⑤〈国際殺人機構〉の真意
明後日から始まる予定の番外編では、光る生物について蘊蓄を垂れたいと思います。
皆さん、ホタルのことを知ってる気でいませんか?
実はヤツら、驚愕の事実を隠し持っています。
「ディゲルさん、一刻も早く先ほどの処置を……」
堪らず額を押さえ、ハイネは下唇を噛み締めた。
今にも倒れそうな様子に、ディゲルは大きく口を空けている。
船舶信号に似たまばたきは、ハイネに訴えていた。説明してくれ、と。
彼女への恨めしさに、ハイネは顔を歪ませる。
絶望的な状況を、言葉に変える?
なぜ、そんな拷問のような仕打ちを求めるのだろう。
「私が見た光の雪は――そう、『雪』だったんです。雪と見間違う数でした。あれだけの数が一斉に成体になったら――ううん、寄生された人たちが、一斉に暴れだしたら……」
「完全にパニックだな」
他人事のように言い放ち、ディゲルはキモの前髪を握る。
罪人を見下ろす顔は、死者のように無表情だ。
心情を察する手掛かりは、汗の一滴さえ存在しない。
「止めろ」
ディゲルは鐘を搗くように反動を付け、キモの顔面を壁に叩き付けた。
部屋中が激しくぐらつき、蛍光灯から埃がぱらつく。
直後、キモはテニスボールのように跳ね返され、後頭部を床に叩き付けた。
「止めろ」
もう一度命じ、ディゲルはキモの顔を踏み付けた。
矢継ぎ早に彼女は懐へ手を潜らせ、自動式の拳銃を取り出す。オーストリアの銃器メーカー、シュタイヤー社のM9だ。
落ち着いた黒色に、強化プラスチックの滑らかな質感。ある種の美しさを感じるのは事実だが、命を奪う道具にしてはグロテスクさが足りない。
「人間もなかなかだと思わないか、なあ、人でなしの〈詐術師〉さん? 小賢しい嘘も〈発言力〉も必要ない。ただ引き金を引くだけで、腐った頭を吹き飛ばせるんだからな」
ディゲルは片頬を吊り上げ、キモの眉間に銃口を突き付ける。
「ディゲルさん!」
慌てて叫び、ハイネはディゲルの腕を掴む。
その瞬間、ディゲルは鬱陶しげに肩を振り、ハイネの手を振り払った。
「人道主義に興じていられる状況かどうか、判らぬあなたではないだろう? ええ、荊の姫君? 市民の命よりテロリストの人権とやらを尊重したいなら、この部屋を出て、ジャーナリストにでもなりたまえ」
「止める必要はない、〈荊姫〉」
キモはよろよろと銃口を掴み、こともあろうに自らの顔面へ引き寄せた。
「私は役目を果たした。これ以上、無益な命を繋ぎ、貴重な資源を浪費する愚は犯したくない」
「度胸だけは部下に見習わせたいものだ」
冷ややかに賛辞を送り、ディゲルは引き金と一体化したトリガー――安全装置を押し込む。
後は引き金を引ききるだけで、肉片の混じった血飛沫が壁を染めるだろう。
「この人を殺しても、状況は変わりません!」
急ブレーキのような音を発し、ハイネはディゲルを制止する。
途端、喉に焼けるような痛みが走り、何回か乾いた咳が溢れ出す。
「止める方法があるなら、〈YU〉の概要なんてヒント、みすみす明かすはずがない」
「……クソ」
ディゲルはこれ見よがしに舌打ちし、拳銃を懐に戻す。
理屈は判っても、感情の面で納得行かないのだろう。
「長期的に見ないと断言は出来ません。でも今のところ、〈YU〉の宿主になった安藤さんに、後遺症は見られない。速やかに宿主さんたちの暴走を止めて、〈YU〉を倒せば、誰も傷付かずに済むんです」
「急いだほうがいいな」
キモはよろよろと寝返りを打ち、俯せから仰向けに体勢を変える。
彼女の顔面は、鮮血に塗り潰されていた。
鼻血は勿論、壁に叩き付けられた時に前歯が折れたようだ。
「宿主は脳内麻薬の恩恵で、痛みを忘れている。運動能力も限界以上に引き出されているはずだ。骨の一本や二本折られても、止まらない超人――ぬるま湯に浸かっている連中には、そう、この国のお大尽どもには、いささか手に余る相手だ。いや、そもそも連中に他者を傷付ける気概などないか」
「私もな、草食系などと言う腑抜けは気に入らん。男と鉄砲はぎらついていてナンボだ」
ディゲルはキモの枕元に立ち、血だらけの顔面を覗き込む。
まっすぐにキモを見つめる瞳は、強い決意を宿していた。
「だがな、他人を傷付ける気概など持つのは、我々のような人でなしだけでいい。知らなくていいんだよ、日の当たる場所で生きる人々は」
ディゲルはガラナチョコを口に放り投げ、ドアに走る。
続けて認証端末にスマホを叩き付け、部屋の外へ飛び出した。
「目的はデータの収集ですね」
ハイネはポケットのハンカチを出し、キモの顔を拭う。
純白のレースは、見る見る血に染まっていった。
「君は心底四七位だ。四八万七二五四位の浅慮を、尽く白日の下に引っ張り出す」
「雪に見える数だと言っても、降る範囲は限られてる。起こる混乱も限定されます。仮にも全人類の選別を考えるあなたたちが、破壊を目的に心血を注ぐとは思えない」
多くの命を危険に晒しているキモ。
それ以上に、人命が失われる事態を、規模で語っているハイネ・ローゼンクロイツ。
考えるだけ嫌悪感と憤りが増大し、拳に血管を浮かせていく。
少しでも油断したら、ハンカチごとキモの顔面を握り潰してしまうだろう。
「あなたたちはこの街程度の規模に幼体を散布した時、どのくらいの被害が出るか確かめた。後に、もっと大規模な作戦を行う時のために」
「最も効率的に剪定を行うには、どうすればいいと思う? 一人ずつ摘む? 非効率的だ。広範囲を破壊する兵器で焼き払う? 非効率的だ。既存の施設、自然環境にダメージを与えてしまう」
キモは一度口を閉じ、壁際の係官に目を向ける。
「凡人は凡人同士、互いに駆除させる? これだ。これが最も理に適っている。凡人は無価値な存在だが、数だけは多い。そして徹底して無能だが、殺し合うことくらいは出来る。自然や施設を破壊することもなく、天才の手を煩わせる必要もない」
「っ!」
ハイネは反射的に目を剥き、鼻の穴を膨らませる。
「人の命を効率で語るな、とでも言いたげだな」
完璧に胸中を言い当てられ、ハイネは一瞬息を呑む。
途端、手の平からハンカチが滑り落ち、コーヒーの水溜まりに浸かった。
「我々は万物の統率者が、〈黄金律〉であると知っていた。信徒を慈しむ心、不敬の輩を罰する厳格さ、奴にはどちらもない。ただ入力された情報に従い、結果を産出するだけの計算機だ」
計算機――。
〈黄金律〉を表現するにあたって、これ以上的確な比喩はないだろう。
彼は間違いなく森羅万象を司っているが、脈絡のない奇跡を起こす力はない。
「結果」と言う答えを導き出すためには、第三者に「原因」と言うボタンを押してもらう必要がある。
誰かが落とした皿に、「割れる」と言う結論を下すことは出来る。
しかし、自分から皿を「割る」ことは出来ない。
「神が計算機に過ぎないと知っていた我々は、宗教を作らなかった。人間が祈りに消費する時間を、発展に活用した。そう、根拠も生産性もない行為に浪費する時間をな」
キモの語る通り、〈詐術師〉の世界には宗教がない。
さすがに葬式やお墓は存在するが、背景にあるのは死者への思慕だ。
霊の存在や、死後の世界を信じているわけではない。




