⑥粘菌のすべて
タイトル通り、今回は粘菌の蘊蓄がメインです。
あと、イカに関する雑学も少々。
イカの裏表(腹と背中)を見分けたい方は必読です(いない)。
次回は番外編。
光る生物の秘密に迫りたいと思います。
「我々は早々に独自の技術を開発することを諦め、大自然に範を求めた。いわゆる『バイオミメティクス』だ。生存競争に淘汰され、進化に磨き上げられた大自然に無駄はない。立証も何も、種の存続が性能を物語っている」
キモの言う「バイオミメティクス」とは、「生物の能力を再現しようとする工学」を指す。
一見、原始的に思える生物は、意外にも計り知れない技術力を有している。
頭脳明晰な人間が全力を尽くしても、模倣出来ないことは多い。
代名詞がクモだろう。
彼等が上り下りに使う糸は、鋼の四倍以上の強さを誇る。
そのくせ、伸縮性はナイロンに比肩すると言う。
耐熱性も優秀で、摂氏二〇〇度までは品質が損なわれない。
鮮やかな輝きで知られるホタルイカは、酸化反応によって光を放っている。
彼等は体内に、「ルシフェラーゼ」と言う酵素を持っている。これを使い、体内の発光物質「ルシフェリン」を酸化させることで、輝くためのエネルギーを発生させているそうだ。
水上からも容易に見て取れる明るさは、エネルギーの変換効率に起因する。
実のところ、白熱灯は電気の数㌫しか光に換えられない。電球が触れられないほど熱くなるのは、大半のエネルギーが熱になってしまっているためだ。
対してホタルイカは、酸化反応で作ったエネルギーの半分近くを光に換えられる。余剰エネルギーが少ないため、熱もほとんど発生しない。どんなに強く輝いても、自らの放つ熱で焼きイカになることはない。
〈詐術師〉は早い段階から生物の技術力に着目し、積極的に模倣してきた。
骸骨の鎧〈PDF〉も、バイオミメティクスの塊だ。
例えば圧縮空気の発射ノズルは、イカの漏斗を基に開発された。
漏斗とは筋肉の筒で、イカの頭の腹側に備わっている。ちなみにイカの「腹側」とは、三角のヒレ「えんぺら」が生えていないほうを指す。
「イカの頭」と聞くと、多くの人は三角帽子っぽい部分のことだと思うだろう。だが実際のところ、三角帽子こと「外套膜」は、彼等の胴体に当たる。
本物の頭は、「ゲソの生えている部分」のことだ。
つまり、彼等は頭から足を生やしていることになる。これはタコも同じで、「頭足類」と言うグループ名の由来になっている。
風船の栓を抜くと、空気を噴き出しながら上昇していく。これは地面へ噴き出す空気(↓)とは真逆(↑)に、反作用と呼ばれる力が働くためだ。
ロケットもまた地上に燃料を噴射(↓)し、反作用を働かせる(↑)ことで空を飛んでいる。銃弾が空中を突き進むのも、同じ原理だ。発射の瞬間、弾薬を爆発させる(←)ことで、反作用を発生させて(→)いる。
イカは頭と三角帽子の間から海水を引き込み、漏斗から排出する。
この行動は風船の栓を抜くのと一緒で、海水が噴き出す方向とは逆に、反作用による推進力が発生する。
仮にヒレで泳ぐ魚を、オールを使うボートとしよう。
漏斗から噴き出す水を推進力にするイカは、水上スキーだ。
言うまでもなく、彼等は魚よりも敏捷に海中を動き回れる。
反面、スピードを制御しきれずに、障害物へ突っ込んでしまうこともあるらしい。スポーツカーを持て余した人間のように、激突死する個体もいると言う。
太平洋に分布するトビイカに到っては、海中を泳ぎ回るだけに留まらない。何とトビウオのように海上まで飛び出し、最大で五〇㍍近くも滑空すると言う。しかも彼等ほど長くは飛べないが、他のイカも空を飛ぶことがあるそうだ。
圧縮空気のノズルがイカなら、エネルギー流動路のデザインには「モジホコリ」が活躍した。
モジホコリ――。
名前だけで姿形を連想してもらえるほど、メジャーな生き物ではないだろう。
この得体の知れない生物は「変形菌」の一種で、「真性粘菌」に分類される。「菌」と付いているが「菌類」ではなく、アメーバと同じ「原生生物」と言うグループに含まれている。
和歌山県生まれの博物学者・南方熊楠は、真性粘菌を研究していたことで知られている。
彼は英国から帰国した一九〇〇年を契機に、六七〇〇点もの標本を集めた。
それらは現在、国立科学博物館に収蔵されている。
名前こそ聞き慣れないが、実のところ、彼等は人間の身近に潜んでいる。
日が当たらず、湿気が多い場所――具体的には朽ち木や土の中、枯葉の裏などを探せば、割とすぐに見付けることが出来るだろう。基本的には藪や森に棲息しているが、人家の近くに出没したケースも少なくない。
真性粘菌は「子実体」と言う状態から胞子を放ち、繁殖を行う。子実体の形状は種類によって様々だが、多くの場合、キノコや「きりたんぽ」をミニサイズまで縮小したような姿をしている。
キノコやカビの場合、胞子からは菌糸が出て来る。
一方、粘菌の胞子は、「粘菌アメーバ」を生む。
その名の通り、粘菌アメーバはアメーバに酷似している。
大きさは一㍉の一〇〇分の一程度。
いかに身近に潜んでいると言っても、この状態では見付けられない。
粘菌アメーバは縦横無尽に動き回り、自分より小さな細菌を捕食する。
意外なことに、彼等には性別がある。しかも、ある程度育つと雌雄で接合を行い、「変形体」と言う状態になる。
時として、変形体は一㍍以上に成長する。
人間に発見されるのはこの状態の時で、見た目は「毒々しいゼリー」と言った感じか。粘菌研究の第一人者である中垣俊之教授は、モジホコリの変形体をこう評している。薄く塗ったマスタード、あるいはマヨネーズ。
ゼリーの中には、葉脈状の管が張り巡らされている。
これは血管であると同時に神経で、栄養や化学信号を全体に行き渡らせる役目を担う。粘菌が成長する時は、この管も共に広げていく。
粘菌アメーバだった頃と同じく、変形体もまたバクテリアや菌類を捕食する。
特筆すべきは、細胞分裂を行わない点だ。
普通、肉眼で捉えられる生物は、細胞分裂――細胞の数を増やして大きくなっていく。
ところが、粘菌は全身が一つの細胞で出来た「単細胞生物」で、「細胞を大きくして」成長する。最終的に一㍍オーバーになったとしても、ミドリムシやゾウリムシと基本的な構造は変わらない。
粘菌には身体の構造以外にも、幾つか特異な性質がある。
代表的なのが、高い知能を持つかのような振る舞いだ。
例えば迷路に変形体を張り巡らせ、入口と出口にエサを置く実験がある。
エサのない場所に広がっていても、身体を作る材料やエネルギーの無駄遣いだ――。
そう判断した粘菌は、時間が経つにつれて、行き止まりへ続く部分を引っ込めていく。
最後に残るのは、入口と出口を最短距離で結ぶ一本の道だけ。
別の言い方をするなら、「迷路の解き方」だ。
粘菌の才能は、迷路を突破するだけに留まらない。
彼等はネットワークの構築にも、人間顔負けの力を発揮する。
板状の寒天を関東地方の形にし、主要都市の位置にエサを置く。
そうして変形体を東京の位置に放つと、彼等はJRの鉄道網に瓜二つの道筋を作り上げていく。
どうすればより効率的に主要都市を結べるか、人間が頭を捻って考え出した鉄道網を、たかが単細胞生物が再現してしまうのだ。
しかも、ただエサのある場所を、最短距離で繋ぐだけではない。
どれほど効率的な道でも、何らかの事故で分断されないとは言い切れない。そして道が一本しかない場合、分断された時点で外部に物資を送り届けられなくなってしまう。
こういった事態を防ぐため、主要な駅には複数の路線が通されている。
粘菌もまたエサのある場所一つに対して、複数の道を作った。仮に一本の管が千切れたとしても、貴重な栄養を全体に送り届けられるようにしたのだ。




