⑧トロッコ問題の解
今回もまた小難しい口喧嘩が続きます。
パンピーにはとことん厳しい〈国際殺人機構〉。
作者のようなダメ人間は、確実に剪定されてしまうことでしょう。
「『ルサンチマン』――『ツァラトゥストラはかく語りき』か。ニーチェまで持ち出して来るとはな。さすがは〈詐連〉の広告塔、なかなかに弁が立つ」
眉一つ動かさずに賞賛し、キモは両手を重ねる。
続いて彼女は右手の爪を立て、左手を掻きむしり始めた。
「ルサンチマンと言ったな? 成功者への逆恨みだ。では君は恨まないのだな? 来る日も来る日も往復三㌔の水汲み。川へ向かう道だけが世界の全てで、将来を夢見ることすら知らない。挙げ句、ある日、村に帰れば、父母は撃ち殺され、一一歳の姉は精液で膨れた腹を裂かれている」
がり……がり……。
繰り返し突き立てられる爪が、キモの手を赤く染めていく。
「それが己の無能、無策の結果なら納得も出来るさ。だがな、先人が怠惰だった。鍬より銃を選んだ。それだけさ。要は愚かな先人のケツを拭かされているのだよ、子供たちは」
キモは窓へ擦り寄り、温かな日差しを浴びる街を見た。
金網に道を塞がれた彼女には、絶対に辿り着けない場所だ。あるいは祖国にいた頃も、彼女はああして平和な「向こう側」を眺めていたのかも知れない。
「かたや世界の反対側を見れば、先人が勤勉だっただけの凡人どもが、何ら苦労することなく安寧を味わっている。好きなように笑っている。それどころか、パンの溢れた場所でしか通用しない平和論を振り翳し、争いを続ける我々を蛮族のように軽蔑しているのだ。そう、生きるために銃を採るしかない我々を、さも好き好んで血を流し続けているかのように。この不公平さ、君は恨まないのだな?」
キモはハイネに確認し、血で染まった手を壁に押し付けた。
べっとりと残った赤い手形は、きっと窓の外の街並みを冷笑している。小綺麗に取り繕っているだけで、真の姿は血に塗れている、と。
「個々人の輝きを見極めなければ、救おうと言う気持ち一つ起こさない。つまり他者を値踏みし、生きるに値するか判断する。世の凡人どもと我々のどこに違いがある? この世の誰が、我々に罵詈雑言を浴びせられる? しかも我々には、客観的基準がある。自己の損得で他人を査定する凡人どもに比べたら、遥かに公明正大で良心的だ」
「人は成長する生き物です。今日出来なかった人が、明日も出来ないままとは限らない。それ以前に、時代によって移り変わる価値観で、命と言う普遍的な資産を査定していいはずがない」
「君たちのスパンで物事を語るなよ。永遠を確約された君たちとは違う。我々は限られた時間しか持たない。一〇年二〇年先の開花など待ってはいられない。今日、この瞬間までの状態で価値を見極め、剪定せねばならないのだ。躊躇すれば、今、美しい花を咲かせている株が枯れる」
キモはもごもご頬を動かし、血の混じった唾を、折れた歯を吐き出した。
「現在と未来の価値観が違う? 人の価値を定めるのは時流? アインシュタインやダ・ヴィンチにも同じセリフが吐けるか? 彼等が現代に生まれていたら、世に埋もれていたとでも? この進んだ文明、技術、科学に彼等の才能が加わるのだぞ? 史実以上の恩恵を、人類にもたらすだろうさ」
反論する傍ら、キモはつま先で机の脚を突っつく。小刻みに雑音を立てることで、ハイネの神経を逆撫でしているのかも知れない。
「歴史上、知恵のある人間が冷遇されていた時代などない。哲学者でさえ、一銭にもならない思想をもたらすだけの連中でさえ、古代ギリシアの頃には尊ばれていた。穴倉で暮らしていたサルだって、上手に火を起こせる仲間には一目置いていただろうさ」
キモはハイネに背中を向け、後ろ手に填められた手錠を見せ付ける。
「第一、時代ごとの価値観を否定するなら、殺人犯が檻に閉じ込められるいわれはどこにある? 彼等の起こした行動は、今の時代において禁じられていただけだ。法律のない時代なら、裁かれることはなかった。そして未来永劫、殺人が罰せられると言う保証はない」
キモは手錠を引っ込め、代わりに自分の身体を前に出す。
「君は『トロッコ問題』を知っているか? いや、愚問だな。博学な君が知らないはずもない」
「『トロッコ問題』――倫理学上の思考実験」
ハイネは自分に向けて呟き、頭の中の知識を呼ぶ。
暴走したトロッコが、線路上で作業中の五人に迫っている。
五人が轢死するのを防ぐには、トロッコを隣の線路に移すしかない。
しかし、移動先となる線路では、五人とは別の一人が作業をしている。
トロッコの針路を変えれば、今度は彼が命を落とすことになるだろう。
さて五人を救うために、一人を犠牲にすることが許されるのか?
以上が、「トロッコ問題」と呼ばれる思考実験だ。
「思考実験」とは、その状況に陥ったと仮定し、頭の中だけで実験を行うことを言う。端的に言えば、シミュレーションだ。
被害だけを見るなら、一人「しか」死なないほうがいい。
しかし、彼は運悪く一人で作業していただけだ。
犠牲になっても仕方がないような、悪意や負い目はない。
また現状、彼は命の危機とは無縁の立場にある。第三者がトロッコの針路を変えなければ、かすり傷一つ負うことはないだろう。
五人を助ける道を選べば、本来無関係だった人間に死を強いることになる。「誰かの命を救える」と言うお題目を忘れたなら、燃え盛る家に野次馬を放り込むのと一緒だ。
それでも、犠牲は少ないほうがいい?
しかし、被害の大小で良し悪しを決めるのは悪党だ。
少なくとも、世に溢れる「英雄」譚はそう断言している。そもそも誰が生きるべきで、誰が死ぬべきか決める権利が、神でもない人間にあるのだろうか。
身代わりになる一人が自分や親兄弟だったなら、どれだけの人が「犠牲にしてくれ」と言えるだろう?
いや線路上に立っているのが、五人の老人と一人の子供だったら?
単純に数字として考えれば、五人の余生を合わせた時間と、子供の寿命に大差はない。だが子供には未来があり、新しい概念や次の世代を生む可能性を秘めている。
五人が凶悪な犯罪者だった場合、一人の善良な市民と平等に数えるべきか?
選ぶのが五人か一人かではなく、二人か三人かだったら?
いや、二〇〇と一〇〇だったら?
被害者のほうが少なければいいと言うのなら、二〇〇人助けた人間は賞賛されなければならない。そう、あっさり一〇〇の命を見限ったとしても。
いや答えを出す以前に、なぜ回答者が選択を強いられなければならないのか。
そもそも、回答者は傍観していたところで、一切損害を受けない状況にある。事故の原因を作ったならまだしも、偶然居合わせただけで、選択する義務も全くない。
モラルや道徳で行動を求めるには、目の前の二択はあまりに過酷だ。
五人を助けるにしろ、一人を助けるにしろ、必ず誰かを死なせることになる。
その後、一生に渡って、罪悪感を背負うことになるのは避けられない。
ならいっそ、成り行きに任せてしまえばいい。
結果、五人が命を落としたとしても、「そうなってしまった」だけだ。
五人の死を「選んだ」場合より、罪の意識は軽い。
五人を見殺しにしたと非難の声が上がったら、こう言い返してやればいい。
一人殺せばよかったのか。
「私は不思議でならない。なぜこんな簡単な問題に、高名な思想家ですら手を焼くのか。救われるべきは誰かだと? 能力の優れた側に決まっている」
高笑いするように顎を上げ、キモは宣言する。
「極端な話、一人で作業している男が、後に不治の病の特効薬を発明するとしよう。数だけが取り柄の凡人どもより、多くの命を救う一人の天才を助けたほうが、人類の未来にはプラスに働く。目先の数に囚われた選択は、もっと多くの命を奪う結末に繋がるのだ」
キモは迷いなく言い切り、ハイネの眼前に血塗れの顔を突き出す。
それから彼女は、子供に質問するように首を傾げた。
「歴史上、最悪の虐殺者が判るか? 感情だよ。奴等は『合理的』な最善策に『薄情』のレッテルを貼り、人々の支持を掠め取った。その影で何億何十億何百億の命を奪ってきた」
鼻先のキモから血の臭いが立ちこめ、ハイネを包み込んでいく。
堪らずハイネは顔を歪め、彼女から遠ざかった。
「そう、幾らでも替えの利く凡人どもが、革新的技術の実験台となっていれば、有望な命を幾つも繋ぎ止められた。繋ぎ止められた命が、また別の命を繋ぎ止めた。そんな薔薇色の未来を阻んできたのは、感情に他ならない。博愛だの慈悲だのとご大層な名前を付けられた、な」
キモは壁に右頬をくっつけ、口角を押し上げていく。
歪に歯を覗かせた顔は、彼女なりの嘲笑だろうか。




