が聞こえるんだって~」

 太は顔を真っ青にし、身震いする。


「七不思議って……アレ、俺の仕業」

 根も葉もない怪談に苦笑し、半平は自分の顔を指す。

「マジ!?」

 大声で口走り、エリは分身魔球のように唾を飛ばした。

 一方、博士は得意げに言い、トレードマークの眼鏡を押し上げる。

「ほら、だから言ったんだよ。幽霊なんて非科学的だって」


「ガスバーナー使った実験の時だったっけ。火災報知器鳴って消防車来るわ、スプリンクラー動いて水浸しになるわ、もう大騒ぎ。あん時は森先生にすっげぇ怒られたなあ」


「森先生って怒るんだ……」

 信じられなそうに言い、エリはぽかんと口を空ける。

「え? お前らは怒られたことねーの?」

 半平が訊くと、三人組は迷わず頷く。


「そっか、あの森先生がねえ。今はそんなんなのか」

 半平はしみじみ呟き、改めて校内を見回してみる。

 想像以上に蛍光灯は明るく、天井はやたら黒ずんでいる。背が伸び、距離が縮まったことで、小学生の頃よりよく見えるようになったのだろう。


 真新しい下駄箱には、同級生の落書きも見知った名前もない。

 さっき挨拶した森先生も、記憶の中の顔と照らし合わせてみると、しっかりシワが増えていた。変わらない変わらないと思っていたのは、先入観に過ぎなかったらしい。


 無頓着に見送っている一日一日、二四時間を目敏めざとく積み重ね、着実に歳月は流れている。

 そしてもうここに、沼津半平の席はない。

 当たり前の事実を直視すると、なぜか置き去りにされたような寂しさがこみ上げてくる。


 ……随分、おセンチだな。

 半平は自分自身を笑い飛ばし、話題を切り替える。


「で、そーゆーお前らこそ、休みの日に何の用だよ。あ、もしかして、気になるあの子のリコーダーでも舐めに来たとか?」

「ンなことしねぇよ! はんぺーじゃねぇんだから!」

 博士は目を吊り上げ、半平に突進する。


「俺だってしねーよ! 体操服の臭いを嗅いだくれぇだ!」

 半平は犬歯をき出し、青春時代の過ちを告白する。

 途端、ひぃ……っと消え入りそうな悲鳴が上がり、三人組が一〇歩ほど後ずさる。軽いジャブのつもりだったが、幼気いたいけな小学生には刺激が強すぎたらしい。


「ドリル取りに来たんだよ。宿題出てんのに忘れて来ちゃったんだぜ、こいつ」

 エリは刺々しくボヤき、じと~っと太を見つめる。


「だってぇ……」

 いたたまれなくなった太は項垂うなだれ、手を揉み始める。

 大分、居心地が悪そうだ。この辺で助け船を出してやったほうがいいだろう。


「はいはい! 無駄話はここまで!」

 半平は空気を変えるために手を打ち、太の尻を叩く。

「ほら、ちゃっちゃと運んじまうぞ!」

「う、うん」

 戸惑いがちにこたえ、太は目を拭う。

 それから丸々肥えたお腹を揺らし、段ボールの山へ走った。


「ちゃんと力入れろ! 腰悪くすんぞ!」

 やる気なく背中を曲げ、段ボールを運ぶ三人組に、半平親方のげきが飛ぶ。

 配達先は二階の家庭科室。

 ひとまず階段の下に集め、踊り場、二階と運び上げていく作戦だ。


「お前らの裁縫箱が入ってんだからな! 落っことしたら、泣きを見るのはお前らだぞ!」

「こういうのって、用務員さんの仕事だろ~」

 段ボールの中身を聞いても、エリはふくれっ面をしぼませない。


「あれ? 知らねーの? 用務員さん、もうずっと休んでるんだってよ」

 半平が告げると、太を除いた二人が頷く。

「そう言えば、最近見なかったな」

「登校拒否じゃね? いっつも教頭にネチネチ言われてるし」


「あれれ~? 用務員さん、いるよ~?」

 あれこれ邪推するエリと博士に、太が割り込む。

 不思議そうに首をかしげた彼は、玄関を指していた。

 確かに下駄箱の前を、中年男性が徘徊している。


 何度か見たことのある顔だが、今日の彼はやたら身なりが汚い。

 ワイシャツもスラックスもしわくちゃで、口の周りには白髪の交じった不精ヒゲ。力なく腕を垂らし、足を引きずりながら歩く姿は、命辛々逃げ出してきた敗残兵のようだ。


「こんにちは~」

 大きな声で挨拶し、三人組は用務員にお辞儀する。

「きちんと挨拶」は、「はっきり返事」と並ぶ森学級のルールだ。

 いい大人として、半平も悪い手本は見せられない。


「ちわっす!」

 半平は一度段ボールを置き、用務員に頭を下げる。

 だが、彼は挨拶を返さない。

 それどころか、一瞥いちべつもせずに半平たちの前を通り過ぎた。


 ひたすら正面を凝視する姿は、半平にあり得ない疑問を抱かせる。コンビニの店員以上に溌剌はつらつとした挨拶が、実は囁きに過ぎなかったのではないか。


「……手伝えよ」

「……シカトかよ」

「……誰のせ~でこんなことしてると思うんだよ~」

 完璧にスルーされた三人組は、小声でブーたれる。


 半平もいい気持ちではない。


 無視されたから?


 いや、原因は無性にざわつく胸だ。


 まさか、獰猛な獣に追い掛けられているとでも言うのだろうか。

 刻一刻と鼓動が荒くなり、呼吸のピッチが速くなっていく。

 付随して、冷たい汗が噴き出し、鳥肌が背中を埋め尽くした。


 変調を引き起こしているのは、「既視きしかん」。


 そう、徹底して正面を向く用務員に、目標以外見えないような態度に、半平は見覚えがある。


 ……あり得ない。

 無理矢理笑みを浮かべ、半平は震える手を握り締める。


 確かに、半平は用務員と似た状態の人間を知っている。

 だが、正気を失う原因になっていただろう「それ」は、ハイネに駆除された。


 仮に「あれ」が複数棲息していたとしても、そうほいほい出くわすわけがない。何と言っても、一六年間生きてきて、一回しか遭遇したことのない相手なのだから。


 単純に、用務員は人当たりが悪いだけ。

 殺されかけたトラウマのせいで、ちょっとしたことにも過敏になっているのだろう。


 落ち着け……! 落ち着け……!

 必死に自分をなだめ、半平は深呼吸を繰り返す。

 その最中、用務員は職員室の前で立ち止まり、乱暴にドアを開いた。


 直後、半平の目に飛び込んだのは、濁った光。


 蛍光色に輝いている。


 用務員の眼球が。


 ……最悪だ。

 抗いようのない恐怖が、絶望が全身を支配し、半平の頭を真っ白く染める。途端に半平は大きくよろけ、壁にもたれ掛かった。とても立っていられない。

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